覚悟〜光を追う者〜


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「じゃあ、勝負の方法だけど、どうしようか・・・」


 ティンクスはくるりとあたりを見回した。一点に目をとめると、テーブルに歩み寄り、水の入ったコップから溶けかけた氷をひとかけら取り出し、ウォンの目の前にかざす。

「これを使おうか。」


 にっこりと微笑むその男の意図がつかめず、ウォンが怪訝な顔をしていると、店主は、2つでいいな、と奥に入っていった。
 ほどなくして、店主がかかえてきたものにウォンは嫌な予感がした。

 どす、どすっと音を立てて、目の前のテーブルに置かれたのは、食べ物を冷やすのに使うだろう大きな氷の塊だった。ウォンの背丈の半分は優にあり、ほぼ真四角で、居酒屋の熱気にさらされ、白い蒸気がゆらゆらと上っている。
 こんこん、と氷を軽くたたき、ティンクスは何事かに納得したように、ふむとうなずくと勝負方法を持ち出した。


「これをより粉々にした方が勝ち。」
 何でもないことのようにさらりと言うとティンクスは、わかりやすいだろう?と、ウォンに向き直った。ウォンは試しに氷に触れてみるが、それは想像通りひやりと固く、小さな自分にどうにかできるものとは思えなかった。いくら物知らぬ子供とはいえ、それはたやすく想像できた。粉々にするどころかヒビを入れることすら怪しいところである。
 ウォンの中で、先ほどまであった絶対に勝ってやるという勢いと、現実的な予測がぶつかり合う。
 そんなウォンの心境を知ってか知らずか、ティンクスはさらに続けた。
「んー、そうだな〜、回数を決めよう。・・・3回。3回まで触れていいことにしよう。でも、君は子供だから少しハンデをつけようか。私は1回。1回だけ触れていいことにしよう。ここにある道具はどれを使ってもいいよ。」


 ウォンは口をつぐんだまま、余裕としかとれない笑みをたやさぬ男を、真正面からにらんだ。ぱっと見た限りでも、腕っ節は強くなさそうだった。いや、むしろ貧弱の部類に入るかもしれなかった。居酒屋を見回すと、隅に、火かき棒が置いてあるのが目に入る。
 ハンデというのは気に食わないが、どう考えても同じ条件で勝てるわけがない。あれで3回もたたけば、もしかすると少しくらいは割れるかもしれない。
 ウォンは出来るだけ気持ちを前向きに引っ張ると、覚悟を決めた。
「いいぜ!それでやろう!」
 自分を勢いづけるために必要以上に大きくなってしまったウォンの声で、また居酒屋は盛り上がりを増した。店主は、やれやれ、とカウンターの向こうでため息をついた。

「じゃあ、まず君からどうぞ。」

 ウォンは部屋の隅に行き鉄の棒をとってくると、両手でそれをしっかり握り、氷の前で構えた。がんばれ〜、坊主〜、せめてちゃんと当てろよ〜!
 冷やかしの声が飛び交う中、ねらいを定めて、渾身の力をこめ一発目を氷に叩き込む。


ズガッ!!


 鈍い音がして、氷のかけらがぱらぱらと落ちる。しかし、氷は予想以上の固さでウォンの力ではひびが入るだけだった。跳ね返ってきた衝撃が、鉄の棒を伝わって腕に鈍く響き、ウォンは思わず鉄の棒を取り落とす。

「いってー!」

 あまりの衝撃に思わず声をあげて飛び上がる。その様子に、客達は大声で笑った。

「おめーには無理なんだよ!」
「さっさと、降参しちまえ〜、ぼうず!」


 悔しくて歯を食いしばり、対戦相手をきっと睨むと、ティンクスもくすくすと笑っている。


「もうやめようか?」

 口元に手を当て、それでも抑えきれない笑いをこぼしながら聞いてくるその男に、ウォンはカッとなる。今更やめるなどとは言えるはずもない。やめるわけねーだろ、とウォンは虚勢をはった。


「じゃあ、次は私の番だ。」


 ティンクスは肩にはおっていた物をいすにかけると、何も持たずに氷の前で構えた。
 まさか、素手でやる気なのか?ウォンは、驚きで目を見開く。先ほどまで大騒ぎだった客がしん・・・、と静まり返った。
「いいもんが見れるぜ坊主。よぉく見てろ。」
 客の1人がティンクスから目を離さないまま言った。


 いったい、何を―――



 そう聞く間もないほどに一瞬だった。


 パンッッッ!!

