第2章 馬車に揺られて


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「先に言っておくわ。私の推測が正しければ、かなりまずい事になっている」
 ルツの言葉に、ラプラが黙ってうなずく。ラプラの中でもおそらく同じような推測が立てられているのだろう。瞳の色に深刻さがにじんでいる。
「そりゃそうだろ。フラムで店の奴等が消えたのは、シエリの杖が関係してたんだろ? そんでシエリがそれを追っかけていなくなったんだったら、そりゃやばいに決まってんだろ。あの馬の死体も関係あるかもしんねえしよ」
 今更何を言っているのか。ウォンが怪訝な顔をする。
「それだけじゃない。問題は、意図的かどうかは別として、船の事件に関係する何かに、ここにいる全員が、また巻き込まれていると言う事よ」
 途端にウォンの瞳は期待に輝き始める。
「じゃあ、また強いやつが出てくるって事か!?」
 ウォンの脳裏に、船上での出来事が鮮明に浮かぶ。凶暴化した動物からの不可解な襲撃や、初めて見る生物の襲来、そして伝説の化け物との対峙と奇跡的な勝利。ルツの返事を待つその瞳には、既に未知の敵に対する抑え切れない高揚感までが溢れ始めていた。
恐怖という感覚が抜け落ちてるのだろうか?
 ルツの心に半ば感心に近い呆れの念が浮かぶ。確かに伝説級の魔物にとどめを刺したのはウォンだった。しかし、うまくいったからいいようなものの、いつ死んでもおかしくない状況だったのだ。恐怖心がない事は、時に死に直結する。
「あんたねえ……」
 遊びじゃないんだから気を引き締めなさい。そう釘を刺しておこうとして、思いなおす。どちらにしても事態が変わらない今、伝説の魔物に突っ込んでいくような無謀な勢いは、流れを変える追い風となるかもしれない。ルツはいましめの言葉を飲み込んで話を続けた。
「まあ、似たような事が起こるかもね……。さっきの馬の血を見たでしょう? シエリは船が魚と鳥の群れに襲われた時、鳥の血が黒い灰のように消えた、と言ったのよね?」
 ルツは神妙な顔つきでラプラをうかがう。
「俺は見逃したんだけどね。シエリが言っていた事が実際に起きるとすれば、まさにあんな感じだ。船のときと同じ現象が起こったと見て、まず間違いないだろうな」
「とすれば、あの馬たちも、生きていた時から正常だったとは思えないわ」
「ラギが街で聞いてきた、『妙な音』ってのも何か関係してるんじゃないかな?」
 ラプラの声には確信めいた響きが含まれている。
「その可能性は大いにあるわね。でも……」
 ルツは口元に手を添え、いぶかしむような顔つきで考え込む。
「もし……、船を襲った生物たちと同じように、あの馬が普通じゃない状態だったとして……。それでその馬にシエリが乗ったとすれば、魔石の反応が一気に遠ざかった事の説明になる?」
「いや……、そうだったとしてもおかしい。馬が持ち得る最大の速度を使ったとしてもあまりに速いし、それにそんな速度で馬は走り続けられはしない」
 説明のつかない事ばかりだ。
 ルツの脳裏に海に消えていった女の顔が浮かぶ。自分の推測が正しければ――――ジーナは死んだのではなく逃げたのだとすれば、自分たちが同じような事態に巻き込まれるのは、そんなに不思議な事ではない。シルフィア号の乗員は、ここ最近海で起きた事件の唯一の生き残りだ。その面々が狙われる事も充分に考えられるからだ。
 しかしおかしくはないか。
 船上の真実を知る者を消そうとするならば、この6人の中でシエリだけが狙われた理由がわからない。最初に杖だけを奪った理由もだ。
 仮に最初からシエリだけ、もしくは杖だけを狙っていたとしてもやり方がまわりくどい。
シエリを利用し、ここにいる全員をおびき出して消そうとしているのか。だが自分たちがシエリを追う確証など無い。そもそも今、シエリを追う事すら出来ない状態に陥っている。シエリには杖の場所がわかるようだったが、普通に考えればシエリとて杖を追える状況ではなかったはずだ。
 では今回の事は船上での事件とは関係なく、さらに狙われたのは杖だけで、記憶も薄れぬうちに同じ現象を続けて目撃したのは、ただの偶然なのか?
 いや、自分たちが遭遇した事実が偶然だったならば、他の人間の目にも触れ、それなりの噂が流れるはず。しかし、ここに来るまでそんな話は聞いたこともない。血液が灰のように散るなどという変事、この短い間に自分たちだけが2回も目撃したとすればそれは偶然ではないだろう。
 そもそもシエリの持っていた杖に、わざわざ狙うような価値があったのか? 何者かがそれに気付いたというのか? 側にいた自分たちでさえ、シエリが抱えている包みが杖である事すら解からなかったのだ。それを狙ってくるとは考えにくい。
 とりとめなく考えていたルツだったが、結局辿り着いた結論は、『シルフィア号にのっていた者を狙っている誰かがいる』、という事だった。もしかすると、自分たちだけではなく、ブランガル船長や負傷者のサンクやカイツの所にも、何らかの接触があるかもしれない。
ルツはふと眉をひそめた。
「ラプラ、あの魔法の対象はあくまでもペンダントで、それをシエリが身につけているかどうかは関係ないの?」
