第1章 見えない月の導き


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 ウォンは右手で身体の横にかまえ、サンクは両手で正眼にかまえる。真剣な表情のウォンとは対照的に、サンクの顔には笑いが張りついていた。
「にやにやしやがって。馬鹿にしてんだろ……おまえこそ後で吠え面かくなよ!」
 それが挑発だとはちらりとも考えず、ウォンは一気にサンクとの間合いを詰めた。大きく振りかぶった剣がサンクの脳天めがけて振り下ろされる。
 しかしその時にはすでにサンクは剣の下になど居なかった。素早く身をかわして、ウォンの左側に動く。つまり剣を持っていない側だ。片手持ちなら、反対側には剣が届きにくい。
「げっ!」
 あせったウォンはすぐに剣を返そうとするが、大振りしてしまったので大きなスキが生まれている。サンクにとっては絶好の機会だった。しかしサンクは正眼のかまえを解かずに、そのまますっと身を引いた。
 同じようなことがさらに2度続いた。サンクは相変わらずにやにやしている。この時ようやく、ウォンはからかわれているのに気がついた。
「てんめぇ! まじめに相手しやがれ!」
「おまえこそ、まじめにやる気はあるのかよ?」
「んだと?」
「さっきから馬鹿の一つ覚えみたいに、突進して正面からの大振りばっかり。これじゃ、どんなアホでもかわすのは簡単だし、そのスキをついて攻撃するのも楽勝だ。おまえ、本当に本気でやってるか?」
 まじめな顔でそう聞き返されて、ウォンはますます頭に血がのぼった。
「大まじめだ!!」
 その一撃は、これまでよりも格段に速い動作だった。油断していたサンクは、とっさに反応が遅れた。

 ――ギィン!

 鋭い金属音とともに、サンクの剣が跳ね飛ばされる。
 宙を飛んだ大剣は、ガツっと音を立てて、甲板の少し離れたところに突き刺さった。
「うおっしゃああああああ!」
 ウォンは剣を持った手を高々とかざして、勝ちどきをあげた。汗だくの顔には、満面の笑みが浮かぶ。
「勝った勝った! へへーんだ、ざまーみろ。油断してるからだぜ!」
 くるりとサンクのほうへ振り向いた時、その笑顔が固まった。
「そのセリフ、そっくり返すぜ」
 ウォンの鼻先に、サンクの短剣がぴたりと突きつけられていた。
「――な、ひ、卑怯だぞ! そんなの、剣を飛ばされたんだからあんたの負けだろ!? 潔く認めろよ!」
「そんな取り決めはしてないぜ? おまえは確かに俺の剣を飛ばしたが、それだけだろ。とどめを刺してない。まあこの場合は寸止めだけどな。だから俺は、戦いの最中だってのにがら空きの背中を向けたおまえに反撃した。それだけさ」
 あっさり言われる。
 確かに、その通りだった。ウォンはとどめを刺していなかった。今さら気づいても遅すぎる。
「ははッ! いい勉強になっただろ、坊主」
 横で見ていたカイツが、笑いながらサンクの勝ちを宣言した。
 サンクは短剣を腰の鞘におさめて、ウォンに向かって右手をさし出す。ウォンも、心底悔しそうな顔をしながら、右手を伸ばした。
「くそっ。確かにあんたの言う通りだよ。けどな! 次はこうはいかねえからな!」
 乱暴に握手しようとしたが、その手をバシっと叩かれる。不審に思ってサンクを見た。
「10レータだよ、10レータ。賭けただろ? もう忘れたのかよ」
 呆れ顔で言われて、ウォンも思い出した。そういえば、これは賭け試合だったのだ。とたんに顔色が悪くなる。
「あー、その、だな。金な。払うよ、払うけど、ちょっと今持ってねえんだよ。ははは。そうだ、ルツが持ってるから、ルツが払うよ」
「ルツ? あの黒髪の姉ちゃんか?」
「金持ちっぽいから10レータくらいどっかに隠し持ってるぜ、きっと」
 そう言った瞬間、どん、という音とともにウォンが前につんのめった。頭から甲板に突っ伏す。
「あんたの金なんか1キューだってないって、教えてやらなかったかしら。いつまで学習しないの、この頭は」
 ぐりぐりとその背中をかかとで踏みつけながら、いつの間に背後に忍び寄っていたのか、ルツが冷静に指摘した。そのままの態勢で、ルツはサンクを見る。
「残念ながら、この子には10レータなんてとうてい払えないわよ」
 どうするつもり?
