第2章 馬車に揺られて


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「くそっ!!」
 鈍く痛む腹に手を押し当てて、少年は思わず毒づいた。まともに拳を受けた腹も痛かったが、もう馴染みとなってしまったわき腹の痛みがひどい。赤髪の少年への怒りは未だ収まらず、キルトは最低な気分で街中を歩き、見つけた水汲み場で常備している薬を飲んだ。
 そのままその場で痛みがひくのを待つ。
 ふと、いつもより大量にある薬の袋を見れば、それを押し付けるように自分に持たせた、漆黒の髪の女の顔が思い浮かぶ。
 それはユトの街について、馬車を降りる時の事だった。



 支払いをするからと、皆を先に行かせたルツがキルトだけを呼び止める。
「私が今持ってる分で、使えそうな薬は渡しておくわ。後はいつ離れてもいい」
 大量の薬の袋を渡し、てきぱきと使い方と効用の説明を始めたルツに、キルトは困惑する。さっきまで確かに、共に行動する事に対して、今までに無いほど強く疑問を抱いていたところだった。
 しかしあのルツが、自分が抜けることをこうも簡単に許すとは思っていなかった。いつもの傍若無人さでどこまでも強制的に連れて行かれる事を覚悟していた。
「ちょっと聞いてるの? 時間が無いから一回しか教えてあげられないの」
「俺は行かなくてもいいという事か?」
 戸惑うキルトにルツはため息をつく。
「戦力にはなってほしいけど、あなたに時間が無いのはよく分かってるつもり。なんだかんだ言いながらウォンたちは自分の意思に沿ってるみたいだし。でも、あなたは違うでしょう。私たちは、どっちにしてもセイズに向かうと思うから、今は離れて先に行って待っているのも手ね。無事に辿り着いて合流出来たら、また治療法を一緒に探してあげる。ある程度待っても来ないようだったら別の手を考えて」
 つまりそれほどに危険が高いという事か。何故そんなところにわざわざ出向くのか。
 キルトは奥歯をかみしめる。
 ルツは薬の説明を簡単に終えると、じゃあね、と踵を返した。
「何で……、何であんたは行くんだ。別に親しいわけでもないんだろ、あの子供が……」
 ルツはぴたりと止まって考えこむように口元に手をあてる。
「何でかしらね……。多分、単純に後で気になるのが嫌なだけじゃない?」
 言ってルツは思いついたように振り返った。
「キルト。あんたのその病気も、ここで離れればきっと気になる。だから、せめてセイズで少し待っていて。そうすれば、そんなに不都合はないでしょ?」
 ルツの真剣な瞳にとっさに返す言葉が見つからない。
「ぎりぎりまで一緒に来て様子を見るなら、そうね……、私がこの髪留めに手をかけたら危ない時、離れ時と思ってくれていいわ。その時は……さよならね」
 ルツは複雑な表情で立ち尽くしているキルトに、ふ、と微笑むとユトの街へ駆けて行った。



 俺はさっきの馬車に乗ってセイズに行く。

 自分に言い聞かせるように呟くとキルトは立ち上がり、ユトの街を歩いて馬屋に向かう。
 迷いと不安を具現化したようにわき腹のあざが、いつもに増して痛む。

 そう……、俺には時間が無い……。
 早くこれを治さなければならない。

 ぎゅっと服の上から、傷む腹を押さえつけて眉をよせる。

 でもまだ何も見つかっていない……。
 今一番治療法に近いのはルツだ……。
 そう、だから、セイズで待てばいい。
 ルツが来なかったら別の方法をまた探せばいい……。

 ふと胸に、ルツと初めて会った時の事が思い浮かんで、キルトは立ち止まる。

 俺はあの時何と言った?
 後悔はしない、と。ルツの目的のために役立てるようにする。そう言わなかったか?

 広場で危険な雰囲気をまとった2人と連れだって行ってしまったルツが、直前に髪留めに手を伸ばした光景が頭によぎる。キルトはうつむいてぐっと歯を食いしばった。

 もらうだけもらって、都合よく危険から遠いところで待つつもりなのか、俺は……。

 地面をにらんだまま、キルトはまた足早に歩き始めた。

そもそも、ルツの目的は何だ。
 あの子供を助けたとして、命を危険にさらすほどの得があるとは思えない。

 さっきまで青かった空はいつの間にか曇天になっていた。ぽつら、ぽつらと顔に冷たいものが当たり始める。余計な考えを振り払おうと、キルトは馬屋に向かって走る。

いや、ルツの目的が何であれ、俺こそ、助けたとしてどれほどの得があるというのだろう。ルツにとってあの子供と大差ないはずだ。

 息が切れて胸が痛い。キルトは小路に曲がると壁に背をあずけて苦しそうにあえいだ。息が整ってくると少し気持ちも落ち着いてくる。

 ……単純な損得勘定や理屈ではないもので動いているわけか。

 懐かしい顔が胸によぎって、ふと少年はどしゃぶりの空をあおいだ。

 あいつならどうしただろう……。

 キルトはすっかりずぶぬれになってしまったところで見つけた馬屋に駆け込んだ。
 馬屋の中は蒸していて、動物特有の臭いが立ち込めている。広い馬屋の中で、馬に水や餌を与える御者の姿や、あずかった馬の世話をする馬番の姿が見受けられる。
 キルトは道中で見た異常な馬の死体を思い出す。同時にルツの言葉が頭をよぎった。
『馬が死んでしまった場合はその馬屋で買うわけね?』
 馬屋はだいたい一つの街に一箇所あるという。

 もし奴等が馬を調達しようとするなら、ここで買う可能性もあるわけか……。

 馬屋の中をぐるりと見回してから、キルトは浮かんだ考えをはらうように頭を振る。

 何を考えてるんだ。
 馬車に乗って先にセイズに行くんだ。

 しかし、先ほどの御者を探して、店の男を呼び止めた少年は、意に反した問いが、自らの口からこぼれるのを聞く事になる。
「今日、一度に数頭の馬を買った奴はいなかったか?」





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第2章 馬車に揺られて