「関係ない。……でも、ほら、誰かに奪われただけって可能性もあるしさ……」
 ルツの心境を思いやって言ったラプラだったが、気休めにもならない事は分かっていた。
 船で起こった事実、フラムの街の人間が消えた事、つい先ほど見た馬の無残な死体。
 これがもし同じ線でつながり、シエリがその一連の事件に関わる者に遭遇したのだとすれば……、シエリからペンダントを奪った何者かが、シエリを生かしておく理由はどこにもない。口には出さない推測は、しかしその場に暗い影を落としていた。と、突然ウォンが勢いよく立ち上がる。
「わけわかんねー事ばっか起こってんだから、確かめてみねーとわかんねえっての。ここでごちゃごちゃ考えてもしょうがねえよ。追いつくしかねーだろ」
 一同の視線がウォンに向かう。
「珍しく的を射たことを言うのね」
 狭い馬車の中、やけに頼もしく響いた声にルツは呆気にとられる。ふに落ちない事に気を取られ過ぎて、らしくもなく気持ちが足踏みしていた自分に気が付く。
ウォンは揺れる荷台の中で立ち上がると、器用にバランスをとって前方に移動する。御者の席とを分けている布を押し上げ、手綱を握っている男に焦れたように不満をぶつけ始めた。
 その場の空気をわかっているのかいないのか、その表情には活力が溢れている。
「おい、おっさん! もっと速くなんねーのかよ!」
「ならんよ。馬だって生き物だ。これ以上速く走れば足に負担がかかる。何を急いでるんだか知らんが、この先の街に行ったら馬も休ませなきゃならんぞ。待てないってんなら他をあたるんだな」
 御者は振り返りもせずにそっけなく答える。未知なるものに出会えそうな予感に、意気込んだウォンだったが、黙々と従順に車を引く馬の姿を見て押し黙る。
 ふとその横にルツがやって来た。
 また何か小言を言いに来たのかとウォンは構えたが、ルツの視線は御者に向けられている。その表情にはさっきまでとは違い、何かを手繰り寄せる寸前の緊張感が浮かんでいた。
「ねえ、御者さん、教えて欲しいんだけど……。馬が全速力で走り続けられるとしたらどれくらいの距離? どれくらいの時間? もしも、それ以上無理に走らせたらどうなるかしら?」
 ルツが何かに突き動かされるように、矢継ぎ早に質問を並べる。
「さあなあ……、限界まで走らせた事はないからわからんが、せいぜい時間で30分が限界だろう。あえて無理やり走らせたとしたら倒れるか、疲労で足が駄目になるかだろうな」
「じゃあ、もし馬が駄目になってしまった場合、馬を手に入れるためにはどうするの?」
「……なんだ、俺の馬には無理はさせるつもりはないぞ」
 声を低くして御者がちらりと振り返ってルツをにらむ。
「そういうつもりじゃないわ。でも、どうしても知りたいの」
 御者は、妙な客を乗せたことを少し後悔する。
「馬をそんな無理使いをするような奴は滅多にいないが、もし馬を手に入れるとすれば、だいたい街ごとに専門の場所がある。馬屋って所がな。長距離を走り続ける場合は、その場所で馬を交換する事もある。俺はこいつらとずいぶん長く一緒にやってるがな」
 言って御者は少し誇らしげに前を走る馬を見やった。愛着があることが見て取れる。
「だが、こいつらの中で調子が悪くなる奴がいたら、その馬屋で休ませて、代わりの馬を借りるって事もある。とっかえひっかえ馬を替える奴もいるが、俺は好かんね。馬だって感情がある。長い事一緒にいりゃ情も移るもんだ」
「じゃあ、もし万が一、馬が死んでしまった場合はその馬屋で買うわけね?」
 御者はぎくりとして、またルツを振り返った。本当に怪しい客だ。
「買うって簡単に言うけどなあ、姉ちゃん。安かねーぜ? 馬が欲しいのか? つてがないなら諦めたほうがいい」
「まあ、欲しいのは私じゃないんだけど……。次の馬屋のある街まではどれくらいかかるの?」
「ユトの街か。あと30分ってとこだな」
「30分……」
 シエリは―――もしくはペンダントは――――――、直ぐ側まで追いついた時に移動速度を速めた。
「移動手段はやっぱりあの異常な死に方をしていた馬だと思うんだけど……、でも、フラムの街で妙な馬の噂はなかったわね……」
「誰も見なかったのは、人目につかないところを走ってたのか、フラムの街では、馬は異常ではなかったのか、それとも……」
「それを見た方はもうこの世にはいないという事ですね」
 ラプラの言葉をラギが引き継ぐ。フラムの街で見た質屋の奇妙な光景を思い出し、ルツの心に強い不快感がよみがえった。馬を短期間で使いつぶし、消耗品のように新しく買い足していく。財力のある残忍な人物像が思い描かれる。
「ユトの街は追いつく最後の機会かもしれないわ。馬を無理使いすれば、必ず短時間で新しい馬を手に入れなければならない」
 シエリが生かされている望みを捨てないとするならば――――、考えられる選択肢は杖を奪った人物がシエリに何らかの興味、使い道を見出す事……。 その一点のみである。
「おい、ルツ! 聞けよ! おい!」
 思考の渦の中にはまりこんでいたルツを、ウォンの乱暴な声が馬車の中に引き戻した。
「何よ、ちょっと考えてるんだから黙って……」
 言いかけたルツの前にウォンが魔石を突きつける。反応が弱くなってしまっていたはずの黒いもやが、再び活発に動く気配を見せていた。