 そう、目で問いかける。
「おまえなあ、金がないくせに賭けになんか乗るんじゃねえよ!」
 呆れ半分、怒り半分にサンクは言った。もちろんウォンに向かってだ。地べたに這いつくばっているウォンには、言い返す言葉もない。
「仕方ないな。なんか、担保になりそうな物でもいいぜ? と言ってもたいして高そうなモノなんか持ってそうにないが……お、そのホルダーなんかでもいいな」
「だめよ。残念だけどそれはすでに私の物なの」
 ルツが答えた。
「おまえ、すでに質草かかえてんのかよ! それなのに賭けやがったのか!?」
 もう怒る気も失せた様子で、サンクは肩をすくめた。
 そこに、ラプラが口をはさんだ。今までずっと、すみの方で手足を伸ばしたり縮めたり、のんびり柔軟をして身体を動かしていたが、ウォンのところまで歩いてきてしゃがみこむと、こう言った。
「もう1度、ほかの人と10レータを賭けて勝負したらどうだい?」
 まるでおもしろいことを考えついた時の、いたずらっ子のような表情だった。
「その試合に勝ったら、巻き上げたお金を彼に渡せる。問題なしさ」
 ウォンが、がばっと飛び起きた。
「それ、いい考えだな! でもよ、あんたが相手になるのか?」
「いやあ俺は剣はあんまり強くないから」
 へらへら笑ってラプラは断わり、かわりにラギの方を指した。
「彼はどうかな? 剣を使うみたいだしね」
 ラギは、となりの騒ぎなどまったく耳に入っていないかのように、相変わらず自分の型の動きに集中していた。
 ウォンはずかずか近づいていって、声もかけずにラギの腕をつかんだ。
 いや、つかもうとした。気がつくと、なぜかウォンの手はラギの左手首の少し先の空間を、むなしくつかんでいた。
「あ?」
 ぱちりと目をしばたいたが、やはり自分の空のこぶしが見えるだけだ。そこでラギはウォンに気がついて、動きを止めた。にこりと笑いかける。
「どうかした?」
「あ、おう! オレと勝負してくれ」
「だめ」
 にこやかに断わられた。あんまり爽やかな断わり方だったので、ウォンは一瞬断わられたことに気がつかないくらいだった。はっとして、あわてて聞き返す。
「だめ? だめって言ったのか?」
「そう。だめ。僕はまだ修業中の身だから、勝手に試合することは許されていないんだよ」
「なんだそりゃ。いいって、気にすんな! ちょっと相手してくれればいいだけだから」
 あっけらかんと言うウォンに、きっぱり首を振るラギ。笑顔のままだが、そこには強い意思があった。
「だめだよ。そんなことをしたら破門になってしまう。ほかの人をあたってくれないかな?」
 へたに強い口調で言われるよりも、笑顔の方がよほど言い返しにくかった。だがここで言い負けたら、ほかに勝負になりそうな相手はいないのだ。ウォンも食い下がった。
「なあ、そこをなんとか頼むって。破門って言うけど、そんなの、言わなきゃばれやしねえよ。オレは誰にも言わねえから、いいだろ?」
 だが、ラギも引かない。
「そういう問題じゃないんだよ。これは僕の問題。僕が自分で師匠についていくと決めて、自分でその言いつけを守っている。もし破れば、僕は自分で決めた師匠を自分で否定することになってしまう。そんなことはできないんだ。自分に嘘は、つきたくないからね」
 それは決して厳しい言い方ではなかったが、ウォンの胸に深く刺さる言葉だった。
 これ以上は言い募れない、そう思った時。
「じゃあ、君が勝手に斬りかかればいい」
 またしてもラプラが助け船を出した。
「彼に向かって一方的に攻撃をしかければ、彼には立派な正当防衛の権利ができる。それなら、応戦しても破門の条件にはあたらないはずだよ」
