覚悟〜光を追う者〜
ウォンが曲がったその先に立っていたのは金髪碧眼の持ち主だった。
「セイラム!」
息を切らしながら、思わずウォンは叫んだ。
セイラムも、予想していなかったおまけがついて来て少し驚いたようだったが、すぐに平静を取り戻すと冷ややかな視線をウォンに投げかけた。セイラムの後ろには、先ほど逃げていった少年達がセイラムを盾にするようにして、にやにやと笑っている。
「おや。獣市場から赤い獣が逃げ出してきたようだ。」
「なんか、下品なにおいがすると思ったら!」
セイラムの取り巻きの少年達が声をあげて笑っている。
「全部お前が仕組んだ事か!何のつもりだ!」
ウォンは怒りを抑えきれず、今にも掴みかかるような勢いで怒鳴った。
「セイラム様にむかってなんて口の利き方だ!物を知らねー奴だな。」
「かー、これだからスラムのやつはいただけねーな〜。」
少年達は、口々に罵声を投げかけた。侮蔑の念を隠そうともしない嫌な目つきだ。
「あんなスラム街なんかあってもしょうがないんだ。それでもまだ存在出来てるのは、王宮のせめてもの慈悲だってのによ。」
「その王宮の後継ぎの、セイラム様を‘お前’だとよ!はっ、身の程を知れってんだ。」
セイラムは少年達が言うにまかせ冷笑している。
「まあまあ、この子だって一生懸命生きてるのさ。」
後ろで見ていたセイラムが少年達の罵倒をさえぎる。言葉の内容とは裏腹に声には優しさのかけらもない。
「だがね――」
そして、今までにないほどに声の温度が下がる。
「お前ごときが、旅にでるなんて・・・あまり、私を笑わせないでくれ。」
ガッッ!!
そこにいた者達が、王子の一言に笑い出すよりも早く、セイラムは後方にふっ飛んだ。一瞬の出来事に少年達は止める間もなかった。殴られた本人でさえ、遮る事も出来なかった。ウォンの遠慮のない一発がセイラムの右頬に直撃したのだ。構えていなかった少年達は驚きにより一気に逆上する。
そのウォンの痛烈な一発を引き金にして、大乱闘が始まった。
数人がウォンを抑えこむ。自分より体の大きな者達だったが、ウォンはひるむことなくかかっていった。一対多という、あまりに不利な戦況の中でもウォンは負けていなかった。
マーカスの大事な店を荒らした事。街の店のガラスを割った濡れ衣を着せた事。スラムを笑った事。そして何より、初めて見つけた目標を見下し馬鹿にした事が許せなかった。
今までの悔しさをぶつけるように、ウォンは戦った。
一人がウォンの背後に回り、がっちりと両腕を押さえる。有利だと確信した他の少年達が、競う様にウォンに殴りかかる。ウォンは、後ろの少年を支えにして地を蹴ると、向かってきた少年達を両の足で一気に蹴散らす。その反動でウォンを押さえつけていた少年は、そのまま後ろに倒れこんだ。ウォンを離し両手は自由になったものの、受身は間に合わず強く地面に頭を打つ。ウォンは素早く横に転がり立ち上がると次の攻撃に瞬時に構える。思わぬカウンターを食らった少年は、さらに逆上してウォンに向かって来ていた。ウォンは咄嗟に避けたが、軌道を変えた拳によって腹に重い一撃をもらう。腹の中の物が逆流するのを感じた。思わず腹を抱えたところに次の攻撃が容赦なくやってくる。地面が広がっていた視界が、一瞬暗くなった。少年の膝蹴りをもろに額に受けたのだ。気付くと傾きかけてる体を、足を踏ん張りどうにか立たせる。
『お前がやったに決まっている。なんせ、スラムの子だからな』
左頬に強い衝撃を感じ、そのまま右側に倒れこむ。手放しそうになる意識をぐいと引き寄せると、両手を地面についてどうにか立ち上がる。
『お前などいてもいなくても同じだ。いや、むしろいない方がいいくらいだ。』
体のあちこちに痛みが走るが、歯を食いしばって痛みから意識をそらす。目を見開き、次にやってきた攻撃をどうにか交わす。
『この役立たずのクソガキ!』
交わしざま、片足を振り上げると、相手の顎に命中する。
殴られても蹴られても立ち上がり、少年達に向かっていった。今まで味わい続けた想いは、そう簡単にウォンの膝を地につけさせはしなかった。
やがて数人いた少年達は一人また一人と倒れ、とうとうその場には、ぼろぼろになったまま、それでもなお立っているウォンと、それを信じられぬ気持ちで見ているセイラムだけが残った。頬は赤くはれ上がってるものの、遠巻きに見ていたため動けないほどひどい怪我はなかった。
