第2章 馬車に揺られて


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「来たぜ。グズベリ様からだ」
 腰に短剣をたずさえた男は、紙切れにじりじりと焼き込まれるように浮かび上がってくる文字を見つめる。薄暗いぼろぼろのほろ馬車の中、つい先ほどから降り始めた雨で濡らさぬよう注意して、外の光に紙切れをかざした。
「おい、ガラク。何処だ?」
 別の男がそれをのぞき込む。
「んー……、ラ……ク……エイ……、落影か」
「ってことは、『若草』か。また誰かさらって売りに行ったってこったな」
「あの方もよくやるもんだ。しかしこのお嬢様は連れ帰る気なのか」
 視線の先には、ぐったりとして動かない青灰色の髪の少女が横たわっている。
 いつもの気まぐれか、と男たちは出発の準備を始める。
「よう、ダラスン。馬にあれを飲ませなくていいのか?」
 手綱を握った男が、ふと思いついたようにほろ馬車の中を振り返った。
「まだいいんじゃねえのか。グズベリ様かロマ様がいないと意味ねえしな」
 ダラスンと呼ばれた男は、下卑た笑みで少女の顔をのぞきこみながら、大して興味もなさそうに答えた。
「あの人のことだからいつ出発するかわからん。今回は29日にセイズの森なんだろ? 間に合うのかねえ」
「まあいざとなりゃ、馬さえ手にいれりゃ、こっからでも1日で着くからな……」
 恐ろしい話だ、と男は手に入れたばかりの馬に手綱を入れる。カタコトと、馬車は落影に向かって雨の降るユトの街を走り始めた。

     *

「おいおい、こんな所に酒場か……?」
 ウォンは予想していなかった光景に思わずつぶやいた。そこは踏み倒された草むらの道を辿って着いた場所だった。こんな場所に来る客がいるとは到底思えなかったが、扉の横に酒場 《落影》と看板が下がっている。そしてラプラが落としていった魔石は、はっきりとその酒場の中を指し示していた。
 どしゃぶりになってきた雨の音にまぎれて、ウォンとラギは注意深くその古めかしい小屋の周辺を探ってみる。しかし、窓がひとつも無いため、中の様子は少しもわからない。焦れたウォンが酒場の壁にぴたりと耳を当てたところで、別の方から声が聞こえた。
「誰か来るぞ!」
 ラギもすぐにその声を察知して左右の茂みにそれぞれ素早く身を隠した。



