第2章 馬車に揺られて


←back    第九話  三つの質問(1)    next→





―――――痛ってぇ……。

 腹の辺りの熱い痛みにウォンはうめいた。

―――――何だ……?

 ぼんやりとした頭でひどい痛みの原因を思い出そうとする。

―――――ああ……、そうだ。ラギの奴が思いっきし腹に一発くれやがったせいか?

 ウォンは右手を腹に伸ばそうとした。

「ぅ……、ぐうッ……」
 石のように重い腕を何とか持ち上げたところで、頭に衝撃を感じた。同時に口と鼻から水が入り込んできてウォンは反射的にむせる。

「もう意識を取り戻したの?」
 頭上からふってきたしゃがれ声で、ウォンは一気に記憶を手繰り寄せた。
 意識を失う直前に聞こえた声。ルツの悲鳴に混じって聞こえた高笑い。感情の見えない作り物のような緑の瞳。そして、一瞬にして自分の間合いに入りこんだ不気味な黒い大鎌。
 ―――――そうだ……オレは……! あれを避けられなかった……!!
 意識とともに失っていた恐怖がよみがえり、ウォンは慌てて立ち上がろうとする。その頭を、グズベリが再度雨水の中に踏みつけた。
 雨水が目に入りこみ、思わず目を閉じそうになった瞬間、ウォンはぼやけた視界の向こうに、ふと見覚えのある黒髪を見つけた。
 いつもはしっかりと束ねられているその髪が、水溜りの出来た地面に力なく広がっている。
「ルツッ!!」
 立ち上がろうとついた手を乱暴に足ではらわれて、ウォンはまた雨水でぐしゃぐしゃの地面に頭から突っ込んだ。手を伸ばせば届きそうな位置にルツはうつ伏せになっている。頭の後ろで手が力なく組まれていた。
 まさか……、と胸がざわめいた時、ぬれた髪のわずかな隙間から、紫色の瞳がこちらをちらりとうかがい見た。ウォンは無意識に安堵のため息をついた。
 少し落ち着いてルツの向こう側を見やればラプラが、そして、そっと顔を逆に向ければラギが、同じように頭の後ろに手をやって伏せているのが見えた。そろそろと視線を上に向けると、冷たく見下ろす緑の瞳と目が合った。口の端を吊り上げているが、その目は笑っていない。雨雲に覆われて薄暗い森の中、不自然なほど白い肌に、瞳と唇だけが浮いて見える。思わず目をそらすと、右後ろに表情の無い黒髪の男が見えた。
「さあ、あんたも同じように頭の後ろで手を組みなさい。お話の続きを始めるわよ」
 有無を言わせぬ声の響きに、ウォンはしぶしぶ首筋で手を組んだ。いつもは触れるはずの位置に剣の感触が無い。おそらくそこらに転がっているのだろう。くそ、と小さく悪態をつく。あまりの為す術のなさに、ウォンはうつむいたまま顔をしかめた。
「ひどい雨……。こんなところに長居は嫌ね……。3つだけ答えてちょうだい。全部上手に答えられたら、―――――ご褒美に、皆仲良く一度に消してあげるわ」
 そうすれば悲しまなくてすむでしょう? 楽しそうに笑うしゃがれ声が、地面にうつ伏せた4人を押さえつけた。
 一向に衰えを見せない雨が、瓦礫と化した酒場と6人を叩く。激しい雨音に包まれた森で、ウォンたちの道が閉ざされるまでの時間を、指折り数えるようにグズベリが質問を始めた。
「一つ。あんた、何か特別な魔法でも使えるの?」
 ウォンはちらりとラプラをうかがい見た。シエリを追跡していた魔法のことを言っているのだろうと思った。
「あんたよあんた」
 グズベリはその場でしゃがむとウォンの髪を乱暴にわしづかんで、ぐいと上を向かせる。無理な体勢でのどがひゅうっとなった。ウォンの中で、怒りが恐怖を飲み込むようにぐんぐん膨らんでいく。
「どういうことだよ……」
 ウォンの、怒気を押し殺した声にグズベリは鼻で笑う。
 闘争心の揺らめく瞳が気に入らず、グズベリはもう片方の手で、ウォンの腹の傷口を脇からぐりぐりとなぶった。えぐられるような痛みに、少年は思わずぎゅっと目を閉じて息を詰める。苦悶の表情を冷めた瞳が見下ろす。
「さっき、あんたを半分に切り離してあげようと思ったんだけど……、なんでこんなに傷が浅いのかしら? 防御魔法もしていないあんたに効かないはずはないわねぇ?」
 グズベリは枯れ枝のような指に、べっとりとついた血液を恍惚の表情で眺める。
「はあっ、はっ……、知ら……ねえよ……。何の話……してんだよ……」
 痛みに耐えつつ切れ切れにウォンが答える。
ユーゼリア大陸は温暖な地域とはいえ、2月の大雨の日、地べたに転がされたままでは体温もどんどん奪われていく。腹の傷からは、少なくはない量の血液が既に流れていた。ウォンは身体が芯から冷え切っていくのを感じた。心なしか目もかすんできている気がする。
グズベリはふうん、と気のない返事を返し、真偽を確かめるようにウォンの瞳をのぞき込んだ。間近で見て、その底知れない不気味さにウォンは改めてぞっとする。決して見ていたいわけではないのに、無機質なその瞳から目を離せない。
「ただの憎たらしい小僧かと思ったけど、実験体としての将来なら考えてあげてもいいわよ」
 ふざけるな、と答えようとしたところで急に髪をつかんでいた手を離される。引っ張られる力に抵抗していたウォンは、また勢いよく顔面から泥水に突っ込むところだった。
「じゃあ二つ目。あの赤い目のお譲ちゃんとあんたたちでお仲間は5人? 他には?」
 やはりシエリはこいつらが。ルツとラプラが心の中でつぶやく。
 生きているのか、という問いをルツはどうにか飲み込んだ。今ここで口を開こうものなら誰かが殺される。
 そんなルツの考えを打ち砕くように、ウォンが開かなくてもいい口を開いた。
「もう1人いたけど抜けたぜ。仲間でも何でもねーけど」
 ルツは驚いて思わずウォンをにらんだ。その様子にグズベリの高笑いが響く。
「あんたずい分正直ねぇ。馬鹿じゃないの? 言わなければわからなかったのに」
 全くだ、と他の面々もため息をつく。
 消化不良だった腹立たしさを思い出し、つい口を突いて出てしまったのだ。これには後悔知らずのウォンもすぐさま悔いた。
 どうやらグズベリが、より楽しく自分たちをなぶるための材料を与えてしまったようだった。
「そういえば、ガキが二人喧嘩をしていたとか言ってたわね……。喧嘩したお友達が抜けたのかしら? まさかさらに尾行してるんじゃないかしら?」
「きも。誰が友達だ。ほんとにどっか行きやがったぜ。『俺は俺の道を行く』とかぬかして。結局びびったんだろ」
 抑え切れない腹立たしさをぶちまけるように言ったウォンにグズベリは、本当みたいね、と満足そうに笑う。
 ルツも小さくため息をついた。
 セイズで待っているのかもしれない。
 しかし自分がセイズに辿り着ける望みは薄い。魔法剣によって、ロマとどうにか渡り合えていたラギはともかくとして、個々の戦闘能力に歴然の差があった。4対2でも勝てはしないだろう。
「じゃあ三つ目。最後の質問よ」
 これが終われば殺される。その場に今までにない緊張が走った。時間を稼いでも意味はない。機会を見はからって、4人で一斉に攻撃をすれば誰かは生き残れるかもしれない。しかし確率は低いだろう。
「あの小娘が追ってきた杖に彫られていたのは、エル=オーヴァ皇国の紋章ね? 王宮の道具が何故こんな所にあるのかしら。あの子は何者? 名は?」
 ラプラはこんな窮地にたたされたところで、自分の憶測が正しかった事を知る。
自らシエリと名乗っていた少女。
本名はおそらくシエラギーニ・エル=オーヴァ。自分の記憶が正しければ、

