第1章 見えない月の導き


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 ブランガルたちが甲板に上がると、音の正体はすぐに分かった。
「おいっ、大丈夫か!」
 倒れていたサンクに駆け寄る。
 続いて上がってきたラギが、後ろから来たウォンとキルトに船の左右を調べるように言って、自分はブランガルの方に走る。
「無事か? 何があった?」
 ブランガルがサンクの肩をつかんで仰向かせると、まるで死人のような青い顔がのぞいた。
「おい、しっかりしろ、サンク!」
「どいてください」
 あせるブランガルを押しのけるように、ラギがひざまずく。サンクの様子をひと目見てわずかに眉を寄せるが、すぐに両手をサンクの胸に押し当てた。
「何をする気だ?」
「心肺蘇生……応急処置ですが」
 答えながらも、手は止めない。体重をかけてサンクの胸を強く圧迫する。人工呼吸とあわせてかなり長い間繰り返すと、突然サンクはびくりと反応した。
 身体を二つに折り曲げながら、何度も水を吐き出す。まるで溺れかけた者のようだった。海とはいえ、船の上で。
 ラギは、肩で息をしながら額の汗をぬぐった。
「これで……もう、大丈夫ですよ」
 ブランガルに向かってほがらかに微笑む。
「げほッ……う……」
 サンクがかすかに目を開けた。まだ苦しいのか、そうとう水を飲んだのか、目には涙を浮かべていたが、意識はしっかりしているようだ。
「あ……あんたが、助けてくれたのか……?」
 ラギに向かって小さく礼をのべた。
 真剣な表情でブランガルが詰め寄る。
「話せるか? 話せるなら、一体何があったのか教えてくれ」
「ああ……くそッ……気をつけろ、あれは……多分、マーメイルだ」

 その頃、最後に甲板に上がってきたラプラが、立ち止まっていたジーナに疑問を投げていた。
「……昨日見せてくれた結界魔法、どうして効かなかったんだい?」
「あれは一日限りの魔法だから、日が昇ったらまたかけ直さなきゃダメなのよ。今朝はまだかけてなかったんだから、仕方ないじゃない」
 悔しそうにジーナは答える。その横顔はわずかに紅潮していた。怒りのためだろうか。
 ラプラはぐるりと甲板を見わたしたが、サンクのほかに人間は見当たらない。
「カイツやライモン、それに、見張りに出ていた船員たちはどこだ?」
「これ……何かしら」
 ジーナがふと足元を指す。そこには何か濡れたものを引きずったような跡が、残されていた。
 たどってみると、その跡は船べりと見張り台のある柱を一直線につないでいた。
 見張り台を見上げてみるが、下からでは様子が分からない。
 背筋がぞくりとした。何かが、海から這い出して、見張りを襲ったのだろうか。
「船長さん!」
 ラプラはとっさに走り寄って状況を確認しようと思ったが、サンクの話の方が先だった。

「マーメイル?」
 ラギには初耳だった。
「マーメイドなら聞いたことがありますが……」
「マーメイドは人魚だな。女と魚のあいのこのような姿をした海の魔物だ。マーメイルは、マーメイドの使い魔と考えられているが、海のゴブリンのような化物だ」
 さすがに海の事情には詳しいらしく、ブランガルが説明した。
「水中でも陸の上でも動くことができて、怪力で、知能は低いがマーメイドの命令には忠実だ。やっかいなのが出てきたな……」
 憎々しげにブランガルが言った。その背後から、ラプラが質問する。
「すると、他の傭兵さんたちや見張りの船員たちも、そいつらが?」
 サンクは首を振った。
「わからん。……俺が来たときには、見張りに出ていた奴がマーメイルに海に引きずり込まれるところだった。ライモンやカイツの姿は見ていない」
 では、もしかすると見張り台に登った可能性もある。ラプラは隣にいたウォンとキルトに、見張り台を見てきてくれるように頼んだ。
 ウォンはすぐに柱に飛びついて、軽々と登っていった。キルトもけっして遅くはなかったが、ウォンの速さはまるで動物のようだった。
「へっ。軽いもんだぜ」
 あっという間に見張り台に手が届くと、そのままぐいっと身体を引っぱり上げた。
 そこにはカイツが血を流して倒れていた。
「おい、あんた、大丈夫か!」
 肩をつかんで、ガクガクと遠慮なくゆさぶる。ようやく登ってきたキルトが、それを見て血相を変えて叫んだ。
「馬鹿、ゆするな! そいつ、頭から血を流してるじゃないか!」
「ああ? 誰がバカだ、誰が!」
「いいから、どけ!」
 見張り台は本来、一人か二人用に作られていて、そこに三人も入るとさすがに窮屈だった。キルトはウォンを突き飛ばすようにしてカイツから手を放させた。
「何しやがる!」
「いい加減にしろ! こいつ、死ぬぞ、このままだと」
 ウォンはいきり立ったが、それよりもカイツの方が深刻だった。
 キルトの言葉に、ウォンもあらためてカイツを見たが、確かにずいぶんケガが多い。狭い見張り台の床には、かなりの量の血が流れ出ている。
「下の連中に――!」
 キルトが立ち上がって下を見た時、甲板は戦闘状態に陥っていた。

