第1章 見えない月の導き


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 会議用の大部屋は、大きなテーブルのある唯一の部屋だった。
 今は食堂に姿を変えたそこに、大きな皿いっぱいに盛られた魚料理が並ぶ。
「へえ、意外と美味しそうだな」
 並んだ料理を見て、傭兵の一人が明るい声をあげた。
 確かに見た目は悪くない。船だから、さすがに生の野菜や果物こそ無かったが、色鮮やかなピクルスと一緒に魚の薄切りが綺麗に盛りつけられている。
「ちょっと。もしかして生なの?」
 生魚が苦手な人間は少なくない。見た目が気持ち悪いとか、においが気になるという理由で特に女性に敬遠されることがある。彼女もそんな一人らしく、大皿から顔を背けるようにしている。
「生じゃない」
 むっとして、キルトが答えた。抱えてきた鍋から、椀にスープを配膳しているところだった。
「よく加熱した油を上からかけた」
「そんなんじゃ駄目よ。ほとんど生と同じじゃない。あたしはいらないわ」
 傭兵として雇われている女性だった。
 戦士には見えないような軽装だが、魔法を扱うと考えれば納得がいく。
 前衛に立って肉体を武器にする戦士と違い、魔法師は後衛で術を使うことが多い。戦士たちにとって欠かせない強力な防具も、魔法師たちには重たく邪魔なだけの存在だ。魔法師の身を守るものは、守護の魔法のかかった護符や魔石のたぐいである。
 よく見ると、彼女の額や首、手にはいくつもの装飾品がつけられていた。
「食い物を選ぶなんて、魔法師ってのはいい身分だよなぁ」
「……何が言いたいの? サンク」
「食える時に食っておく、それが俺達傭兵の鉄則だろうが」
「そんな野蛮な精神、あたしみたいな高位の魔法師には関係ないわよ。がつがつ食べなきゃ役に立たない戦士なんかとは違うんですから」
 がつがつ食べていたシエリが、その手をとめて彼女にたずねた。
「どちらの魔法師なのだ?」
「え? ええと……別にどっちが得意ってことはないわよ」
「それは月属性のこと?」
 優雅にスープをすくっていたラギが、柔らかく口をはさむ。
「確か、魔法には二つの属性がありますよね。……赤属性と、青属性」
「よく知ってるわね。えーと…」
「ラギエムです。ラギと呼んで下さい。僕も一応、魔法を学んでいるところなので」
 はにかむように言ってラギは微笑んだ。
「どちらかというと赤属性の魔法に攻撃的なものが多く、青属性の方には派手さがなくても効果的な魔法が多い。そう習いました。僕は青属性が強いようだと師匠に言われたんですが、ジーナさんは、どちらが得意というわけではない、ということは中性なんですね」
「そうそう、そうなのよ。中性。分かるかしら、お嬢ちゃん?」
「シエリだ。――この船の連中は、そろいもそろって人の名前を覚えるほどの頭もないのか?」
 これを大人が嫌みったらしく言ったのであれば腹も立つだろうが、少女が鈴のような声で言うのだから誰も真剣には受け取らない。少女は少女で、いつもと変わらず淡々と言うだけだから、本当に怒っているのかどうかよく分からない。
「あら。だってあたしたち、まだ自己紹介もしてないよの。名前なんか知るわけないじゃない」
「一理あるな」
 うなずいたのは船長のブランガルだった。
「そういえば、今初めて全員が顔を合わせたな。いい機会だから、自己紹介でもしてもらおうか」
 傭兵の一人がうんざりした顔になる。どうも、自分の事をあれこれ言ったり質問されたりするのが好きではないようだ。それに気づいて、ブランガルが付け足した。
「名前を言ってもらうだけでも十分だから」
「ライモン」
 即答して黙り込んでしまったその傭兵は、ぴっちり身体に合った、動きやすそうな服装をしていた。短い黒髪は頭になでつけて後ろでまとめてある。午前中の戦闘で見事な体術を披露していたのを、ラプラは思い出した。
「俺はサンク」
 背中の大剣が、彼の職業が何かを語っていた。中肉中背で、軽そうな鎧を身に着けている。
「あたしはジーナと呼んでちょうだい」
「カイツ。槍一筋で傭兵をやってる」
「これで俺が雇った傭兵の4人だな。それから、客で乗せたそっちのが、ルツだったか?」
「ええ。そこでおかわりを盛ってるのがキルト。隣の部屋で伸びてるのがウォンよ」
 ラプラが、軽く頭をかしげた。
「ジーナ……って、確かどこかの国の言葉で『5番目』って意味じゃなかったかな」
 ジーナは目を見開いてラプラを見つめた。
「……よく、そんなこと知ってるわね」
「俺はあちこち旅して回ってるからね。どうでもいいことは色々耳にするのさ」
「ほら、よくあるでしょ? 5人兄弟の5番めにそういう名前をつけたり。名前をつけたのがいい加減な人間だったのね、きっと」
