覚悟〜光を追う者〜


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 「ぎゃあ!」
 セイラムにとどめを刺そうとしていた男は、背後で上がった声にびくりとその手を止めた。それは、ウォンを押さえつけていた男の叫び声だった。2人の男が驚いてそちらを見ると、男は手首を抱えるように押さえ、その場に転がり喘いでいる。その手は奇妙な方向にねじ曲がっていた。転がった男の手前には、さっきまでわめいていた赤髪の少年が、その小さな瞳にまるで野生の獣のような気迫をたたえて、こちらを見据えていた。少年はつい先ほどまでとはまるで別人のようだった。どうやったかはわからないが、男の手首を折ったのは、押さえつけていたはずのその少年であるとしか考えようがなかった。
「そいつを離せ・・・!」
 肩で息をしながらも、ウォンの声の響きにははったりではないものが感じられた。セイラムを押さえつけていた男は舌打ちをする。
 まずい事になってきた。何が起こったかはわからないが、2匹とも出来るだけ早く殺してしまうべきだ。そう考えた男はもう一度ナイフを振りかざし、今度は一気にセイラムに向かって振り下ろした

ざすっ!

 鈍い音がした。
 しかし、それはとっさに飛び込んできたウォンの右手を傷つけ、セイラムには届かなかった。ナイフの方向をそらされると同時に、男は右からの急な体当たりにバランスを崩し地面に突き飛ばされる。
 その瞬間、セイラムは男の下からするりと抜け出し、立ち上がると小路に向かって飛び出した。
 だが、ウォンの足音がついてこない。
 セイラムが振り返ると、嫌な予感そのものの光景が目に入る。
 ウォンは角に追いやられていた。右手からは大量の血がぼたぼたと流れている。息もあがり、倒れるのは時間の問題のように見えた。男達は何やら叫びあうと、一人がこちらに向かってくる気配を見せる。
 
 セイラムは逃げる事も出来ず、かと言って戻る事も出来ずに立ちすくんだ。せめぎ合う二つの選択がぶつかり合って足は固まったまま一歩も動かない。

 今戻って何が出来る?私には何の武器もない上に、あいつは負傷している。奴らに勝てるわけがない。みすみす行って2人殺されるくらいなら行かないほうがいいだろう。

でも…、

 あいつはさっき逃げなかった。私をおいていけば逃げれただろう。それなのに逃げなかった。
 
 街の子供達は、あいつが強い事がわかると私から離れ、手を貸さなくなった。今まで、あんなにも私に従順だったのに。
 結果の明らかだと思われるものには向かっていかない……いや、結果を決め付けて立ち向かわない…。
 自分もだ。自分もそうなのだ。
 心のどこかでは分かり始めていた。
 大きな選択を迫られている今だからこそ、はっきりと自分の取り繕う事のない本心を認めることができる。

 
 悔しいが、あいつの、根拠のわからない、でも、がむしゃらでひたむきな強さに私は嫉妬していた。


 セイラムは壁に立てかけてあった木の棒を見つけてひったくる。深く息を吸って、それをぎゅっと握り締めると、自分の剣術の力を信じ、男達に向かって突進していった。

「うおおおお!」

 セイラムが急に攻撃に転じた事で意表をつかれた男は、固い木の棒によって顔面に痛烈な一打をくらう。男は痛みと怒りで鈍く叫ぶと、顔を片手で押さえながらセイラムに闇雲に襲い掛かってきた。セイラムはそれを、さっとかわすと男の後頭部にさらに渾身の一撃打ち込む。一度覚悟を決めたセイラムは強かった。試合ではウォンに負けたものの、セイラムの剣術は子供にしてはずば抜けていた。頭に2度も衝撃を受けた男は、地面に伏したままうめいている。ウォンは、セイラムに気をとられている目の前の男の隙をついて、角から逃げ出した。2人は地面に転がる男を飛び越えると、小路に向かって転げるように走った。後ろからは、怒声とともに男が追ってくる。聞こえてくる声から察するに、負傷した2人の男も追って来ているらしかった。
 あと少し。あと少しで通りに出るというところで、2人の前に人影が立ちはだかった。
 まだ、仲間がいやがったのか!!
 ウォンは運の悪さに歯ぎしりをした。
 その人影は素早く腰からナイフを抜き取ると、2人に向かって投げつけた。逃げ切れるかもしれない、という2人の期待は一瞬にして崩れた。

 もう駄目だ……

 2人がそう思った時だった。
「伏せろ!」
 その声に反射的に2人は身をかがめた。勢い余って前のめりに転げる。
 
カンカンッッッ!

 2人の後ろで金属がぶつかり合う鋭い音がした。その直後、カラーンッという派手な音が地面を滑る。ウォンがはっと振り返ると、ぶつかり合っただろうナイフが二本、地面に転がっている。そのうちの二本はウォンたちを襲った男の物、そしてもう二本は、ウォン達の前に立ちはだかった人物の物。
 ウォンが、はっと顔を上げる。街の明かりを背後に受けて、影を落とすその顔をじっと見る。
 そこには懐かしさを覚える笑顔があった。

