第2章 馬車に揺られて


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 まずいな。読みが甘かった……。
 ラプラは歩きながら、心のどこかでどうにかなると思っていた事を認識した。しかしこの状況はどうしたことか。
 ここまでの事態をルツは予期していただろうか。
 隣をちらりと見れば、ルツがかたい表情で黙ったまま歩いている。ラプラは、ふとその髪留めを見やって視線を前に戻した。
 つい先ほど、いつもは冷静なルツが、まがまがしい気配を発している人物に対して、明らかに無駄であろう攻撃の意思を見せたことを思い出す。
 まいったな。あちらさんには、どこまでばれてるんだ。雰囲気からして、2人で抵抗して勝てる相手ではなさそうだし……。
 ラプラは歩きながら、未だずきずきと鈍い痛みを訴える胸へ、無意識に手をやった。
「いちおう聞いてみたいんだけど、俺たちこれからどうなるのかな?」
 ラプラは努めて落ち着いた笑みで振り返る。自分と同じ色の瞳だというのに、その妙に不自然な感じは何度見ても慣れない。いやに心がざわめく。
「ふふ、どうなるかしらね。当ててごらんなさい、綺麗な坊や」
 顔半分を覆ったマントの向こうで、グズベリの目元が歪む。およそ楽しんでいるとしか思えない声色だ。
「はは、綺麗な坊や、か……。お姉さんにそんな事言われるなんて光栄だな……」
 ラプラは頬がひきつりそうになるのを必死でこらえながら、軽い口調で返すとあきらめて前を向いた。グズベリは気味の悪い声で笑う。
「そう、二人ともお利口ね。今余計な事をすればあんたたちだけじゃなく、ここらの人間が一瞬で消え去る事になるわよ。どこかの街の人間みたくね」
 冷え冷えとしたしゃがれ声が、くつくつと笑う。
 一歩進むごとに危険の度合いは増すと分かっているのに、なす術が無い。2人は背中に絡みつくようなその声に指示されるまま、ユトの街を人気の無い方へ歩かされた。
 舗装されていない道に入ったところで、今まで黙っていた黒髪の男が立ち止まる。
「どこへ行くおつもりですか」
 その声の刺々しさに、はっきりと苛立ちがうかがえる。
「やあね、ロマ。怖い顔しないでちょうだい」
 全く聞く耳を持たないグズベリにため息をつくと、ロマはまた渋々歩き始めた。
 まばらだった木は進むにつれてだんだんと増えていき、4人はいつの間にか森に入っていた。
 風に揺れる葉がざわざわと音をたて、それに混じって鳥の鳴く声が平和に響き渡る。馬車が一台通れるほどの道が遠くまで続いており、道の脇には膝丈に満たない緑の葉が生い茂っていた。
 木漏れ日のさす穏やかな森の風景と、背後に感じる黒い気配との差に、ルツが寒気を感じた時だった。
「その左のかしいだ大きな木のところ、曲がりなさい」
「まさか……」
 ロマは呟いて、眉間にしわを寄せた。
 ずっと真っ直ぐ延びている道に分かれ道は見えない。左を見渡してみても深くなる森が広がっているだけだ。
 ルツとラプラは何が起こっても反応できるよう、さらに神経をはりつめる。曲がって伸びた大きな木の下をくぐると草むらに分け入った。

     *

 他でもない、目の前の青年に殴られた腹がまだ鈍く痛む。ウォンは文句のひとつも言いたいところであったが、返ってくるのは悪気の無い笑顔くらいだろう。
 それよりも、とウォンはこれから起こるであろう何らかの事態に期待をよせる。
「そこの道を歩いていったよな? んじゃ、そろそろ追いついちまうんじゃねえか?」
 ルツたちを後方から追ってきたウォンとラギは一本道を慎重に歩いていた。姿を隠す物は木しかないのだ。気付かれぬよう見えるか見えないかぎりぎりの距離をおいて追っていた2人は、いつの間にかルツたちを見失っていた。
 ウォンの言う通り、前を行った4人がこの道を歩き続けているとしたらそろそろ姿が見えてもいい頃である。
 しかし、森の中の一本道にはその影すら見え無い。
「まさかよー、シエリみたくすっげぇ速さで移動し始めたんじゃ……」
 言いかけたウォンを制してラギは周りに一度注意を払ってから、道の左脇に片ひざをついてしゃがんだ。
「これを見て」
 ラギはかしいだ木の下の地面を指差す。真っ直ぐに延びた草がそこだけ少し左右に傾いていた。
「ここを通ったってことか……」
 かがんでその先を見やると、踏み倒された草によって、かろうじて分かる程度に道が出来ていた。
 ウォンは木の下をくぐって草むらに一歩踏み入る。そこで、踏み倒された草の向こうの地面に、何かちらりと動くものを見つけた。
 地面にめりこんだそれは、ラプラが目印として落とした後、真後ろの人間たちに見つからぬよう土の中に踏みこんだのだろう。
「おいおい、急いだ方がいいんじゃねぇか?」
 ウォンが土の中から取り出した魔石は、狂ったように激しい流れを作り、薄暗い森の奥を示していた。
 晴れていた空に、いつの間にか大きな雲が押し寄せて森に影を落とし始める。どこか不安げな風が、ざわめく心を象徴するかのように木の葉を揺らして、ざあっと音を立てた。