     *

「来るわね」
 ウォンたちがユトの街についた頃の事だ。
 しゃがれた声が嬉しそうに言う。白い肌に貼り付けられたような、血色の悪い唇が吊りあがった。緑の瞳が細められてにやりと歪む。手には赤いペンダントが握られていた。
 病的なまでに細く白い指が、ペンダントのひもをつかんで自分の目の前にかざした。緑と赤、まるで色違いのガラスのような瞳と石が向き合う。
 間もなく、地面に向かってただ黙って垂れていたペンダントが、徐々に左右に動き始めた。ひもをつかむ手は動いてはいない。
「もうそこまで来ていますね。移動しますか?」
 向かい側にいた男の切れ長の目が緑の瞳をうかがう。飾り気の無い紺の服をきっちりと着込んだ外見から、かたく冷たい印象がうかがえる。
「あなたのことですから、このまま出発する気は無いのでしょう。いざという時は面倒なく消せるように、人気の無い場所に移動した方がよろしいのでは?」
 落ち着いた声だ。
「物分かりのいい部下で嬉しいわ。でも、白々しいわよ。聞かなくたって分かってるんでしょ? 何であたしがわざわざ移動しなきゃならないの? あんたは面倒なことは嫌いだものね。でも、お生憎様。あたしはこういう面倒ごとが好きなの」
 くつくつとしわがれた声で笑うその態度に、男は聞こえよがしにため息をつく。肩まで垂れた真っ直ぐな黒い髪が揺れた。
「もうやるべき事は果たしたでしょう、グズベリさま。後はただ戻るだけでよいでしょう。ただでさえ余計な小娘を生かしたまま馬車に放置しているのに……」
「その余計な小娘を追って、わざわざやって来る奴がいるのよ。こんな面白そうな事を放っておけるわけ無いでしょ。ついでよ、ついで。あの小娘は魔法なしで杖に辿り着いたみたいだけど、ペンダントを追ってきている奴は確実に黒の追跡魔法を使っているわ。杖を魔法なしで追跡できる人間を、さらに黒魔法で追跡してる奴がいるのよ? これを楽しまない手は無いわ」
 グズベリと呼ばれた人物は心底嬉しそうに、くくっと喉の奥で笑ってペンダントに視線を戻した。その振れ幅はどんどん大きくなっていく。
「それに小娘だって、別に放置はしてないでしょ。見張りをつけてるもの」
「あんな捨て駒の一人や二人つけたところで、果たして見張りと呼べるのか……」
 男がこめかみに手をそえてつぶやく。グズベリはふと視線を上げて男を見ると、またくつくつと癇に障る嫌な笑いをこぼす。
「あんたのその、自分は捨て駒じゃないと確信してる態度、嫌いじゃないわよ、ロマ」
 男は、思わず舌打ちをしそうになるのをどうにか奥歯をかみしめてこらえ、ふいと目をそらした。