「それで、その子がつけていたペンダントを追って私たちに辿り着いたって事ね。その子は貴方たちのお友達?」
「友達……とはちょっと違うけどね」
 《落影》の中で気の遠くなるような尋問は未だ続いていた。全て嘘をついてつじつまが合わなくなるよりは、当たり障りのない事実を混ぜ、慎重に言葉を選んで答えた方が無難だ。ルツとラプラは互いの言葉に気をつけながらどこかに脱出の糸口を見つけようとしていた。
 そこに、がたり、と扉を開けて男が一人入ってきた。馬車で側までやってきたダラスンである。短時間で随分と天気が変わったようだ。はらったマントはびしょぬれで意味をなしておらず、頭から靴の先まで雨にぐっしょりぬれていた。
「グズベリ様、馬の準備は整いましたが、見ての通り大雨になってきやしたぜ」
 ダラスンは緊迫していた空気には気付かず、ずかずか酒場の中に入ってきてカウンタの中の男に酒を要求した。酒場の男の無愛想な態度を気にも留めず杯を受け取ると、一気にそれを飲み干す。
 無遠慮に侵入してきた男の態度に、グズベリは明らかに気分を害しているようだった。
「さっき街で騒ぎがあったみたいだけど、あんたたちじゃないでしょうね」
 グズベリに刺す様な視線を向けられて、初めて男が緊張した態度を示す。
「ち、違いますぜ! ほんとでさぁ! ちらっと見てきやしたが、ただのガキ二人の喧嘩みたいでしたぜ。グズベリ様が気をわずらわすような事じゃあございやせんでした、へへ……」
 こびへつらうその姿勢に、グズベリの機嫌はいっそう悪くなったようだった。
 その傍らで、ルツとラプラは男の言葉に密かに同じ光景を思い描いていた。
 ガキ二人の喧嘩……。まさか……。
 もし推測通りそれがウォンとキルトなら、二人は当てにならないだろう。この危機的な流れを変えてくれる見込みがあるとすればラギだけとなってしまう。
 ルツはどんどん絶望的になっていく状況に、小さくため息をついた。
 ダラスンはそんなルツの様子にも気付くこと無く、そわそわと手をもみながら、ひたすら上目使いにグズベリの様子をうかがう。
「他の2人は馬車?」
 とがめが来る前に他の話題に移ったことで男は安堵する。
「は、はい! ケイドは馬車に、ガラクの奴はこっちに来てるはずですが、どっか雨にまぎれて小便でも……っと、失礼……!」
 慌てて両手で口を押さえる。緊張が解けたがために口を滑らせた。グズベリが品の無い話題を嫌う事を失念していた。
 グズベリの不機嫌な瞳がギロリと向けられたところで、ぎい、とまた扉が開いた。
「お、おうガラク! どこ行ってたんだよ、遅かったじゃねえか」
 自分に不利な空気を誤魔化すように、ダラスンは扉の前に突っ立っている仲間に声をかけた。
 しかし、ガラクと呼ばれたその男の表情はすぐれない。
 ガラクは恐る恐る酒場の中を見回して、奥にグズベリの姿をみとめる。ひきつっていた表情が、恐怖でさらに歪んだ。
「グズベリ様……、すいません……」
かすれた弱々しい声で言ったガラクが、後ろから何かに押されて、酒場の中に一歩踏み込む。その背後から、男の背中に剣を突きつけたまま、ウォンがひょっこりと顔をのぞかせた。そして酒場の奥にルツたちの姿を見つけるとにんまりと笑みを浮かべる。拍子抜けするほどに危機感のないウォンの様子に、それでもルツは状況に明るい兆しが差したのを感じた。
「よう、しょうがねえから助けに来てやったぜ!」
 得意気に言った侵入者に闘争心をかき立てられ、ダラスンは腰に差していた短剣を引き抜いた。グズベリの機嫌を損ねた分、ここで点数を稼いでおかなければならない。切りかかろうとしたところで、ふとその顔に見覚えがあることに気付いた。
「お前……、街で騒ぎになってたガキ……!」
 どこまでもうかつな男である。言ってしまってから、凍りつくような気配を感じて、ダラスンは侵入者の少年を目の前にしながら後ろを振り返った。 振り返らずにはいられなかった。
「あんた、さっきあたしが気をわずらわすまでもないって言わなかったかしら?」
 グズベリがゆっくりと立ち上がる。男のひきつった喉は言葉をせき止めて、うめくような音を立てた。
「せっかくこの子たちとのおしゃべりを楽しんでたのに……」
 ふい、と憂いを含んだ目でグズベリはラプラに大げさな視線を送る。

「台無しね」

 吐き捨てるように言ったその唇が早口に呪を唱える。
 上に振りかざされた白い腕の先に、先ほどルツとラプラに見せた時とは比べ物にならない大きさの黒いもやが、一瞬で渦巻いた。もやは瞬間的に凝縮して球形を作る。それが酒場の入り口にかたまっているダラスンとガラク、そしてウォンの3人めがけて放たれるが早いか、ルツが半ば悲鳴のように叫んだ。
「ウォンッ!! 後ろに跳んでっ!!」
 反射的に従ったウォンの目の前で、黒い球が一瞬にして人の身の丈ほどもある塊に丸く膨れ上がった。その大きな塊は、転げるように扉から外に逃げようとしたダラスンと、呆然と立ち尽くしていたガラクを飲み込んだ。悲鳴のような音が聞こえたが、それも一瞬の事で、すっと静かになる。そして、扉をふさぐようにわだかまっていた黒い塊は、ぷつりと弾けるように消え去った。
 その場に二つの黒い染みと、丸くえぐられた壁、そして不気味な静寂が残った。

