第2章 馬車に揺られて


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 一旦停車した馬車の中、ルツはシエリの身に何が起こったのか、今打つべき最善の手は何かを思案していた。
 直ぐ側まで来ていたはずだった。
 自分たちは馬車で移動していたのだから、こんなにも急に距離を離されるのはおかしい。シエリが馬に乗れるとは考えにくい。馬車もろくに止めることの出来ないシエリだ。馬を手に入れて颯爽と走る姿は想像出来ない。それに、例え馬に乗ったとして、これほど短時間で離されるものか。
 目を凝らしてかろうじてわかる程度に、魔石の中のもやが、か細く流れを作っている。確かな事は方角と、近くにはいないという事実だけだった。
 いくら眺めてもどうしようもないとは思いつつ、ルツの視線は自然と魔石にいっていしまう。振っても転がしても、中の黒いもやは我関せずといったようにゆっくりと渦巻いている。無造作に宙に放り投げても……。
「ちょっとウォン、あんたそれよこしなさい!」
 観察に飽きたウォンが、魔石をぽんぽんと放り始めた。慌ててルツがそれを取り上げる。いくら反応が少なくなったからといって、一番の手がかりは魔法がかかったままの、その魔石なのだ。割ってしまえば、本当に手がかりを失ってしまう。
「全く、割れたらどうするの」
「落とさねーよ」
むっとしているウォンの向かいで、キルトがルツの言葉に眉をよせた。
「まさか、まだ追う気なのか?」
 キルトの顔がいつになく険しい。昨夜、宿で苛立ちを爆発させてから、キルトのこの寄り道への疑問は一気に膨れ上がったようだ。ただでさえ先の見えない道のりだった。キルト自身の意思とは関係ない方へずるずる引きずられる形となっている今、ここで、「追う」と率直に答えれば、これから先は一人で行くと言い出しかねない。会ったばかりの少女の心配をする余裕は少年にはなかった。
 ルツは素早く思考を巡らせる。不幸中の幸いか、魔石が示している方向は未だ、予定のセイズからはさほど外れてはいない。
 ルツの勘は、シエリが何かに巻き込まれた事を告げていた。シエリを見捨てるわけにはいかない。しかし、キルトの病気の治療から離れる事も同じくらいにルツは嫌だった。
 どうにか言いくるめようとルツが口を開いた時、ちょうど街に情報集めに行っていたラプラが戻ってきた。
「シエリらしい子供を見た人がいたよ」
 キルトが無言でラプラにきつい視線を送る。ラプラは気づかぬ振りをして続けた。
「1時間くらい前に、この通りの向こう側を歩いていくのを見たらしい」
青灰色の髪に金の耳飾りをつけた無礼な子供など、そうそういない。見かけない、身なりの良い子供。貴族が迷子にでもなったのだろうと親切に声をかけた地元民に、無愛想な子供は振り向きもしないで歩いていったという。
「シエリね……」
 その光景があまりにはっきりと頭に浮かび、ルツはため息をついた。
「でも、ますます変ね……。すぐ前にここにいたのは確かなのに、何故今、近くにいないの?」
 ルツがもとの疑問に戻ったところで、今度はラギが戻ってくる。
「そっちはどうだった?」
「シエリを見たという人はいなかったのですが、少し気になることを聞きました」
 ラギの言葉に、一同が視線を向けた。
「1時間ほど前、奇妙な音を聞いたという人が数人いました」
「奇妙な音?」
 ルツが眉をひそめる。
「ええ。化け物みたいな声を聞いたと言っていた人もいました」
「それはどっちの方角だった?」
 嫌な予感に自然とラプラの目つきも鋭くなる。
「皆さんの答えから、だいたいあっちの方角だと思います」
「シエリの行った方じゃねーの?」
 ウォンがどこかのん気に言う。
「さあ、乗って。行くわよ」
 ルツはキルトが降りると言い出す隙を与えないよう皆を促すと、すぐに御者に命じて馬車を走らせた。ラギが指し示した方角には、晴天を覆うようにちらほらと雲が集まり始めていた。