―――――――ラグランシア大陸の大国、エル=オーヴァの第二皇女だ。

「エル=オーヴァ……」
 ぽつりとつぶやいたのはまたしてもウォンだった。ラプラとルツは慌ててウォンににらみをきかせる。これ以上余計な事をしゃべられては、事態は悪くなる一方だ。
 しかし既に遅かった。
「何か知ってるのね? 坊や」
 グズベリの甘い声にウォンはぶるりと肩をすくませる。
「いや、てめえにゃ関係ねえよ。知らねえ」
 こんな状況において、どこか緊張感に欠けるウォンの態度にラプラとルツは呆れる。大物なのか、馬鹿なのか。
「知ってることは何でもいいのよ。話してちょうだい」
「だから関係ねーっての。エル=オーヴァってフェスティンガの隣の国だろ? その国で見たことねー化け物が出るって話を聞いたのを思い出しただけ……」
 言い終わらぬうちに、ぐしゃあっと音を立ててウォンの顔が水溜りの中に踏みつけられる。これで3度目だ。
「くだらない。本当に関係ないわね」
 苛ついたグズベリの声が吐き捨てられた。
 少年の赤い頭が冷たい水溜りの中にぐりぐりと踏みつけられる。ふとグズベリの視線がウォンの背中のホルダーにとまった。
「ガキのクセにずい分いいもの持ってるじゃない。あんたが二つに分かれてないのはその装備のせいかしら」
グズベリの手がホルダーに伸びて、それを無遠慮にぐいとひっぱる。ウォンの中に小さな火種がほっと揺らいだ。
「そろそろおしゃべりも飽きたわね。終幕よ。これはもらっておくわ」
当然のように頭に足を置いたまま、グズベリはホルダーのベルトを外しにかかった。少年はそろそろ怒りを抑え切れなくなってくる。冷え切っていた身体に熱い血液が巡ったような気がした。
「誰から逝きたい?」
ホルダーを外したグズベリが、嬉しそうに4人を見渡したところで、ウォンは首筋に置いてあった手で、未だ頭を踏みつけているグズベリの足をがしりとつかむ。
 そっと見上げたルツは、グズベリの眉が不快そうに歪んでいるのを見た。ウォンに向かって静かに下ろされた指先の、黒いもやが見る見るうちに大きくなっていく。

 今を逃せば誰かが、もしくは全員が殺される。まず間違いなくウォンは今度こそ消されてしまう。

 ルツが立ち上がろうと組んでいた手を解いた瞬間、

パァンッ!!!

 ユトの森に雨にもかかわらず鋭い銃声が響いた。





←back    第九話  三つの質問(1)    next→


第2章 馬車に揺られて