第1章 見えない月の導き


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 すっきりとした目覚めだった。
 胸の奥にずん、と重くのしかかっていた気持ちの悪さが、どこかへ消えてしまったようだ。
 ウォンはのどが乾いていることに気がついて、無性に水が飲みたくなった。船室には窓がないので朝かどうか分からなかったが、とりあえず起き出した。
 寝台からおりると身体の節々がぎしぎしと鳴る。ウォンは顔をしかめた。
「ちょっと寝てたくらいでこれかよ……」
 声がかすれていた。まず水だ。それから、運動。
 手探りで剣を探す。枕元の台の上に、ホルダーに収まった剣があった。壁にはいつもの上着が掛かっている。両方ともひっつかんで、ウォンは部屋を飛びだした。
 通路のつきあたりを見ると、上から明かりがさし込んでいる。夜ではないらしい。それなら誰か外に出てるだろうと考えて、そのまま甲板まで駆け上がった。

「うわっ! まぶしっ!」
 強烈な日射しがウォンの目を刺した。暗がりに慣れた目には、少々強すぎる。
「おっ。目が覚めたか、坊主」
「なんだ、まだ青い顔してるんじゃないか?」
 何度も目をしばたかせ、ごしごしこすっているうちに、なんとか目も慣れてくる。甲板では傭兵たちが汗を流していた。
「うるせーな。腹が減ってんだよ」
 そう答えてから、本当に空腹であることに気がついた。そういえば薬を飲まされた時以外、何も食べていないはずだ。
 ウォンは太陽の位置を確認した。まだ高くない。風は清々しい朝の空気を含んでいる。
「なあ、俺が寝てたのって昨日一日だけか?」
 その辺にいた傭兵に、ざっくばらんに聞いた。ウォンはまだその傭兵の名前は知らなかった。傭兵もウォンの事はほとんど知らなかったが、ウォンの態度は気にならないらしい。笑って答えた。
「おう。ほとんど丸一日伸びてたぞ」
「くそっ」
 そんなに長い間意識がなかったのかと思うと、悔しかった。それと同時に、ルツの薬が確かによく効いたのも実感していた。具合の悪いところがどこにもない。強いて問題があると言えば、しだいに大きくなってきた空腹感くらいのものだ。
「腹減ったなぁ……」
「男がそんな情けない声を出すもんじゃないぜ。朝起きたらまず鍛練。一汗かいてから朝メシだろ」
「そうだ、それが傭兵の日課ってもんだ」
 剣を持ったサンクと、槍を構えたカイツが口々に言った。
 甲板には、傭兵の男たちとラギ、ラプラの5人が出ていて、思い思いに身体を動かしていた。サンクとカイツは得物がまったく違うのも気にせず一対一の試合をしているし、ライモンはよく分からない微妙な姿勢でじっと目を閉じている。
「なんであいつ、あぐらをかいて逆立ちしてるんだ?」
 うさんくさそうなウォンの言葉に、ラプラは無言で首を振った。「彼にはかまうな」ということらしい。
 そのラプラはのんきに柔軟体操をしているだけで、ラギは一人で誰の邪魔にもならないように、剣を構えて型をやっていた。
 ラギの型は見事なものだった。
 ウォンは剣の型なんて一つも知らなかったし、詳しくもなかったが、それでもラギの型の動作がすごいのは何となく分かった。完璧でスキのない流れるような動作に、ウォンは少し圧倒された。

「おりゃあ!」

 ――ガッ!

 サンクの気合いを込めた剣の一撃は、カイツの槍の柄によってしっかり逸らされる。カイツはそのまま槍をくるりと回転させて剣を弾くと、穂先を鋭く突き出してサンクの頭を狙う。
 剣を弾かれた拍子に態勢がわずかに崩れていた。剣では間に合わないと、とっさに判断したサンクは篭手を巻いた左腕を眼前にかまえて、槍の突きを器用にしのぐ。
「――なにっ」
 カイツにとってそれは意外な行動だった。よほど丈夫な篭手なのか、自分の技量に自信があったのか分からないが、突きを篭手でしのがれたのは初めてだった。
 そのわずかな動揺を見逃さず、サンクは剣を下段にかまえると、身を低く沈めて一気にカイツに接近した。
 あっと言う間もなかった。槍は間合いに入られてしまうと極端に動作が制限される。
 サンクの剣先がカイツの喉元をとらえて、ぴたりと止まっていた。
 カイツはゆっくりと両手を上げて、降参をしめした。
「まいったまいった。まさか篭手で防がれるとは思わなかった」
 苦笑しながらも、相手の勝ちを素直に認めて賞賛する。
「俺の篭手は特別製さ。切っ先をそらすくらいなら簡単にできる。ただまあ、槍の突きを弾いたのは俺も今回が初めてだった。さすがにちょっと不安だったな」
 こちらは汗をぬぐいつつ、笑って言う。もしも失敗していたら「ちょっと不安」どころのケガではすまないはずなのだが、明るい笑顔だった。
「……すっげえ! おんもしれー!」
 二人の対戦をじっと見ていたウォンの表情が、好奇心と興奮で輝いていた。
「なあ、俺もまぜろよ。あ、俺の武器って剣だから、あんたとちょうどいいだろ」
 突然の申し出に驚いたサンクだったが、横でカイツが吹き出した。
「おいおい、おまえ、今の見てなかったのかよ?」
 それは「強くなってから出直してこい」という意味があからさまな言葉だったが、ウォンも負けずに言い返す。
「見てたぜ。あんたは負けたんだろ、だったら次の相手は俺だ」
 これにはカイツもぐっと詰まる。逆にサンクが笑いだした。
「今のはきついなぁ、カイツ。確かに、負けたおまえには言い返せないよな」
 そして、ウォンの方に好奇心の混ざった目を向ける。品定めするように見られて、ウォンは少し居心地の悪さをおぼえたが、目はそらさない。
「だけどな、俺もただでおまえみたいな坊主に付き合ってやるほど親切じゃないんだ。どうだ、賭け試合にするなら乗ってやってもいいぜ?」
「それでいい! やろう!」
 ウォンは即答していた。
「威勢がいいなあ坊主。賭け金は10レータだ。負けて後悔しても遅いぜ」
 その言葉を合図にしたかのように、二人は背のホルダーから剣を抜いてかまえた。





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第1章 見えない月の導き