 すさまじい音がしたと思うと、ティンクスの右手は氷を破砕していた。見ていたはずなのに、見えなかった。それほどに一瞬だった。二つ並んでいたはずの氷の塊の一つは瞬時に砕け散り、テーブルの上には元の形をそのまま残した塊が一つと、上の部分を削り取られた残骸が残っていた。
 後2回やれば何とかなるかもしれない、というウォンの考えは、砕かれた氷とともにばらばらと散らばった。

 驚きを隠せないウォンに、ティンクスはもうやめる?とばかりに微笑んでいる。





 やめるわけにはいかない。たとえ勝てなくても。
 
 ウォンは両脇で拳をぎゅっと握りしめた。
 知識もなく力もなく、うまく大人に取り入るほどの器用さももっていなかったウォンは、どこへ行ってもうとまれ続けてきた。上目遣いで睨むように大人を見上げる幼いスラムの子供に、世間は厳しかった。何度も何度も悔しい思いをし、嫌悪の目を向けられ、罵られてきたが、そんな世間に自分の存在を認めさせるための方法は少なく、そのわずかな方法さえ、どれもさらなる嫌悪を引き出すものだった。
 だが、ウォンはあきらめは悪かった。どんな時も、何とかしてみせると引き下がらなかった。それは時として子供の無知がなせるわざであったが、ここまで生きてこれたのはその気力の強さのおかげと言ってもよかった。

 ここでやめれば、なにもかも中途半端になってしまう。理屈ではない何かがウォンにそう告げていた。
 もはや、この店で働く働かないという条件は、ウォンの頭からは抜けていた。


 ウォンはまだ、僅かなひびしかはいっていない、自分の氷の前に構える。客達の間に、ざわざわと驚きの声があがる。
 まさか、あいつ、自分も素手でやる気か?
 鉄の棒で割れなかったものが素手で割れるわけないだろう。
 拳をだめにするぜ?追い詰められておかしくなったんじゃないのか?

 自分でも、そうかもしれないとウォンは思った。だが、鉄の棒でやっても結果は同じだろう。どうせそうならば、目の前で余裕の笑みをみせる男と同じように、自らの手でやってやりたい。漠然とそう思ったのだ。


 目の前の氷を睨む。たった、身の丈半分の丈ほどのこの氷が、これからの自分の道を阻んでいるような気がしてならなかった。
 ウォンは、悔しさと何も出来ない自分に対する苛立ち、そしてほんの少しの希望を込めて、力任せに拳を突き出した。



 ガッという鈍い音ともに、右手に激痛が走る。あまりの痛さにウォンは右手を抱えてそこにうずくまった。僅かな期待も虚しく氷は、皆の予想通り元のままだった。さすがに今度ばかりは、客も面白がったりはしなかった。もうやめとけ、とまだ小さな少年を気遣った言葉が投げかけられる。


 ティンクスがうずくまったウォンのそばに、もうおやめよ、と歩みよった。
 ね?と言い聞かせるように、ぽんとウォンの肩に手をおく。



 その時、ウォンの身体に変化が起こった。ティンクスが触れた肩のあたりが、しびれ熱くなってくる。その熱は血液の流れとともに、徐々に身体全体に広がっていった。どくん、どくん、心臓の鼓動のリズムに乗って、その見えない力が全身に満たされる。身体全体に広がったそれは、今度はどんどん膨らんでいくようだ。身体が熱い。不思議な事に、拳の痛みがどんどんひいていく。
 客たちにはわからない程度に、ティンクスが耳元でささやく。


(身体の力を抜いて、拳にだけその力を集中させるんだ。心の中で、思い描け。すべての流れを拳に向かわせるんだ。すべては君の集中力とセンスにかかっている。)


 はっとして、ウォンはティンクスをみたが、ティンクスは何事もなかったかのようにすっと立ち上がる。ついさっきのささやきは、思い違いかと思うほどの自然さで、さあ、今日の出し物はこれで終わり〜、と店の客にひらひらと手をふった。