「始末します」

 雨音だけの沈黙を冷たい声が破る。
 ロマは口元で呪を唱えながら、突き出した両拳を目の高さであわせた。直後、まるで左拳を鞘の口とするように、何もない空間から黒く鈍い光を放つ剣がするすると引き抜かれる。それはグズベリの返答を待たずにルツに向かって振り下ろされた。
 ウォンに気をとられていたルツの腕をつかんで、ラプラが床を蹴って素早く後ろに跳ぶ。ルツとラプラの目の前で木造りのテーブルは大破され破片が飛び散った。
 容赦ない暗黒の剣が、再び二人に振りかざされた。次の瞬間、今度は派手な音を立ててロマの真横の壁が突き破られる。赤い剣の切っ先が捕らえたと思われたロマは、しかし横に跳んでそれを避けていた。
「魔法剣か……」
 大きく破られた壁の向こうの男を見やってロマがつぶやく。
「二人とも無事ですか?」
 どうやって外側から目測をつけたのかわからないが、敵方にひけをとらない破壊力で盛大にぶち破られた壁。そこにいるのが敵じゃなかったらどうする気なのか。大穴の開いた壁の向こうから、何食わぬ顔で入って来て微笑むラギに、ルツ、ラプラは苦笑を隠せない。
「あちらも魔法剣のようですからここは僕がやります」
「一人で私の相手をすると?」
 ぴくりとロマの眉が不快の意を示す。
「はい」
 ロマの冷たい視線を受けて、それでもなおラギは微笑んだ。
 わずかの間、酒場の中に沈黙がおりた。
「笑えない冗談だ」
 言いざま、ロマは瞬時にラギの間合いに入り込む。ラギもそれに即座に反応し剣を構えた。魔法剣同士が激しくぶつかりあう。剣の先を合わせたまま押し切ろうとするラギとロマの間で、赤と黒の入り混じった煙が立ち昇った。ただの剣同士のぶつかり合いでは絶対に起こりえない現象だ。
 激しい戦闘の気配に反応して、未知の魔法に呆気に取られていたウォンが、嬉々として戻ってきた。そこで初めてウォンはグズベリと直面する事となる。


「うわ、あんた、遠くで見たら女かと思ってたけど、まさか男? 気色悪ィな……」


 誰もが口には出さなかった言葉がその場の空気を一瞬で凍てつかせた。ウォンの無遠慮な一言にすぐさま反応したのはロマだった。
 ラギの剣を力任せに横になぎはらうと、背後の壁を蹴破って外に出た。その意味はわからずとも、ただならぬ不穏な空気を感じとったラギが、自ら突き破った壁から外へと飛び出す。ルツとラプラも即座にそれにならった。
 カウンタにいた男はとうに逃げ出していたようで、穴だらけで崩壊寸前の酒場の中には、状況がつかめず呆けた顔で突っ立っているウォンと、帽子のつばに隠れて表情の見えないグズベリだけが残された。
「何なんだよ……?」
 大降りの雨の中に飛び出していった連中に気を取られ、外の景色を振り返ったところで、ウォンは頭の後ろがざわめくのを感じた。瞬時に酒場の中に視線を戻す。ウォンは思わず息を飲んだ。久々に感じた感覚。それは恐怖だった。
 いつの間に、どこから取り出したのか、真っ黒なローブから突き出た白いグズベリの手に、不気味な黒い大鎌が握られている。得体の知れない大鎌。柄も刃も真っ黒で、輪郭のあやふやなその鎌は、ウォンの本能的な恐怖を呼び覚ました。
 目に見えそうなほどにびしびしと伝わってくる殺気。ウォンはゆるく構えていた剣の柄を強く握り直して、気圧されまいとグズベリをにらむ。握っても握っても手元が心もとないのは、手のひらにかいた汗のせいばかりではないようだ。
帽子のつばに隠れたままの顔からは表情がうかがえない。いつもなら完全に切りかかるタイミングだが、見えない圧力におされてウォンは全く身動きがとれずにいた。逃げ出そうにもそれすら許されない殺気。少しでも動けば一瞬でやられる。本能が告げていた。背中を冷たい汗が伝い、抑え切れない寒気が首筋から全身に這い下りていく。剣を握った両手は小刻みに震えていた。その間にも黒い鎌の禍々しい存在感はどんどん増していった。

―――――――――ゆらり、と空気が揺れた向こうに、ウォンは硝子玉のような鮮やかな緑の瞳を見た。
そして、大きな大きな禍々しい黒い鎌が、少年めがけて振りかぶられたのだった。





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