ウォンは一つ大きく呼吸をすると、きっとセイラムを睨む。
「まだ、足りねえぞ!覚悟決めろや。王子だか何だか知らねえけど、オレは遠慮はしねえからな!」
肩で息をしながら言ったウォンだったが、その言葉にはセイラムが後ずさるだけの凄みがあった。ウォンはセイラムにとどめの一発を食らわせようと、よろめく足をひきずる。
セイラムが使う事など予想もしていなかった剣の柄に手をかけた瞬間、
「セイラム様!!」
先ほど途中でセイラムによって器用に撒かれた従者が慌ててやって来た。
「どうされたんですか!ああ・・・!なんということを!!」
はれ上がったセイラムの顔を見て従者は動揺をあらわにしたが、すぐにそばのウォンに視線をうつす。
「この子供ですね!?」
従者はセイラムを未だ敵意に満ちた眼で見据える赤毛の子供に攻撃の構えをとる。いくら子供とはいえ、あの王子にその攻撃を食らわせたとなると、簡単にはいかないかもしれない。慎重に捕らえ、城に連れて行かなければならない。
しかしセイラムの怒りを含んだ声がそれを制する。
「いい!やめろ!もう城へ戻る!」
「しかし!」
従者は、その少年に然るべき処置を取らねばとセイラムに訴える。
「いい!これは私の命令だ!いいか。この事は父上にも母上にも言ってはならない!早く戻るぞ!!」
これ以上の言葉は聞かないというように、セイラムは踵を返す。従者は忌々しげにウォンを睨むと、しぶしぶとセイラムの後に続いた。よろめくセイラムをどうにか助けようと手を出すが、むげにそれは振り払われる。いつも余裕で構えている主君の変貌に、臣下はとまどい、申しわけなさそうに後に従った。
「馬鹿野郎!」
店に戻ったウォンのそのひどい風体を見るなり、マーカスは怒鳴った。だがすぐに奥へ行って、医療用具をもって来ると、眉間にしわを寄せつつも手当てをしてくれた。ウォンがその日の事を話すと、マーカスはセイラムの名が出てきたことに初め驚いていたが、何故かすぐ納得したようだった。
マーカスは、仕事は休んでもいいと言ったが、ウォンは意地をはってそれを断る。少年達とやりあっている最中は無視できた痛みが、一気にその存在を主張し始め、ウォンは仕事中何度も身体を強張らせた。その度に、憎たらしいセイラムの顔が浮かび、最初の一発を食らわせただけに終わってしまった事が悔しくてしょうがなかった。
そうやって仕事の間中、ウォンは昼間のことについてあれこれ考え怒りを再燃させていた。しかし、仕事を終え2階に上がる頃には思考は別のものへと移っていた。屋根裏部屋に横になったウォンの頭の中を満たしていたのは3日後の出発の事だった。
マーカスともあと3日でお別れか。無意識に、手当てをしてくれた頬のガーゼをなでる。もう会わないかもしれないと思うと、じんと胸の辺りが痛んだ。寂しい。マーカスに対してそんな事を思う時が来るとは思っていなかった。ウォンは、初めて会った日を思い出して少し笑った。
マーカスには書置きをして、何も言わずに出るつもりだった。出る時に会えば、きっと余計に辛くなる。驚くマーカスの顔を見れない事は残念だが、代わりに心配そうな機嫌の悪い顔も見なくてすむ。色々嫌な思いもしたけれど、ウォンはマーカスが気に入っていた。
そして、ウォンが気にかける人物がもう一人いた。
ウォンの心に、赤い長髪の男の温かい微笑みが浮かぶ。
ティンクスは、今年は来ないのだろうか。出来ればもう一度会ってから旅に出たい。
ティンクスはウォンにとって大きな存在であった。今まであった中で、言葉に出来ないような大きな存在。憧れと尊敬の対象であり、ウォンが心から信頼出来る人間だった。
ティンクスはマドバンの時には毎年やってくる。きっとあと1度くらいは会えるだろう。最後にもう一度剣の稽古をつけてほしい。
ぽつらぽつらといろいろな事をとめどなく考えてるうちに、いつのまにかウォンは寝入っていた。
かみ締めるように残りの2日を過ごすつもりだったが、それはあっという間だった。居酒屋での仕事も残すところあと7時間という、マドバン前日の7時になってしまった。