     *

「もうそろそろね」
 グズベリの言葉で、ルツとラプラに今までにない緊張がはしる。どれくらい歩いたかはわからないが、やけに長い時間が経ったように思われた。いざとなったら無駄であろうと闘うしかないだろう。ルツとラプラが視線を交わした時だった。
「さあ、ついたわよ」
唐突に現れた風景に二人は虚をつかれた。
何の目印もない森の中を歩き続けて辿り着いたのは、傾きかけた酒場だった。
 グズベリは、押せば崩れてしまいそうな扉を開けて、酒場の中に入る。ギシギシと音を立てる床が、暗い酒場の気味の悪さを助長している。グズベリはラプラとルツを強制的に招き入れ、後ろからやってきて無言の不満を主張しているロマを鼻で笑うと、扉をあけたまま中へ入っていった。ロマは諦めて中に入り、立て付けの悪い扉を勢いをつけて無理やり閉めた。
 昼間だというのに、窓の無いその酒場は暗かった。ぽつりぽつりと置かれている灯が、かろうじて中の様子がわかる程度にその場を照らしている。客はいなく、なんとか原型をとどめているカウンタの向こうに、ひげ面の男が一人座っている。その体格の良さと、顔や体のあちこちについた傷跡から、ただの酒場の店主ではない事はうかがい知れる。
「やあ、あんたか。また綺麗どころを連れてきたな」
 外の光が絶たれて再び暗くなった店の中、ひげの男は目を細めてグズベリの顔を見とめると、後ろのラプラ、ルツに舐める様な視線を送って声をかけてきた。にやりと笑った口の中から数本欠けた歯並びが見え、粗野な感じを際立たせている。
「まだ売るとは言ってないわよ。適当に何か出してちょうだい」
 どうやらすぐに消されるわけではないらしい。憶測を改めつつも、慣れた会話にルツは嫌悪感がこみ上げるのを感じた。
 表の世界の人間にはわからぬよう、各地に点在していると言われる裏の世界。関係者だけがその正確な位置を知っていると言う裏取引の場所。ルツとラプラが連れて来られたこの酒場もそのひとつのようだった。
 常時このような取引が行われ、大金がやりとりされているのだ。そして、なす術も無く巻き込まれた人たちは表の世界から姿を消し、否応無く己の道を定められる。
 赤い瞳の少女の顔がよぎり、ルツは吐き気を覚えた。
 カウンタの男は、こちらも傾きかけた棚から一本酒瓶をひっつかみ、雑な動きで4つの杯に酒をつぐと、4人のテーブルに持ってきた。
「さて、何から聞かせてもらおうかしら」
 グズベリはラプラとルツの顔を交互に見る。ラプラはあいまいな笑みを返し、ルツは警戒をあらわにした鋭い視線を返す。
「まあ、そうかたくならないで。そうね、ペンダントに黒魔法をかけたのはどっちかしら?」
 骨のような白く細い節くれだった指が数回、交互に2人を指した後、ラプラに向かってぴたりと止まった。
「私の予想では……貴方」
 ここまで来て、隠しても意味は無い。
 ラプラは、あきらめたように肩をすくめる。
 グズベリは、くすり、と意味ありげな視線を送った。
 勘弁してくれ……。
 何とか愛想笑いを浮かべたラプラは、頬がひきつらないよう意識を集中しなければならなかった。
「えーと、それでペンダントはどこかな?」
 視線に耐え切れず、単刀直入に話を切り出す。
「これのことね?」
 グズベリはためらいも無しにあっさりと懐から見覚えのある赤いペンダントを取り出すと、二人の前でこれ見よがしに揺らした。ルツは、ざわりと背中に冷たいものがつたうのを感じた。
「それをどこで手に入れたの?」
 敵意に満ちたまなざしに、グズベリはふん、とルツに冷たい視線を送る。ラプラへの態度とは大違いだ。
「ずいぶん強気ね。あんた自分の立場がわかってる?」
 暗い酒場の一角で空気が凍りつくようなにらみ合いが始まる。ルツもグズベリもけっして視線を外そうとしない。一気に張りつめていく空気に危険を感じたラプラが無理やり間に割りこむ。
「えーと、俺たち、人を探してるんだ。ちょっとした知り合いなんだけど……。そのペンダントをつけていたはずでさ。だから知ってるかなと思って……」
 腹の探り合いをするほどの余裕は無い。ラプラが一気に核心まで話を露呈する。戦意は無いのだ、と主張するようなラプラの笑みに、グズベリは気を良くしたようだ。
「ふふ。貴方は分かってるみたいね。自分の立場ってものが。でもひとつ勘違いをしているわ……」
 言ってグズベリは口元に手をかざす。一瞬何事か小さく呟いた後、そろえた人差し指と中指の先に小さな黒いもやが生まれた。しゅるしゅると煙のようなもやが球を作っては崩れ、作っては崩れを繰り返す。無音なのがかえって不気味だ。
 今動けば確実に殺される。
 ルツの直感が告げた。
 緊張した面持ちのルツとラプラ目の前で、グズベリは愉快そうにゆらゆらと黒いもやをもてあそぶ。そして、ゆっくりと口元に戻し、ふぅっと息を吹きかけた。気流にのったもやはラプラの目の前の杯に当たると、ふわりと綺麗な球形を作ってそれを包みこむ。一瞬の後、ふつりと弾けるように飛散した黒い球。杯は欠片さえ残らなかった。ただ黒い粉が残りテーブルに染みを作っているだけであった。
「貴方たちに許されているのは質問に答えることだけ」
 底冷えするような声音に、ルツとラプラは船の上で感じた以上の危機を感じたのだった。





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