第1章 見えない月の導き


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 午後も相変わらず、明るい空だった。
 海から来るのか空から来るのかまったく見当もつかない敵に、誰もが緊張していたが、それでものどかな陽気の中にいると心がゆるんでくるものだ。

「いい風だなぁー」
「さっきの戦闘が嘘みたいに、海も空もおだやかだよなあ」
 船べりに上体をあずけて、傭兵のサンクとカイツがぼんやり海をながめていた。
 なんとも呑気な見張りだ。どこを見るでもなく、なんとなく海面や水平線のてきとうな所に目をやっているだけで、ぽかぽかと照りつける太陽の下、眠そうですらある。
 ライモンやジーナも甲板に出ていた。ライモンは船首の方にどっかり座り込んで、海の方を向いてはいるのだが、目はきつく閉じたままだった。それに気付いたジーナが不満の声をあげた。
「ちょっと! ちゃんと目を開けて見張っていなさいよ。なにを寝てるのよ?」
 しかしジーナの文句など子犬がキャンキャン吼えているくらいにしか感じないようで、ライモンの様子は変わらない。その態度でさらに機嫌を悪くしたジーナは、腰に手を当てて叫んだ。
「無視しないでちょうだい!」
「……邪魔をしないでくれ」
 ようやく、うっとうしそうにライモンは声を出した。目は閉じたまま、言葉少なに答える。
「海面や海中に気の乱れが生じれば、すぐに分かるように集中しているんだ。近くで騒々しくされたのでは気が散ってかなわん。どこかほかへ行ってくれ」
「…………!」
 まだ何か言い返そうと口を開きかけたが、ふんっと勢いよく顔をそむけてジーナはライモンから離れていった。数歩進んでから、何かまじめに考え込む顔になる。
 それをラプラが見とがめて、声をかけた。
「おや? 何か難しいことを考えてそうな顔だね、お姉さん」
「えっ。ああ、いいえ別に。何でもないわ。あなたは――」
 弾かれたように顔を上げた。一瞬で表情をつくろう。言葉をとぎらせて少し考え、そうそう、と続けた。
「ラプラって言ってたわね、確か。私の名前の意味を知ってた人だわ」
「覚えててくれたとは嬉しいね。ところでお姉さんは――」
「ジーナよ。あたし、あなたとそんなに年は違わないと思いたいんだけど?」
 ラプラは小さく笑って訂正した。
「ジーナは、魔法師だって聞いたけど。どんな魔法が得意なんだい?」
「そうねえ……そうだわ。今ちょっと見せてあげましょうか?」
「ぜひ見てみたいぞ」
 当然のように横から口をはさんだのは、シエリだった。
「あら、あなたも居たの。いいわよ、あたしみたいな高位の魔法師が使う魔法を見る機会なんてなかなかないでしょうから、じっくり見てなさい」
 ジーナは鷹揚に言って、サンク達とは反対側の船べりに近寄った。
 途中で声をかけたりしないでね、と断わってから、海に向きなおって両手を差し上げる。
 両の手首には細い鎖が二重に巻いてあり、小さな石が間隔をあけてつけられていた。それとは別に、大きな灰色の石が左右一つずつとめてある。それが彼女の魔法具のようだった。

「――シータとエータの狭間にて
    我が月の力を乞う
    水と光の金糸を紡ぎ
    虚空の中にあかしを示さん――」

 空気をかすかに震わせるような詠唱とともに、両手首の灰色の石が鈍い光りを放った。その光が手のひらに広がり、手から空中へ、そして海面を舐めるように駆け抜けて散った。ほんの一瞬のできごとだった。
「へえぇ。たいしたもんだね」
 ラプラが素直に感嘆の声を上げると、ジーナは満足げに微笑んだ。
「まあね。こんな広範囲に有効な結界の魔法を使える魔法師は、ちょっといないわよ」
「そうなのか」
 シエリは何気なく答えたのだが、その様子がジーナは気に入らなかったらしい。もっとはっきりと尊敬の眼差しを期待していた彼女は、シエリに対して詰め寄った。
「あなたみたいなお子様には、今のすごさがよく分からなくても仕方がないわね」
 シエリは小首をかしげて、静かに言った。
「今のは単なる結界魔法。範囲は広いが、強い敵意を持った生き物が引っかかった時に術者に警報を発するだけで、大した魔法ではないぞ」
 ジーナの顔が真っ赤になる。
「あ、あ……あなた、もしかして魔法師なの!?」
 そんなはずはない、とジーナの表情が語っていた。
 ふつう、魔法は師弟関係の中で伝授される。資料があれば独学で会得することも不可能ではないかもしれないが、いずれにしても魔法を扱うには素質が不可欠だ。
 素質のある者がちゃんとした師匠について魔法を学び始めるのが、早くて10歳。魔法を一人前に扱えるようになるまでには、最低10年の修行が必要と言われている。その常識に照らし合わせても、シエリがれっきとした魔法師であるはずはない。
 シエリはきっぱりと首を横にふった。
「魔法師などではないぞ」
「ええ、そりゃそうよね。そんな若さで魔法師だなんて聞いたことないもの。まあ、ちょっとは魔法について勉強したことがあるみたいだけど……自分でできもしないことを、知ったふうに言うのはやめたほうがいいわよ」
 小さく頬を引きつらせながら、ジーナはそう言い捨ててその場を後にした。
 ラプラはそんな二人を交互に見比べて、それから身を乗り出して海の方を見た。
「光ったのは一瞬だけで、今はふつうの海にしか見えないな」
「それはそうだろう。普通ならあんなに目立つやり方はしないものだぞ。網を仕掛けたのが敵に知れては意味がないからな。光らないようにこっそり仕掛ける。あれはあの女がわざと光らせたのだ。なぜかは分からないけれど」
「……なるほど」
 苦笑しながら、納得した。どうやらジーナはこちらに魔法を見せつけたかったらしい。その理由も、ラプラには分からなくもなかった。
「見くびられたもんだなぁ」
 こちらには魔法の知識などまったくないと思っていたのだろう。それで、多少派手な魔法を使って反応を楽しみたかったのかもしれない。
 ラプラ自身はこんなに派手な魔法を見るのは久しぶりだったし、素直に驚いて見せたのだが、シエリの反応がお気に召さなかったのだろう。
 ラプラにとっては、シエリの反応の方が興味深かった。
「この船に乗る時も聞いたけどね。シエリは魔法の心得が?」
「ないと言った覚えはないぞ」
「さっき、彼女が魔法師かどうか聞いた時には、違うって答えてたよね」
「魔法師ではないぞ」
 うーん、とうなってからラプラは一つの可能性をあげてみた。
「じゃあ、修業中の、魔法師見習い?」
「おまえは、本気でそんなことがあると思っているのか?」
 表情こそ変化がなかったが、口調には呆れた気配がにじんでいた。
 そう言われてしまうと、ラプラもそんなはずはないと思う。
 だいたい、どこからどう見ても良家のお嬢様のようなシエリだ――多少、口は悪いが。温室育ちの箱入り娘、そんな少女がまさか、幼少のころから今までひたすら魔法修行に打ちこんでいたとは考えられない。好きで魔法関連の本をよく読んでいる、というのがもっともありそうな説明だった。
「……変わった趣味、してるんだね」
 結局ラプラに言えたのは、それだけだった。
 シエリは小首をかしげて答えた。
「どちらかといえば、魔法はあまり好きではない。魔法が趣味だったのは、わたしではなく……姉のほうだ」
 ラプラには、シエリの言葉の意味はよくわからなかった。





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第1章 見えない月の導き