第1章 見えない月の導き


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「朝食だ。食えよ」
 キルトだった。
 もうかっぽう着を着る気はないのか、下で脱いで来たのか、今は普段着だ。
 目の下に何となくくまができているように見えた。不機嫌なのは確かなようだ。その目が、ウォンの姿を見つけていっそう険しくなる。
 そのわずかな変化に気づいたウォンは、むっとして口を開いた。
「なんだよ、その態度」
「なんでもない」
「あ〜〜根暗っ! うっぜー。そういう態度がむかつくってんだよ」
「うるさいな。口に出して言えば、消えてくれるとでも言うのか? 見たくないものを見てしまっただけだ」
「ああ!? なんだそりゃ!」
「おまえの、鬱陶しい、うるさい、目障りな顔だ!」
「はいそこまで。続きがやりたかったら食べてから好きなだけやりなさい」
 今にも取っ組み合いになりそうな険悪な二人をあっさりさえぎったのは、ルツだった。おもしろいことに、ルツが間に入ると、二人の殺気立った雰囲気はわずかに柔らかくなる。
「なんだか、ご主人様にお預けを食らってる動物たちみたいだなぁ」
 そんな感想をもらしたラプラの見解は、意外と的を射ていたかもしれない。
 ウォンが、何かのついでのように言った。
「おい。おまえ、剣とか使えないか?」
 なんとも不本意な口調だった。できるだけ関わり合いになりたくないと思っている相手と、普通に口をきけるほど、ウォンは器用ではない。
 聞かれたキルトも、ウォン以上に不機嫌そうだった。
「剣なんか使わない」
「使えねえの間違いだろ、そんなへっぴり腰じゃ」
 二人とも目を合わせないまま、応酬は続く。
「剣をぶんぶん振り回すしか能のない奴とは違うからな。あんな使い道の少ない武器は使わない」
「できないことに挑戦しない負け犬の言い訳ってやつは、だいたいいつも同じだよなぁ」
「……いちいち、うるさいやつだな! 俺には俺の武器があるから、剣は必要ないって言ってるんだ!」
「何だよおまえの武器って。その小せえオモチャか?」
 キルトは、ゆうべ大量に汚れた食器の片付けと厨房の掃除と鍋磨きを、夜遅くまでやらされていた。その上、今朝も朝食の仕度だとかで朝早くから叩き起こされ、今までずっとその手伝いをしていた。
 ただでさえ寝不足は人を苛立たせる。そこにウォンがしつこく絡んできては、キルトの忍耐も限界だった。
 全身から殺気をたちのぼらせて、無言で腰のホルダーから短銃を引き抜く。
「今なら許してやる。取り消せ」
 本当に許すつもりがあるのか疑わしい雰囲気だった。安全装置はすでに外されている。もちろん、取り消す気はウォンにはかけらもなかった。これまた物騒な顔つきで、背中の剣を引き抜く。
「そんなオモチャで剣の相手になると思ってんのか?」
 ルツはもう止めなかった。
「なんだよ。そっちからふっかけてきたくせに、いざとなったらビビったのか?」
「ほかにまだ言い遺すことがあったら聞いてやる」
 構えた右手の下から左手をそえて、キルトはウォンの眉間をまっすぐとらえた。
「それは、こっちのセリフだ!」
 キルトの銃にはまったくかまわず、ウォンは大きく踏み込んで剣を振るった。
 キルトも、ウォンの剣をかわそうともせず、引き金に掛けた指に力を入れた。

 パンッ!