例年通り、旅人達が前夜祭へ行ってしまうため、店は常連の客しかいない。
仕事の間中店に来る客を気にしていたウォンだったが、今年はティンクスはまだ来ていないようだった。
ウォンは手が空いたので、店のその風景を目に焼き付けておこうと、カウンター席に座って感慨に浸りながら店内の様子を眺めていた。横ではいつものようにマーカスが図体に似合わない小さな眼鏡をかけて、新聞を読んでいる。
ウォンは、目の前の男との最初の出会いを思い出しながら、思わずその姿をじっと見ていた。が、不審気に顔を上げたマーカスと目が合い、慌てて目をそらす。
寂しくなんかない。寂しくなんかない。そう自分に言い聞かせていると、ふと、天井がきしんだような気がした。一番最初にマーカスが言った言葉がふいに蘇る。
『この上が屋根裏部屋だ。店のちょうど上になってる。気をつけて歩かねえと、店の天井を貫くことになるからな』
上に誰かいる・・・・?天井を凝視していると、かすかではあるが、確かに人の気配がする。
ウォンは音をたてないように気をつけながら、屋根裏部屋へと繋がる階段のそばまで来た。のぞくように暗い階段を見上げると、丁度下りて来ようとしたらしい人影と鉢合わせる事となった。顔は見えない。
捕まえてやろうと、急いで階段を駆け上がると、その人影も慌てて踵を返し、2日前ウォンがぶち破った天窓から下へと飛び降りた。
こんな事なら、直しておくんだった!!そう悔やみつつ、ウォンもその後を追って窓から飛び降りる。侵入者はフードをすっぽりと被り、夜の暗さも手伝って顔は見えなかったが、さらりとこぼれたその金色の髪には見覚えがあった。
ウォンは、つい2日前会ったばかりの憎き顔を思い浮かべながら全速力で追った。
ところが、そこいらの少年達とはさすがに違い、ぐんぐんと距離が離れていく。ふと、その人影はある狭い小路に曲がった。ウォンはにやりとした。
そこは、細い道の後行き止まりになっている場所だった。
人の集まるところに、犯罪は集まるというのは世の常である。マドバンも例外ではなく、木を隠すなら森、と犯罪を行う格好の機会になっていた。
その日も、人通りの賑やかな通りのすぐそば、小さく区切られた暗がりでは、非合法の密輸品の売買が行われていた。
「混ざり物はないだろうな。」
男の一人が、他の2人を睨む。
「ああ、実験済みだ、なんならあんたがここで試してくれてもいいぜ。」
「ち、信用する事にしよう。約束の額だ。」
男は、無造作に麻の袋を手渡す。麻の袋がじゃらりと重たげな音をたてた。2人が中身を確認するため袋を開けようとした所に、息を切らした人影がその場に飛び込んできた。
「なんだ?!」
逃げようとしたその人影に男の一人が飛びかかり押さえ込んだ。離せ、とじたばた暴れるのを押さえつけ、フードを取る。
「なんだあ?女か?いや男か?」
「まだ、子供だな。」
後ろから、他の2人も顔を覗き込む。
「綺麗な顔をしているのに、もったいねえが、俺達も忙しい身でね。下手に騒がれると困るんで、お前さんには悪いが死んでもらうぜ。」
馬乗りになった男が腰から短剣を抜いた時、後ろの一人が、それを止めた。
「おい・・・こいつの顔どっかで見たことねえか・・・。・・・・・・こいつ、あれだぜ、この国の王子だ。間違いねえ!」
そう言い切った時、通りの方からまたひとつ小さな人影が舞い込んできた。
「セイラム!」
ウォンは訳がわからなかった。自分が捕まえようとしていた人間は、もうすでに他の者に捕らえられていた。しかも、よく見れば、セイラムの上には鋭い短剣が光っている。何故かはわからないが、セイラムは命の危険にさらされているようだった。そして、どうやら自分も今まさにそれに巻き込まれた事は理解できた。
「今日は客が多いな・・・。へ、運が悪かったな坊主。」
男2人がじりじりと近寄ってくる。
「なんだ?これは。」
後ろで、セイラムを押さえつけていた男が、セイラムの手から小さな袋をとり上げた。
「あ!」
ウォンは思わず声をあげた。その袋にはよく見覚えがあった、一年前大切にしまったはずの賞金の袋だった。
「セイラム。てめえ、それを盗むために俺の部屋に入ったのか」
目の前で地面に伏せさせられてるセイラムに、新たな怒りが込み上げてきた。大切な旅のための金を!