     *

「近いな……」
 ラプラは手のひらに魔石を乗せたまま、馬車から降りた広場をぐるりと見回す。そこは昼時のためか、晴れた日の下、多くの人でごった返していた。草原に座って昼食をとるもの、木の下に寝転がり仮眠をとるもの、店の前に設置された傘の下で珈琲を飲むもの。広場はもちろん、広場から延びる大通りや小道も、けっして人は少ないとは言えず、ペンダントはおろか人探しさえも難しい有様であった。
 しかし時間は無かった。馬をこのユトの街の馬屋で休ませるための2時間弱。その間しか御者は待たないと言う。それを過ぎれば出発する、と先にそこまでの運賃を払わされた。急いでいたのでその全額を、手持ちの多いルツが立て替える形となったが、いつもはお金に関してこまかいルツも気にしている余裕さえないようだった。


「おいおい、こっから探すのかよ……」
 ウォンはうんざりしたように広場を見回してから、今までに無い勢いで反応している魔石をのぞき込んだ。
「あーっと、こっちだな……っとっっっぅぐぅッ!?」
 勢いよく一歩踏み出したウォンのえり首をルツが突然捕まえる。自然と首が絞まる形となり、ウォンは言葉にならない声を発して踏み出した一歩を戻った。
「げふッ、げほっ! ぃっきなし、何すんだよっ!?」
「あんた、人の話聞いてたの!?」
 ウォンの苛立ちをさらに上回る威圧感でルツが間髪入れずねめつける。
「相手は普通じゃないってさっきから話してるでしょ! もっと慎重に動きなさい! まさか馬鹿正直に『シエリを返してください』なんて言うつもりじゃないでしょうね?」
「んなわけねーだろ」
「そうかしら……」
「俺がそんな敬語使うわけねーよ。返しやがれって言やぁいいんだろ。んで、応じなかったら力づく!」
 ぐっと拳を握ったウォンに、話にならないとルツは首を振る。ウォンはその場で魔石が指し示す方向を見やった。目の前を幾人もの見知らぬ人間が通り過ぎていくが、ウォンが頭に思い描いている青灰色と赤色の組み合わせは、近くにも遠くにも見えない。
 ウォンはふと振り返ってラプラにじとりと疑うような視線を向けた。
「だいたいよー、本当に魔法なんかで居場所がわかんのかよ?」
 今更であり、失礼な物言いにラプラは苦笑する。
「この魔石が反応している限り、ペンダントには魔法がかかってるはずだよ。もし……、シエリがこの場にいなくてもペンダントはこの近くのこの方向にあるはずだ」
「ふーん」
未だ信じていない調子で返したウォンは、今度は赤いペンダントを探して人ごみに眼を凝らす。そうすると赤い色の物が全て意識に止まり、魔石が指し示す場所はわからなくなる一方であった。
「とりあえず、私が様子を見てくるわ」
「オレも!」
 早く得体の知れないものに辿り着きたいウォンが嬉々として言う。
「あんたは駄目。すぐ顔にも行動にも出るから。さり気なく探れなきゃ意味ないの」
「じゃあ、俺がついていこうかな、一応ね」
 ラプラの言葉にルツがうなずく。
「おい、ちょっと待てよ、何でラプラは良くてオレは駄目なんだよ!」
「そうやって、すぐ感情が表に出るから駄目だって言ってるの」
 ぴしゃりと言ったルツは、踵を返すとラプラと連れ立って人ごみに消えていった。
 ふに落ちない渋い表情で二人を見送るウォンの後ろで、ラギがくすりと笑う。
「ウォンは目が良さそうだね。二人が何かに巻き込まれないように『さり気なく』見ててくれる?」
 嫌味なのか、慰めなのか。ラギの邪気の無い笑顔に毒気を抜かれたウォンは、ちっと舌打ちをするとルツたちが行った方を見やった。
 そんな4人のやりとりには見向きもせずに、キルトは無表情のままただ黙って人ごみを眺めていた。