 軽い音が、甲板に響いた。
 二人とも間近で向き合ったまま、動きを止めた。
 二人の動きを止めたのは、ラプラだった。一瞬の呼吸をはかって二人の間に身体をすべり込ませ、片手でキルトの右腕を軽く押し、もう片手はウォンの剣を握る手首をつかんでいた。
「――剣と銃は、やめときなよ。洒落にならないからね」
 そう言って、二人がこれ以上続ける気がないのを確認してから、ゆっくり手を放す。
「驚いたな」
 その様子を遠巻きに見ていたカイツが、ラプラに言った。
「あんた、思いきりのいい動きをするな。それとも、銃の危険性を知らないで飛び込んだのか?」
「知ってるよ。銃の直線的な軌道も、だいたいはね。だから、横からなら飛び込めるのさ」
「なるほど」
 カイツは、キルトの方をしげしげと見て続けた。
「おまえはもしかして、剣と一対一でやったことがないだろう」
「……なぜだ?」
「そりゃあ、まったくかわす様子がなかったからさ。いくら相手がまっすぐ突っ込んできたからといって、止まってる的を撃つのとまるで同じやりかたをするのは、無茶ってもんだ」
 さらにウォンの方にも言った。
「おまえは銃に狙われた経験がないだろう」
「なんでだよ」
「鼻先に剣を突きつけられたら、おまえ、どうする?」
「そりゃあ、降参するだろ。もし相手が殺す気でやってんだったら、死に物狂いで逃げるけどよ」
「それと同じさ。銃で狙いをつけられたら、降参するのがふつうだ。ちょっとでも動いたらその瞬間に、撃たれておしまいだ」
 どっちも命知らずなガキだな、と言ってカイツは笑った。
 まだ憮然としているキルトの短銃に、サンクが興味をしめした。
「俺も何度か射撃場で撃ってみたことはあるが、銃はけっこう扱いが難しいんだよな。おまえ、どんな銃使ってるんだ?」
 じろじろと短銃をながめ、銘を見て「へえ」とか「おお」とか声を上げる。
「こんな若いうちから銃を扱えるなんて、意外だな。どれくらい遠くの物を狙えるんだ?」
 興味本位の質問だったが、キルトは少し誇らしげに答えた。
「あの支柱くらいの大きさなら、ここからでも十分当てられる」
「おお、そいつはすごいな。ちょっとやって見せてくれよ」
 キルトの指した支柱は、船の中でも最も太くて重要な柱だった。帆をかけた横長の棒をその支柱一本で支えている。しかし太いといっても、キルトたちのいるところからはけっこう離れていた。
「かなり遠いんじゃないか……?」
 カイツもおもしろそうにのぞきこんできた。
 キルトは両足をしっかり踏みしめて、右腕をまっすぐかまえた。左手はその下にそっとそえて反動に備える。深呼吸をして、支柱を見据えると、もう支柱以外の物が目に入らなくなる。
 キルト自身、特に難しいことを考えて狙いを定めているわけではない。いつも何となく、どうやれば的に命中させられるか、理屈ではなく感覚でわかるのだ。だから、教えて欲しいと頼まれても教えようがない。
 いつ引き金を引けば当てられるのかも、同じように感覚でわかった。

 ――今。

 そう感じた瞬間、引き金にかけた右手の指に、わずかに力を込める。
 まさにその時、どんな運命のいたずらか、ジーナが階段をのぼってきた。船室に続く階段から甲板に出ると、その位置はキルトと支柱とのちょうど間になるのだ。
 「あっ」と思った時には、すでに引き金を引いていた。

 パァン!

「あぶない!」
 もう遅い、そう思いつつキルトは必死に叫んだ。
 何が起こったのか――ジーナはとっさに分からず、きょとんとしてこちらを見ていた。
 周囲で見ていた男たちも、あわててジーナに駆け寄った。
「ちょ、ちょっと、何よ。どうしたっていうの?」
「大丈夫か!」
「どこかに当たらなかったか?」
 口々に心配されて、ようやく自分がキルトの短銃の向いた先にいたのだと納得する。
「大丈夫よ、どこにも当たらなかったから」
「そうか……、いや、あせった。今のは絶対当たったと思ったからな。心臓が止まるかと思ったよ」
 顔に汗を浮かべながら、カイツも安心して笑った。
「驚いたのはこっちよ。ご飯なのに誰も降りてこないから、どうしたのかと思って見に来たのよ」
 そこに突然、この騒ぎだ。
 口では怒ったように言いながらも、ジーナの眼は笑っていた。
 傭兵たちは「狙いが外れてよかったな」とか「次からは気をつけな」などと言いながら、キルトの肩を叩いて階段を降りていった。

 甲板に誰もいなくなっても、まだキルトは自分の右手をじっと見ていた。
 短銃を持ったままだ。
 弾倉を確認してみるが、確かに2発分、減っていた。一発はウォンに向けて、もう一発は今撃った分に間違いない。不発だったわけでは、なさそうだ。
 最初の一発はラプラに腕を押されて狙いが上にそれた。だから船の中には弾は残っていないだろう。
 だが、今のは、間違いなく支柱をとらえていたはずだ。さっきは「狙いが外れて」などと言われたが、キルトには絶対にそれていない自信があった。もしジーナに当たっていないなら、支柱に当たっていなければおかしい。そう思って支柱を確認したのだが、何度見直してもどこにも弾痕はなかった。
 それ以上に、キルトはどうしても腑に落ちないことがある。
「……今のは、確かに当たった手応えがあった」
 不思議なもので、飛び道具にも当たり外れの手応えというものはある。引き金を引いた瞬間、当たったと確信できた。ジーナに、だ。それも、狙いの位置から考えれば、胸の中心あたりだ。
 キルトは最悪の事態を覚悟していた。しかし実際には、かすりもしなかったと言う。
 そんなはずはない。
 あの呼吸、あのタイミングで、当たらなかったはずはない、そんな奇妙な確信があった。
「けど、本人が当たらなかったって言ったからな」
 まさかジーナに、当たらなかったフリをする理由があるとも思えない。第一、もしも銃弾に当たっていれば、しようと思っても平静を装うことなどできないはずだ。
「それに、血の痕もどこにもないし……本当に、当たらなかったのか」
 釈然としなかったが、それ以外に考えようがない。
 自分の感覚には自信があるが、今回ばかりはそれが外れたようだ。そう考えるしかなかった。
 念のため甲板や支柱に弾痕が残っていないか、もう一度確認してみたが、弾痕はもちろん弾そのものも船には残っていなかった。
 キルトはそれ以上の探索をあきらめて、食堂へと降りていった。