 ウォンは顔をあげ、氷をみつめる。未だ全身をめぐっているその熱を逃がさないよ
うに、ゆっくり立ち上がる。少しでもほかのことに気を取られればすべて一瞬ではじ
け飛ぶ気がした。ウォンは氷の前に歩み寄り、そして構えた。
 それに気づいた客が、慌ててもうやめろと、止めに入ろうとする。それをティンク
スは静かに制した。あたりはさっきまでの喧騒が嘘のように静まり返った。皆ウォン
と氷を見比べ、次に起こるだろう惨事を思い、息をのんだ。

 しかし、ウォンは場の空気が変わった事になど全く気づかなかった。五感が集中し
ているのは、氷の一点のみであった。いや、もはやウォンの感覚に、それは氷として
さえ認識されていなかった。先ほど一回目に鉄の棒で一発を叩き込んだ一点。ひびの
はいりかけたその一点のみをウォンの意識は捕らえている。拳に力を集めるように思
い描く。熱が左半身から右半身へ、そして足もとから頭から、右腕へ。やがて右腕か
ら、全ての力が右拳へ。拳が熱い。火にさらしているように熱い。
 極限まで来た。無意識のうちに、そう感じ取った瞬間、一点をめがけて拳は突き出
された。


 バンッ!!ジュウウッ!


 あれだけ大きかった氷は粉々に弾けとび、拳のそばにあった氷に至っては、水蒸気
を上げ一瞬のうちに蒸発してしまった。テーブルの上に残ったのは僅かな水溜りだけ
だった。
 皆あまりのことに、開いた口をふさぐ事も忘れ、ただ呆然とただテーブルの上の水
溜りを見つめた。
 しかし一番驚いたのは、拳を打ったウォン本人だった。目の前の信じられない光景
を、拳を突き出した格好のまま見つめる。

 今何が起こったのか?自分は何をした?

 あまりに放心していたため、ウォンは頭に手をおかれるまでティンクスが側にきて
いたことにすら気づかなかった。しんと静まり返った中で、ティンクスはしゃがんで
ウォンの目線に合わせると、真っ直ぐに目を見つめて言った。



「おめでとう。私の負けだ。」




 その声に、弾かれたように客たちが歓声を上げ、ウォンの周りに集まった。そこで
ようやくウォンも状況を飲み込みティンクスの顔を見上げた。
 ティンクスは負けたのにも関わらず嬉しそうに微笑んでいた。

「改めて自己紹介しようか。私はティンクス=バレル。君の名前は?」


 名前を聞かれる事などほとんどなかった。
 そもそも誰がつけたのかもわからないこの名前。
 聞いてきたのはスライボを含むスラムの数人か、せいぜい悪さを咎める者ぐらい
だった。


「ウ、ウォン!ウォン=バンディッド!!」


 興奮も冷めぬうちにしゃべったため、うまく口が回らない。それでも、客たちは
口々にウォンの名を呼び、よくやったな!見直したぜ、ウォン!と、肩をたたく。誰
も坊主、ガキとはもう呼ばなかった。こんなに大勢に名前を呼ばれたことは初めて
だった。初めて、そこに『ウォン』という名で存在しているような気がした。
 今日は、おごってやるから好きなだけ飲んで食いな!と、客たちがテーブルに連れ
て行こうとしたところで、やっと当初の目的を思い出す。
 ウォンは、人ごみを分けてカウンターのイスに飛びのり、おもしろくなさそうに
そっぽを向いてる店主の方へ身を乗り出す。

「おっさん。ここで働かせてくれるよな?」

 店主はそっぽを向いたままだったが、しかし言った。

「好きにしな。・・・・・・俺の名前は、おっさんじゃねえ。マーカスだ。それと、
言っとくが何か問題起こしやがったら・・・・」


 マーカスがそう言いかけたところで、追い出すんだろう?といたずらっぽい笑みで
返すと、ウォンは客たちのところへ戻っていった。


「これから、楽しい事になりそうだね?」


 と、いつのまにか隣にきてにこにこと笑っているティンクスに、マーカスはてめえ
のせいだろうが、と舌打ちする。



 その夜は、ウォンにとって最高の夜だった。
 今までまともに食べた事のない料理を満足の行くまで食べ、スラムの住人に僅かにもらうばかりだった酒も、もういいというほどに飲まされた。自分の名を呼んでくれる人たちに、存在を認めてくれる人たちに囲まれて、疲れ果て眠ってしまうまで騒いだ。

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