「じゃあ一番上の兄弟の名前は、マナ?」
「あきれた。その通りよ。まさかこんな中央に来て、あんな田舎の言葉を知ってる人がいるとは思わなかったわ……」
 驚きすぎたのか、少し青ざめてジーナはつぶやいた。
「俺はラプラ、この子がシエリ。えーと一応傭兵として船に乗ったんだ……けど、あはははは」
「笑ってごまかすな」
 ブランガルが冷たく言い放った。
「お前はいい、とりあえず弱っちく見えても少しは役に立ちそうなところをさっき見せてくれたからな。だがそっちの子供は何なんだ? どうしてそんな子供までこの船に乗せたんだ」
 間違ってもラプラのせいではなかった。シエリが頑として譲らず、強引に乗り込んだのだ。ラプラは必死に引き止めようとした。一緒に乗ってしまったのには、今考えると深い理由はない。
「何て言うか……付き合いで」
 ははは、と乾いた声で笑う。その横でシエリは皿とスープの椀を空っぽにし、魚料理のおかわりに手を伸ばしていた。ふと、自分が話題になっていることに気付いて、ブランガルと目を合わせる。
「船長。足手まといの心配なら無用だぞ」
 声は相変わらず落ち着いているのだが、料理の皿を抱えたままでは説得力に欠けた。
「この男は意外とナイフ投げがうまい。船長がせっかく雇った傭兵の邪魔にはならないだろう」
 自分が足手まといになるとは微塵も思っていないらしい。もう誰も突っ込もうとはしなかった。 ブランガルは黙って溜め息をついたし、他の面々はおとなしく食事に専念する。
 それまで食べることに集中していたルツが、満足したのか会話に加わった。
「月といえば、今はシータもエータも出てないのよね」
 空には二つの月が存在する。
 どんな赤よりも赤く輝く赫月シータと、透明な静けさを感じさせる蒼月エータだ。
「せめて片方だけでも出ていて欲しかったよ、俺は」
 カイツがぼやいた。
「特に、赫月と相性がいいんだ。その時期にやった仕事でヘマをしたことがないくらいにな。魔法の修練を積んだことはないから分からんが、多分、俺の属性は赤に近いんだろうよ」
「ふうん。力馬鹿みたいな傭兵でも、月の加護だとか魔力だとかを信じるわけ?」
 馬鹿にした聞き方だったが、ジーナの気持ちは一般的な魔法師のものとしてはおかしくなかった。ふつう、魔法師のような職業でもないかぎり、月についてあれこれ考えるものではない。
 たしかに双月には、それぞれ神秘的な力が備わっており、この大地もその恩恵に預かっている、という考え方もある。しかし中には、道ばたの占い師に頼ったり、ゲンを担いだりするのと同じ程度に考える人もいる。
 一方で、魔法師は月に関する知識が最も多い職業の一つといえる。何よりまず魔法の成り立ちそのものが、月の持っている力をその源としている、ということになっているのだから、その恩恵にあずかる魔法師が、月の神秘性や魔力について信じないはずはないのである。
 だからジーナの言葉は、ある意味では当然の疑問ともいえた。カイツはひょいと肩をすくめる。
「魔法バカの連中みたいに、理屈をこねて月の加護を期待してるわけじゃないぜ。ただちょっと、こういう稼業なんだから、担げるゲンは担いでおきたいだろ」
 これにはラプラが異議をとなえた。
「月についてあれこれ言うのは魔法師さんたちだけでもないだろう? 俺は魔法はちょっとかじった程度だけど、故郷には月に関する学問が古くから発達していたし、俺もそれを少し学んだ。月が、ただ夜空に光っているだけのものじゃないっていうのは、この大地の上に暮らす人だったら多かれ少なかれ誰もが感じていることじゃないかな」
「シータの赤い光には人を熱くする力があるし、エータの青い光には人の心を鎮める力がある、っていうのが一般的な解釈かしらね?」
 ルツは席を立ちながら言った。
「ごちそうさま。それなりに食べれたけど、塩加減がいまいちだったわよ」
「きれいに平らげといてから、言うことか?」
 この料理の味付けはキルトが任されたのだろうか。けれどかっぽう着に三角巾姿とあっては、にらみをきかせても迫力のないことこの上ない。
 ルツに続いて、ライモンものっそりと席を立った。他の傭兵たちもそれぞれ自分たちの部屋へと戻って行ったし、乗組員は見張りや操舵を担当している同僚と交代しに出て行った。キルトは食べ散らかされた食器の山と大鍋に対して文句を言い、ラギはそんなキルトをにこやかに手伝って、食器の半分を厨房に運んでいった。
 こうして大部屋には、船長のブランガルと、ラプラ、シエリが残された。





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