 ブランガル、ラギ、ラプラ、ジーナの四人が、倒れているサンクを守るように円になって立ち、外側に向かって武器をかまえている。
 四方から現れたのは、あきらかに彼らを狙っていると分かる様子の、マーメイルだった。
「船長さん……」
 ラプラが、前方のマーメイルをにらんだまま、小さな声で話し掛ける。
「こんな時に言うのは申し訳ないと思うんだけど……」
「なんだ」
「俺のことは、できるだけ戦力には数えないでほしい」
「今さら言われても、手遅れだ」
 もっともである。
 だがラプラは、自分の力を過小評価しているわけではなかった。怪力自慢の化物を相手に戦うには、ナイフはあまり適切ではない。そう、冷静に判断したのだ。
「……じゃあ、サンクを担いで、あそこまで逃げるっていうのは?」
 ラプラは、船室への階段を指差す。ブランガルはちらりと目をやったが、かすかに首を振った。
「だめだ。遠すぎる。マーメイルの動きはけっして遅くない。もし連中の狙いが俺たちの誰かではなく、全員ならば、固まって応戦した方がいい」
「仕方ないか…」
 ラプラはため息をついて、覚悟を決めた。
「来るぞ!」
 ブランガルが叫ぶのと同時に、マーメイルたちがいっせいに襲いかかってきた。その数、4体。
「一人1体と考えれば、ちょうどですね」
 ラギが、腰の剣を抜き放ちつつ、そう言った。
 しかしマーメイルは、人間の予想通りには動かなかった。
「あっ!」
 一瞬のスキをついたのか、ジーナの横をすり抜けて、マーメイルのうちの1体がサンクに襲いかかる。それにはとっさにラギが反応していた。サンクをかばうように立ちはだかり、マーメイルに向かって剣を振るう。
 だがそうすると、ラギがいた場所にスキが生じる。そこを抜け目なく狙ったマーメイルに、今度はブランガルが応戦した。
「きゃ……!」
 ジーナが悲鳴を上げた。その首に、ぬめぬめと光るマーメイルの太い腕が、がっしり取りついていた。
 ラプラがとっさに、ナイフを投じる。至近距離からの攻撃をかわせなかったのか、それともかわす意思がなかったのか、ナイフは見事にマーメイルの眉間に命中した。耳障りな悲鳴が上がり、力の抜けた身体がずるりと崩れ落ちる。
 解放されたジーナは、海に落ちたかのようにずぶ濡れになっていた。マーメイルの身体がぬらぬらと濡れているせいだろう。
「大丈夫か?」
「ええ、……ええ。ありがとう」
 ぐしょぐしょになった服を気持ち悪そうにつまんでいたが、ケガはなさそうだ。
 残るは3体。これなら何とかなるか、とブランガルが思ったときだった。さらに3体のマーメイルが、船べりから這い上がってきた。
「まだ増えるのか!?」
 知能が低いからといって、弱いわけではない。怖れを知らぬ敵ほどやっかいなものはない。
 ブランガルは目の前の一体に斬りつけたが、その肌が奇妙にぬめっていて、刃が滑ってしまう。ラプラが投げたナイフのように、突き刺す攻撃でなければ通りにくいのだ。
 弱っているものから狙う習性でもあるのか、そういう命令が出されているのか、マーメイルはブランガルを無視するようにサンクに近付いていく。ラギも善戦していたが、それでも先ほどの一体を相手にするのが精一杯で、もう一体にはとても手が回らない。
「まずい……!」
 ブランガルが絶望的な声を上げた。
 その時だ。

「でやああああああああああぁッ!!」

 雄叫びとともに、上空からウォンが飛び込んでくる。
「馬鹿か、貴様は――!?」
 キルトの止めるスキもなかった。下が戦闘状態だと分かると同時に、ウォンは見張り台から飛び降りていた。かなりの高さがある。並みの人間なら良くても足を痛めるだろう。骨折する可能性も十分ある。
 だがウォンは、躊躇うことなく飛び降りた。
「くらえぇッ!」
 落下の勢いを利用した渾身の一撃は、サンクに襲いかかろうとしていたマーメイルを甲板に串刺しにした。ウォンの剣は、マーメイルの脳天からまっすぐ下に向かって突き刺さり、そのまま甲板まで貫通したのだ。
「見たか!」
 落下の衝撃を全て受け止めた腕はビリビリと痺れていたが、ウォンの気分は高揚していた。
「どうだ、これで5対5だぜ!」
 だが、ウォンの言葉をあざ笑うかのように、ふたたび2体のマーメイルが甲板に上がってくる。
「……キリがないな」
 ラプラがうんざりとボヤいた。ブランガルもまったく同意見だった。
「こいつらは下っ端なんだろ? だったら、親玉を倒せば一気にかたづくんじゃねえのか?」
 ウォンが、鋭い指摘をする。だがラプラはそれを否定した。
「マーメイドかい? それは……できれば、出てきて欲しくない相手だな」
「こいつらに命令を下しているマーメイドが、どこかにいるんだろうが……そいつに出てこられると、これよりもっとやっかいなことになる」
「なんでだよ?」
「マーメイドはな」
 ブランガルは憎らしげに言った。
「海の男にとっては天敵のようなものだ」





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