覚悟〜光を追う者〜


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 ウォンを眠りからひきあげたのは人のざわめきだった。つけっぱなしだったランプが照らしだす部屋を見渡し、ウォンは新しい住まいに来た事を思い出す。
 立ち上がり改めてその小さな部屋をぐるりと見回すと、今もなお続いているざわめきの元をたどった。ときおり明るい笑い声の混じるそのざわめきは、下の階から聞こえてくるようであった。
 ウォンは真っ暗な階段を慎重に降りる。
 声のするほうを見ると、地面剥き出しの廊下の先にある扉から橙色の暖かい光がもれていた。そこからはたくさんの人の話し声とともに、食べ物とアルコールのにおいが漂ってくる。
 ウォンは扉からそっと顔を出して、中を覗いた。
 昼間の薄暗いしんとした部屋とは全く別の場所であるかのように、そこは多くの人でにぎわっていた。天井の暖色の光を差し引いても赤い顔をした人達が、ジョッキを片手にめいめいの話で盛り上がっている。昼間に出会った女の話、仕事の愚痴、ギャンブルで大勝ちした自慢話。話をしている者も聞いている者も皆陽気で、次から次へと話は止むことなくいつまでも尽きないようだった。
 その中から聞こえてくる話で、ウォンの興味をひきよせたのは、途中この国に立ち寄った旅人達の話だった。
 ウォンは、この世界は広く様々な国があり、それぞれに人々の生活があることをスライボから聞いていた。地形や気候が違う国では、生息する動物も植物も違い、食べる物も違ってくる。昔から人々が受け継いできた、その土地にあった人々の暮らしがあり、独特の産業が発達している。
 そしてウォンは、そんな国々を渡り歩く旅人達の事も聞いたことがあった。大きな都市において旅人を見かけない事はない。居酒屋[煉瓦]もフェスティンガ国の都市フェスティガにあるため、ウォンが覗くそのちいさな空間の中だけでも、数人の旅人が異国の話に華を咲かせていた。その話はどれもこれもウォンが聞いたことのない話ばかりで、ウォンは瞬くのも忘れてその話に耳をすませていた。

 20分もそうして聞き入っていただろうか。ウォンは、後ろからの殺気のこもったウ気配にはっとする。

 振り返ると、眉間にしわを寄せて、昼間の大男――――この店の主が作業用のエプロン姿で立っていた。


「店が始まったら、うろちょろすんじゃねえ。」


 ぶっきらぼうに一言そういうと、さっさと店の中に入っていこうとする。料理を運ぶ途中だったらしく、手には出来たばかりの料理が盛られた数枚の皿を、なれた手つきで器用に持っている。小さなウォンを邪魔そうにさけて、さっさと通り過ぎていく男の袖を掴み、少年は、たった今思いついた名案を口に出した。


「おっさん!オレをここで働かせてくれ!」


「だめだ。」


 即答だった。男は寝ぼけるな、と言わんばかりに顔をしかめて、店の方に行ってしまった。

 

 ウォンはここのところずっと考えていた。生きるには、まず金がいる。今までは、人から与えられたり、時には盗んでそれを得てきた。食糧などの日常に必要なものもそうであった。
 だが、今は自分で働いてそれを得たかった。自分が疎まれ続け、どこに行っても嫌な目に出会うのは変えようのないことであり、自分を守るため相手を敵とみなすのはしょうがないことだとウォンは思い続けていた。
 しかし、スライボにこの世界には「仕事」というものがあり、決められた働きをすればそれ相応の金がもらえることを聞いてから、その考えは少しずつ変わっていった。少年はを自らの手で、自分の置かれたその状況を変えたかった。
 なるべく多くの時間働くためには、ねぐらに隣接したこの居酒屋は、かなり都合が良かった。そして、なによりここには、ウォンの知らない外の世界の話があふれている。引き下がるわけにはいかない、と意気込むとウォンは男を追って店に入った。


 料理をあっちこっちに運ぶ男の後を、客とテーブルを避けながら追い、横について、前に回りこんで、頼み込む。

「なあ、頼むって。一生懸命やるよ、オレ。」
「だめだ。」
「長い時間、夜遅くまでやったっていいよ。金なんか安くてもいい。」
「だめだ。」

 全く相手にしないその態度にもめげず、しつこくまとわりつく。やがて、返事も返ってこなくなったが、それでもウォンは諦めなかった。


「なあ、何でもやるよ。」

 ウォンのその一言に、とうとう堪忍袋の緒がきれたのか、男は振り返りウォンを見下ろし怒鳴った。


「てめぇみてぇなガキに何が出来るってんだ!!まして、スラムのガキなんざ。使い物にならねぇどころか、騒ぎを起こしかねねえ!スライボのじいさんの頼みでなけりゃあ、お前なんぞ屋根裏に置くのも断っていたところだっ!!」


 もともとあまり気の長くないウォンは、とうとうこれで我慢がきかなくなった。負けじと言い返す。

「使い物にならねえだと?!そんなことてめーに解るかよ!決め付けてんじゃねーよ!このハゲ!」

 この騒ぎに、店の客もちらほらと気づき始め、やれよ、やれよの一興となってしまった。そんなガキつまみだしちまえだの、負けんなぼーずだのと、面白がったヤジが飛びかう。
 そんな客の中から、一人の旅人が立ち上がって言った。



「じゃあ、こうしたらどうだい。その子が役立たずじゃなかったら、雇ってあげるというのは。」


 店の主人は、すかさず反論した。


「だめだ、ティンクス。ここの店の事を決めるのは俺だ。お前さんには関係のねえこった。」


 ティンクスと呼ばれたその旅人は、すらりとした長身で、柔和な雰囲気をまとった赤褐色の長髪の男だった。持っている荷物や、その服装は、いかにも旅人らしかったが、店の主人が名前を知っている程度には、この店の常連らしかった。
 頑として譲らない店主をまあまあ、となだめて、ティンクスは話を続けた。


「私との勝負でこの子が勝ったら、っていうのはどうかな。」


 それを聞き、常連の幾人かはにやりと笑い、やれやれとけしかける。そのムードがやがて、その場全体を包み、すっかり盛り上がってしまった。
 さすがに店主も諦め、仕方なく承諾するハメとなる。

「まあいい、お前に勝ったやつなどいないからな。ただし、手加減はするなよ。」


 了解、と人好きのする笑みでティンクスは返し、ウォンに向き直って言った。

「君もこれでいいかな?」


 二人のやりとりを、呆然と聞いていたウォンはその声にハッとして、やってやる!と意気込んだ。

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