 程なくして道の脇に並んでいた家々は少なくなり、道自体も枝分かれの無い一本道になる。街の外れだ。
 道を歩く人もほとんどいなく、シエリがいればすぐに見つけられそうなものだったが、やはりその姿はない。
「少しも近づいた気配はないね」
 魔石に変化がない事を見てとったラプラは、口に出してしまってからキルトをちらりとうかがい見た。
 キルトはこれ以上シエリを追うことに対して乗り気ではないらしい。事態がうまく進んでいない事を言葉に出してしまう事はうかつだったか。ラプラはとっさに思ったが、キルトの機嫌はこれ以上悪くなりようのないところまで来ているようだった。
 不機嫌を隠しもせず、眉間にしわを寄せたまま、キルトはただ黙って外を見ている。その視線はシエリを探しているのではない事は明らかだった。口元に手をあてたまま、ぐっと怒りをこらえているようだ。
 頭の中はこの面々から離れる事で一杯なのだろう。でもルツは連れて行きたいようだし……。
 ラプラがどうしたものかと思案した時、ふと悪臭が鼻をついた。
「臭ぇ!」
 また寝入りかけていたウォンが飛び起きる。他の面々も、思わず立ち上がって辺りを見回す。通り過ぎたのか、すぐにその臭いは消えたが、ルツは御者に言って馬車を止めた。御者は先ほども無理に停車させられた後だったため渋い顔だったが、そこはルツが押し通した。
 好奇心に動かされたウォンが、臭いの強くなる方に真っ先に駆けていく。
 しかし、そこは何の変わりもない空き地だった。近くにあるのは古ぼけた空き家くらいである。
「おい、この中からだ」
 ウォンが、枠しか残っていない窓から家の中をのぞく。薄暗い廃屋に、壁の板がはがれた所から光が差し込んでいる。端から端まで中を見渡して、ウォンは左奥に大きな黒い塊を見つけた。窓からのぞくだけではよく見えない。
「何か見つけたの?」
「左の奥に、なんか見えねえか?」
 言われてルツも額に手をかざし、外の光を遮りながら目を凝らす。暗がりに目が慣れ始めて、その輪郭がはっきりし始めた。
 それが何か悟った途端、ルツは思わず顔をしかめた。ほぼ同時にウォンもそれが何か理解する。
「おい、あれって馬の死体か!?」
 悪臭は腐臭だった。
 家の隅に折り重なって放置された馬の死体が、腐り始めて放つ臭いだった。
 ラギがすぐに扉へまわる。壊れかけたそれをこじ開けて、ラギはひどい臭いが立ち込める家の中に足を踏み入れた。ラプラもそれに続く。
 馬の死体は全部で4体。
「ひどいな……」
 ラプラが顔をしかめる。
 馬の顔は苦悶で歪んでいた。肉が削げ落ちた顔に異様に浮き出た眼球が、怒りを表すように宙を見上げている。たてがみはばさばさに絡まり、ひきつれた口元から歯がむき出しになっているのが見えた。
 ラギがそっと馬の足に手を伸ばす。
「折れてる……」
 ラプラも他の馬の足に触れてみるが、全ての馬の足が使い物にならない状態だった。
「ひどいわね……」
 窓からうかがっていたルツも中に入り、改めてその光景を間近で見て眉を寄せる。
「死んだのはおそらく昨日あたりだと思います。死につながるような外傷はありませんが、全ての足が折れています」
「それって、こいつらの足を折ってここに捨てたって事かよ……」
 ルツについて入ってきたウォンが、不快感をあらわにする。
「いや、俺の推論だけど……、わざと折ったというよりは……折れるまで無理に走らせたんじゃないかな」
 ラプラの答えにラギもうなずいて賛同を示す。
 じっと馬を見ていたルツがそばに歩み寄り、そっと馬の足に触れた。確かに外から衝撃を加えて折った痕は見当たらない。他の足にも触れてから、ルツは馬の腹をぐいと押す。何度かそうした後、意を決したように顔を上げてラプラを見た。
「ナイフを持っていたわね?」
「ああ、うん、あるけど……」
「この腹の辺りにナイフを入れて欲しいの」
 何か思うところがあるのだろう。
 ラプラは黙ってうなずくと、ゆっくりと腹にナイフを入れた。
 そこでふと、ラプラは違和感を感じた。
 いやに柔らかいな……。
 外から見ただけでも一日は経過しているように見える死体だ。皮膚も筋肉も血液も固まり始めているだろう。しかしナイフは意外にあっさりと沈んでいった。3人が見守る中、ゆっくりと皮膚の一部に切れ目をいれて慎重に剥がし、中をあらわにする。嫌なにおいが鼻をつく。一見、絶命してからそう日は経ってないように見える死体の腐臭は、何日も放置されたもののそれだった。
「何……これ……」
 ルツが誰に問うでもなくつぶやいた。固まっていると思われた血液は未だどろどろと流動性があり、その色は黒そのものだった。
 ラプラの脳裏に、数日前、船で見た光景が鮮明に浮かび上がる。船を襲った魚から染み出した血液……。目の前でその血は異様な黒さに変色した。その直後、目を離したほんの少しの間に、血は綺麗に消え去った。
 その瞬間を見ていたシエリは何と言っていたか。
 ラプラは馬の腹からどろりと流れ出た血を、手袋をはめた指で拭い取る。粘着性の高いそれには見覚えがあった。
「うわっ、何だよその黒いの!」
「静かに!」
 ラプラは次に起こるであろう変化を予測して、じっと指先の黒い液体と、馬の腹の切り開いた部分を交互に見つめる。
 ルツ、ラギ、ウォンもそれにならってじっと馬の腹を見つめた。
 次の瞬間、黒い液体は突然、瞬く間に膨大な量の真っ黒な煙となり、あっという間に空中に拡散して行った。
 驚いて言葉もないまま4人は黒いもやが消えていった宙を見つめている。
 その後ろから、やはり驚きに満ちた声が聞こえた。
「なん……だ……、今の……」
 いつの間にか家の中に入ってきたキルトもまた、もはや何もなくなった宙を凝視してたたずんでいた。
 その問いには答えず、ルツはさっと立ち上がり皆の顔を見る。
 ルツの頭の中で、全く関係ないと思っていた欠片が少しずつ繋がり始めていた。
「馬車に戻って。すぐに出発するわ。ラプラ、魔石を見ててくれる? そっちの方角に向かうしか今は手がない。馬車の中で私の考えを話すから。急いで」
 いつもよりも切迫したルツの声に追われるように、一行は無言で馬車へと急いだ。





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