「ティンクス!」

 ウォンは嬉しさと安堵で、胸に熱いものを感じ勢いよく立ち上がる。

 男達はその様子を見て救援が来た事を瞬時に悟ると、踵を返し暗闇に散っていった。


「ひどい怪我だ。すぐ手当てをするからじっとしてなさい。」
 ティンクスは、ウォンの右手のひどい怪我に眉をひそめる。今ごろになってやってきた激しい痛みを、ウォンは歯を食いしばって我慢した。
 ティンクスがナイフによってひどく傷ついたウォンの右手に、自分の右手をかざす。するとその部分が、ほうっと暖かくなり、不思議な事にどんどん血は止まり、痛みも和らいでいった。こんな使い方もあるのか、とウォンは目を見開いてその様子に魅入る。隣にいたセイラムも、不思議なその光景を言葉なく見つめていた。
 傷口がほとんどふさがった、とウォンが思った頃、急にまぶたが重くなる。ウォンはそれを自覚し切らぬうちに、膝を折るとその場に崩れた。ティンクスがそれを上手く受け止める。ウォンはティンクスにもたれて、寝息を立て始めた。


 眠ってしまったウォンを背中に背負うと、ティンクスは呆然と突っ立っているセイラムに向き直った。
「お送りします。セイラム様。」
 にっこりと笑うティンクスに、セイラムは素直に頷いた。
 城に着くまでの間、セイラムはティンクスに事の概要を話した。そして、ずっと腑に落ちなかった事を口にした。
「何故…。何故、こいつは私を助けようとしたんだ?」
「もしセイラム様がウォンの立場だったら助けませんか?」
 ティンクスは穏やかに微笑む。セイラムは少しうつむき考える。
「…わからない。身内なら助けたかもしれない。しかし、そいつは……、」
 言いかけてセイラムは、目の前の男が少年と親しい事を思い出す。その男の目の前で、そいつよばわりはあまりに乱暴な気がしてセイラムは言葉を切った。
「…その…ゥ、ウォンは、私とは親しくはない。だから、多分…助けないで私なら逃げた。助からない確率が明らかに高かった。それに…」
 セイラムはティンクスを一度見て、気まずそうに目をそらすと言いよどむ。
「私は、この一年間ウォンに……ひどい事をし続けてきた。私ならそんな奴は助けない。ウォンには仕返しをする権利すらあると……今は思う。」
 ティンクスは、なおも変わらぬ笑みでセイラムの話をじっと聞いていた。セイラムは、そんなティンクスに今まで思い続けていた、しかし誰にも言えなかった想いを語った。そのセイラムの姿は年相応で、ティンクスは時折見せる泣きそうな表情に、王宮に第一子として生まれ期待を背負い続けてきた、まだ幼い少年のその苦労を想った。
 ティンクスはだんだんずり落ちてくるウォンを背負い直す。


「何故、ウォンが貴方を助けたのか。本当の所はどうなのか解らないけど…、あなたが覚悟を決めたからじゃないかな。」
「覚悟…?」
 セイラムは、よくわからない、とティンクスを見上げた。
「ゲートのありかは、大変重要な事なのです。セイラム様もきっとその事に関しては、よくご存知と思いますが、決して外部に知れてはならない物なのです。」
 さっきまでにこやかにしていた男からは想像しにくい真剣で厳しいまなざしに、セイラムは黙って頷いた。
「もちろん、ウォンはそんなこと知らないだろうけど、でも、セイラム様の命を賭してでも守ろうとしてるその姿を、その覚悟を見て、見捨てる事は出来ない、死なせちゃいけない、と考えたのではないでしょうか。」
 ティンクスは、セイラムに微笑んだ。思いもつかなかった事を言われ、セイラムはなんとなく居心地が悪くなり目をそらす。その後、2人は黙って城まで歩いた。聞こえるものは、2人の足音と、街の喧騒と、小さなウォンの寝息。城に着くまでの間、セイラムの心の中には、今までは浮かぶ事のなかった考えや想いが駆け巡っていた。
 そうしているうちに、フェスティンガの城が近づいて来た。城の前は、マドバンの前夜祭で、すでにいつもに負けず劣らずの騒ぎとなっていた。
 セイラムは、ティンクスに、送ってくれてありがとう、と一言告げ背を向ける。
「セイラム様」
 セイラムは、穏やかなティンクスの呼びかけに立ち止まり振り返る。
「友達っていうものは、時に喧嘩をしてこそ信頼出来るようになるものですよ。」
 セイラムは、目の前の男の意図がつかめず、ぽかんとした。
「ウォンはずっと友達と呼べるような同年代の人間がいた事はありませんでした。」
 セイラムは、あんな野蛮な奴に、友達などいるはずもない、と一瞬思い、すぐに我が身を振り返った。
 友達…。かつて、そう呼べるような人間が自分にいただろうか?
 セイラムは、ティンクスの言わんとしてる事がなんとなく分かったような気がして驚く。
「ライバルがいるっていうのも、悪くないものですよ。」
 呆然とティンクスの顔を見つめているセイラムに、ティンクスは、それではこれで、と軽く頭を下げた。セイラムは一瞬ティンクスを呼び止めようとしたが、開きかけたその口を引き結ぶと、何も言わず、城の中へと入っていった。



「ん・・・。ティンクス?」
 ティンクスに背負われたウォンが、ふと目を覚ました。
「起きたのかい?ウォン。今日はよく頑張ったね。店につくまではもうちょっとある。寝ててもいいよ。明日は出発の日だろう?」
 遠くでマドバン開始の花火の音が聞こえる。そばでは美しい虫の声が聞こえる。澄んだ空気の夜に、ティンクスの穏やかな声が染みていく。その声を聞きながら、ウォンはまたうとうとし始めた。
「ティンクス、旅にでてもまた会えるよな…。」
 寝言とも思えるような声で、ウォンがぽつりと言った。すでに寝息をたて始めたウォンに、ティンクスはくすりと笑う。
「ああ、きっと会えるよ…、必ず。」




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