「おい、おっさん!それは俺のだ!返せ!!」
言っても無駄な事は張詰めた空気でわかっていたが、ウォンは強気で言ってみる。男は、手前の二人に目配せすると、そのうちの1人にその袋を投げて渡した。受け取った男は、ウォンに近づくと、ウォンのすぐ足元の地面に賞金袋をどさりと落とした。
「ほらよ。それ持ってさっさとお家に帰りな。」
ウォンはじりじりと相手をうかがいながら袋に手を伸ばす。あとちょっとで届くという所で、目の前の男が飛び掛ってきた。ウォンはそれをするりと交わす。だが、もう一人の男にすぐに押さえつけられ、結局捕まってしまった。
ウォンがよけた事で、前のめりにふっ飛んだ男は、舌打ちをしながら起き上がり、先ほど地面に落とした麻袋を拾い上げる。
「ほー、けっこう入ってるじゃねえか。これは、帰りの馬車代にでも使わせてもらうぜ。」
男は中身を確かめると、それを腰にくくりつけた。
「さて、お別れだ。と、その前に王子様には聞きたい事がある。」
男は短剣を、セイラムの首筋に当てる。
「やめろ・・・。私を殺せば、父上が黙ってはいない・・・。」
セイラムは精一杯の虚勢をはった。
「黙っていないとしても、俺達の顔を知ってる王子様は今ここで死ぬ。そこの坊主もな。だが、俺の質問に答えて下さるのなら、あなただけは逃がして差し上げてもいい。」
男は、離せ、とわめきながら、まだ暴れているウォンをちらりと見たが、ふん、と鼻で笑うとセイラムに視線を戻す。
「ゲートの場所を教えろ。」
男は冷ややかに、脅しを含めて言った。
ゲートは国の貴重な財産であると同時に、急所でもあった。いくら鉄壁の守りを誇っていたところで、ゲートから侵入されてしまえば終わりだった。このゲートの位置が知れ渡ってしまえば、城だけではなくその国の民も危険にさらす事になる。故に、ゲートの位置はそれを守る魔法師と、王の血族、しかもごくごく近い者にしか知らされていなかった。王が信頼し期待しているセイラムは、13歳の誕生日に初めてその存在を知らされ、そして場所を教えられた。いつもはやさしい父の、厳しいまなざしを、セイラムは忘れてはいなかった。
『絶対に、他に漏らしてはならない。お前はそれが出来ると信じている。』
父上…。
この男に、話すわけにはいかない…!
セイラムは、ぐっとつばを飲むと、真っ直ぐに男を睨んだ。
「殺せ。どんな事があろうと、それを教える気はない。」
男は意外に強い意志の見えるまなざしに少し驚いた。
甘やかされて育ってきた王子なんだろう。どうせすぐに音を上げる。そう思ったのだ。
セイラムの瞳は、先ほどまでのそれとは違っていた。ゲートの話が出た後、その瞳に強い意志の光が宿ったのだ。男は時間をかけて吐かせるという手も考えた。しかし、それをやるには街中の路地にいて何の準備もない今、誰にも見つからず成し遂げるには難しかった。
男は冷静だった。
「それは残念。だが、王子の割には、肝が据わってるな。それに敬意を表して一思いに殺して差し上げよう。」
男は、セイラムの頭を片手で押さえつけると、ナイフを構えた。
私は死ぬのか…
セイラムは逃げ出す事を諦め、押さえつけられたまま目をつむり歯を食いしばると、震えの止まらない手でぎゅっと拳をつくった。
覚悟〜光を追う者〜