 金髪で垂れ目の男と、黒髪でつり目の女。一見すると穏やかな日の下、ともに過ごす時間を楽しむ恋人同士に見えなくも無い二人は、周囲に意識を集中しながら、なおかつ自然なふるまいになるよう注意して、シエリとペンダントを探していた。
 こちらがペンダントを追っている事を悟られれば、追いつく機会を逃してしまうかもしれない。
 口には出さずとも、それがラプラとルツの共通の認識だった。
「キルトはずい分不機嫌だね」
 ラプラは歩きながら、あえて関係のない話題を持ちかける。
「ほんと……。一人で行くって言い出すまで後一歩ね」
「立ち入った質問で悪いけど、ルツはキルトを連れて行かなきゃいけない理由が何かあるのかい?」
 ずっと気になっていた事だった。
「味気ない旅にちょっとした風味をつけるため、とでも言っておくわ」
 ルツが前を向いたまま微笑む。
 では、自分がシエリと行動を共にしようとする理由と大して変わらないわけか。ルツの言葉が本当だったとして。
 ラプラはそれ以上は聞かず、なるほどね、と返しておく。
 そのまま二人は、何気ない会話をしている振りをしながら、魔石の示す方向に歩き続けた。魔石の中の黒い粒子は、これ以上に無いほどの速度で壁面にぶつかり、ペンダントがとても近い位置にあることを示している。しかし、やはりシエリの姿は見つけられないままであった。


 ウォンたちと別れた広場から、通りを歩いて10分ほどたった頃、再び開けた広場で二人は思わず足を止めそうになった。
「ルツ……」
 ラプラは速度を落とさずに歩きながら、そっと魔石を腰の布袋にしまいつつささやく。
「ええ。真ん中の席に座っている二人ね」
 ルツもラプラに合わせて、広場に置かれたテーブルの間をぬうように歩いて行く。その表情は先ほどよりもかたい。
「でも何故……。シエリのペンダントを見ただけじゃ、魔法がかかってるなんてわからないものでしょ? わかる人間もいるの?」
「いや……。少なくとも俺はあの追跡魔法を感知する術は知らない」
 広場の中央に座っていた二人は、明らかにラプラとルツに視線を寄こしていた。現に今も、そちらを見ずともわかるほどに強く視線を感じる。
 ルツとラプラはその二人組と距離を置きつつ、端の席まで行くと顔を見合わせて腰掛けた。
「魔石は?」
 ラプラはそっと布袋をのぞく。
「やっぱり、あいつらの方に向かっているな」
 あまりにもはっきりと視線を送ってきていたため、ラプラもルツも一瞬しかその姿を見ることは出来なかった。が、それでも分かるほどに、異質な雰囲気をまとった人物がそこにはいた。こんなのどかな風景の中、明らかにその存在は浮いて見えた。
 そしてシエリの姿は無い。
ラプラもルツも口には出さなかったが、二人の頭の中に自然と最悪の事態が浮かんだ。


「おい、もう行ってもいいんじゃねーか? あいつらって事なんだよな?」
 焦れたようにウォンはラギを振り返り、すぐにまた視線を戻す。その先には同じテーブルに座る、ラプラ、ルツ、――――――――そして見知らぬ二人連れの姿があった。
 テーブルに座ったルツとラプラを、遠くから見ていたウォンたちもまた、二人にあからさまな視線を送る者たちの存在に気付いていた。紺の服をきっちりまとった男と、全身黒づくめの人物。服装からして黒づくめの方は女のようであった。ルツとラプラが座っていくらもたたないうちに、その怪しい二人組みはラプラたちの席に移動してきた。雰囲気からして、すぐに争いになる様子ではなかったが、ルツもラプラも強く警戒しているのが遠くからでもわかる。
「いつまで話してんだよ。結局シエリはどうなったんだ? あいつらがやばい奴等なんだろ?」
 ウォンが落ち着かなげに、またラギを振り返る。
「もう少しだけ様子を見る。それじゃなきゃ、ルツが僕らを残していった意味がなくなってしまうよ」
 遠巻きにルツたちを意識しながらラギが冷静に判断する。
「つってもよー、いつんなったら動くんだよあいつら……」
 ウォンがそう言って視線を戻した時だった。
 ゆっくりと4人が席を立った。
「様子がおかしい」
 ラギが穏やかだが慎重な響きを含んだ声で言う。
「追うな? 追うよな?」
 ラギとは対照的に、ウォンは今にも飛び出しそうな気配である。ラギはルツたちの様子を見ながら黙って軽く手を上げ、ウォンを制する。その様は、獣が獲物に飛びかかろうとするのを制する猛獣使いのようだ。
 ルツの手がふと、頭の後ろに髪留めとして仕込まれている針に伸ばされ、あきらめたように下ろされた。そしてルツ、ラプラと怪しい二人はラギたちとは逆の方に歩き始める。
 ウォンを制していたラギの手がすっと下ろされた。
「行こう」
 号令を受けた獣のようにウォンが勢いよく一歩を踏んだところで、

「俺は行かない。後は勝手にやってくれ」

 後ろから温度の低いキルトの声がかかった。





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