     *

「味が濃いわ」
 キルトの眉がぴくりと上がる。
「それに、塩味ばっかり。もう少し味に工夫を凝らしたほうがいいわね」
 キルトが目の下にクマを作ってまで用意した朝食を、ルツは溜め息混じりにそう評した。
 魚を塩漬けにしておいたものと、イモをゆでてつぶしたもの。それにチーズを一切れ。
 ルツが指摘したのは魚についてだった。逆にイモのゆでたものは味がうすくて舌触りが良くないとか、チーズが固くて食べにくいとか、好き放題に言いながら、一番綺麗に皿を空にしたのもルツだった。
「そうか? そんな気になる味でもないだろ」
 ウォンは頓着せず、イモを何杯もおかわりして食べていた。魚の食べ方が雑で、骨のまわりにまだ食べられる部分がたくさん残っていた。それがルツの気に障るらしい。
「もったいないわね。というか食べ方が汚いわよ。もっと上手に食べなさい」
 骨つきの魚の食べ方には、その人の性格がよく表れるものだ、とラプラは思った。
 傭兵たちはあまり綺麗な食べ方ではなかった。特にサンクは食べやすそうな部分だけをほじって、骨に近い部分の身にはほとんど手をつけていない。ライモンは――彼の皿には魚の痕跡がなにも残されていなかった。骨まで残さず食べてしまったのだろうか。そしてジーナは相変わらず、魚料理にはいっさい口をつけていなかった。
 キルトは几帳面に小骨を一本ずつ外して食べていたが、おそろしく時間がかかっていた。ウォンの食べ方はルツの指摘どおり雑で皿いっぱいを汚していたし、一方のルツの皿には魚の化石のような綺麗な骨だけが魚の形そのままに残っていた。そしてシエリは――シエリは、その場にいなかった。
「あれ? シエリはまだ起きてこないのかい?」
 ラプラが今さらそのことに気がついて、ためしにルツに聞いてみた。
「ええ。今朝も様子を見に部屋へ行ってみたけれど、寝てるというよりは意識が戻ってないみたいね」
 ルツの表情はさえない。シエリの様子が気にかかっているようだった。
「外傷はもちろんなかったし、脈も瞳孔もおかしいところは特にないわ。何が原因か分からないから、残念だけど薬を調合することもできないのよ」
 それに、もし薬ができたとしても意識の無いシエリにそれを飲ませるのは難しいだろう。なんとか水だけでも飲ませないと危ないかもしれない、とルツは思っていた。
「そういえば、外の見張りは今誰が?」
「ああ、たぶん船員の誰かがやってると思う」
 ブランガルの問いかけに、カイツが答えた。
「あいつらも食いたいだろうな。俺はもう食ったし、交代に行ってやるか」
 そう言って、カイツはとなりに座っていたライモンを誘うと、部屋を出ていった。
 ところが、交代してもらった船員たちがやってくるかと思えば、なかなか現れない。はじめのうちはブランガルも気にとめなかったが、全員がすっかり食事を終えてもまだ誰もやってこないと、さすがにおかしいと思い始めた。
「何かあったのか?」
「ちょっと見てくる」
 サンクが剣をかついで飛び出していく。
「……もしかしたら、また敵の襲撃が……?」
 ジーナが不安そうにつぶやいたときだった。重たいものが甲板に落ちるドサリという音を、その場にいた全員が確かに聞いた。
「!」
 ラプラとラギ、そしてブランガルは反射的に立ち上がった。ウォンも遅れなかったが、傭兵としてこの場の誰よりも早く動くべきであるジーナが、わずかにためらっていたのを、ラプラは見ていた。
 ブランガルがてきぱきと指示を出す。
「ルツはあの子供のところについててやってくれ。誰かもう一人、護衛に――」
「いいえ、必要ないわ。自分のことくらい自分で何とかできる。あの子一人くらいなら大丈夫よ」
「そうか。じゃあ下のことはあんたに任せる。残りは全員、一緒について来い!」
 全員ということは、キルトやウォンも入る。ブランガルに続いて、ラギ、ウォン、キルト、ジーナが駆け出した。
「……あなたは行かなくていいの?」
 まだ残っているラプラに、ルツは視線を向けた。
「ああ……うん。ちょっと気になることがあったんだけどね。……ま、いいか」
 シエリをよろしく、と言ってラプラも5人の後を追った。
「気になること……?」
 ルツは首をかしげた。気になることは、甲板にあるはずではないのか。
「なにか、あったかしらね」
 ルツはルツなりに、船に乗り込んでから色々と注意していた。同行者のふるまいに怪しい点はないかどうか、海や空から何かが襲ってくる様子がないかどうか。
 少しでも危険の兆候があれば見逃しはしなかった、と思う。
 今のところ、ルツの気になる点は一つだけ。シエリが倒れた時のことだった。甲板で風に当たっているときに、耳飾りをはずして急に倒れた。あまりにも不自然だ。
「原因の分からない病人が、一番やっかいなのよ」
 溜め息まじりにつぶやくと、ルツもその場を後にした。





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