「おお! あんたって頭いいなぁー。よし、それでいいか?」
 ウォンはラギに念を押した。今から斬りつけるから、ちゃんと防いで反撃してこいよ、と。無茶苦茶な話だったが、ウォンはどこもおかしいとは思わない。
 ラギは苦笑したが、今度はだめとは言わなかった。
「負けた方が10レータだからな!」
 ここで初めて賭け金のことを口にして、ウォンは先ほどと同じように思いきり斬りかかった。
 ラギの動作はゆっくりしていて、どちらかといえば雰囲気もおっとりしている。これなら楽勝だ、と頭のどこかで考えていたのを、ウォンは否定できない。
 しかし、たとえそんな慢心がなかったとしても、ラギの次の動きは予想できなかっただろう。
「――へっ?」
 三歩ほど、間合いがあったはずだった。だから少し踏み込みながら、剣を振り上げたのだ。ラギは剣を抜きもしないどころか、構えすらとらなかった。寸止めできなかったらやばいな、そう思いながらも、剣の速度はゆるめなかった。
 まばたきすらしなかったはずだ。それなのに、気づいた時にはラギが自分のすぐ足元に重心を沈め、切っ先を背中に軽く押し当てていた。剣をいつ抜いたのかさえ、分からなかった。
「……うそだろ?」
 ごくっと喉が鳴る。
 ラギはゆっくりと立ち上がりながら、ウォンの背中から剣を離す。
「これで満足してもらえたのかな」
 冗談ではない。なにが起きたかわからなかったのも不覚だが、それ以上に借金が倍に増えたことが大問題だった。
 ウォンが暗い顔で頭を悩ませていると、ラギが笑顔で言った。
「ああ、お金の心配をしているんだね。10レータか。気にしないでいいよ、僕は受け取れないから」
「え、なんでだよ? そりゃあ助かるけど……」
「師匠から厳しく言われているから。『弱い者に剣をかざして金を奪うようなまねは、決してしてはならない』って」
 憎らしいほど爽やかな笑顔だった。ラギには悪気などないのだろうが、暗に『弱い者』呼ばわりされたウォンは顔色を変えて叫んだ。
「払う! ぜってー払うからな! 10レータ、忘れんなよ!」
「いいや、受け取れない」
「ふざけんな! 誰が弱いモンだ、誰が!?」
「どうしてもというなら、僕より強くなってから言うんだね。それまではどうしたって、君からのお金は受けとれないんだよ」
 ごめんね。と、まっすぐな目で言われて、ウォンは最高に腹が立った。思わずつかみかかりそうになったのを、ラプラが羽交い締めにして止める。
「どうどう。落ち着いて、落ち着いて。負けは素直に認めなくちゃ」
「止めんな! あいつに受け取らせなきゃ気がすまねえ!」
「受け取らせる金がどこにあるのよ?」
 ウォンの興奮を一気に冷めさせるだけの力が、ルツの言葉にはあった。ラプラを手伝う形で、ルツもウォンの頭に手をそえた。その顔に、ちろっと冷たい一瞥を送る。
「これで、借金が20レータになったわね。どうするつもり?」
 同じことを、サンクも言いたかっただろう。思わず甲板を見わたして、ウォンは助けを求めた。
「言っておくが」
 カイツが先に釘を刺す。
「ライモンは武器を使わないから、おまえの相手にはならないぜ。まあ仮に試合したとしても、十中八九おまえの負けだろうけどな」
「そうだな。俺も何度かやったことがあったが、あいつには一度も勝ててないからなぁ」
 サンクにそう言われてしまっては、ウォンも無理を言うことはできない。
 無言でぐるぐると悩んでいると、誰かが階段を上がってくる足音がした。





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