第2章 馬車に揺られて


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 昨日の夕食時、宿から飛び出していったシエリは、あっさり戻ってきて何事もなかったかのようにデザートにありつき、さっさと部屋に行ってしまった。ぶつけどころを失くしたキルトの怒りはさらに増し、その殺気にウォンが触発され―――、危うい空気に一気に火がつき爆発したのだった。
 食器は割れて散らばり、テーブルの足は一本折れて傾き、板の中央には亀裂が入って、数箇所穴も空いている。テーブルを挟んで座った二人の感情のはけ口となったそれは、もう修復不可能な有様だった。結果、ルツが先日手にしたばかりの大金のうち、半分近くが修理代に飛ぶ事となる。
朝起きて、頭の冷えた張本人たちに後片付けさせるべく、それらは放置されていた。
その傾いたテーブルを挟んで話すのはルツとラプラだ。旅の経路も含め、二人が空いた時間に意見を交わすのは、馴染みの光景となりつつある。
「これにどうやって目印を?」
 ルツは寝付いたシエリの横から持ってきた、紅玉のペンダントをラプラに差し出す。シエリがメグからもらったものだ。
「これに魔法をかける。追跡魔法の一種だ。確信はないけど、多分ここにはまっている石は魔石だと思う」
ラプラは腰の皮袋から透明な石を取り出すと、それもペンダントの横に並べて置いた。両の手を二つの石にそれぞれかざす。口の中でつぶやいて石を握りこんで数秒後、ラプラはそれらからゆっくりと手を離した。
 シエリのペンダントにはまっている石には何の変化もない。しかし透明な魔石の中には、黒いもやのようなものがうごめいていた。じっと見ると、それは川の流れの一部を切り取ったように、一定の方向に勢いよく動いていた。
「やっぱりね」
 ラプラはルツに笑む。
「これで位置が分かるの?」
「まあ見てて」
 ラプラは黒いもやが動き続けている石をつまむと、ゆっくりとペンダントの周りで動かして見せる。すると、中の黒いもやはまるで、ペンダントに吸い寄せられるかのように流れを作って動いた。
「不思議……。これで、シエリがどの方角にいるのかわかるわけね」
 ルツは、ペンダントのひもを持ち上げて左右に揺らす。ペンダントの方には何の変化もないのに、透明な魔石の中身はやはりペンダントに引き寄せられて動いているようだ。
「私も色々魔法は見てきたけど、こんな魔法は初めて。相当難しいんじゃない?」
 知的好奇心が刺激されたらしい。ルツは期待で瞳を輝かせた。
「どうだろうね。見た事がないのは、多分……」
 そこまで言ってラプラは言い淀む。じっと次の言葉を待つルツに、ふと困ったようにラプラは笑った。
「多分、黒魔法だから」
 ラプラの予想通り、ルツの表情が好奇心から驚きに変わる。
 そりゃそうか。虚月にあんな不可思議な事件に巻き込まれて、そこに黒魔法なんて言われれば……。
 しかし、次の瞬間ルツはにやりと笑んだ。
「頼りになりそうね」
 ラプラは拍子抜けした。てっきり警戒されるかと思った。
 エータとシータに照らされたこの大地。それぞれの月を源とする赤魔法、青魔法は、知識の差こそあれ一般的に受け入れられている。
 しかし、黒魔法は違う。黒い月、ラムダの力が源だとささやかれる黒魔法を忌み嫌う人間は多かった。その月が実在するかどうか定かではないにもかかわらず。
「黒魔法……、嫌じゃないのかい?」
「何で?」
 ルツはじっくりと魔石とペンダントを見比べる。
「確かに、邪法なんて言う人もいるけど」
 魔石をつまんで振ってみるが、中は何ら変わりない。
「結局、赤だろうと青だろうと、使う人間しだいでしょう?」
 かかげた魔石の向こうから、ルツの瞳がラプラの瞳をじっと見つめた。紫の瞳の奥に知性の輝きが見える。沈黙の向こうに相手の真意を読み取ってやろうという目だ。
 ラプラは気が抜けたように、ふと笑った。黒魔法への偏見を意識していたのは、どうやら自分の方だったようだ。
「そう、使う人間しだいさ。念のために言っておくと、黒魔法は使うけど、この前の船の事件、俺は何も関わってないよ」
 冗談めかして笑うと、ルツは意外そうな顔をした。
「よくわかったわね。私がその事を考えてるって」
「まあね。年長者の勘ってやつさ」
 ルツは、ふーんとつまらなそうに、魔石をラプラに返す。
「でももう疑ってないわ」
 そこでルツは、再び真剣な顔でラプラを見やった。
「相手は何隻もの船を沈められるような奴よ。もしあなたが黒幕と関係があるとすれば、ここまでの間、こうやって思い浮かんだ推論のあれこれを、うかつに話してしまった私が生かされているはずはない」
違う? とルツの鋭い視線がラプラに向けられた。それはルツがあの事件の背後にあるものに、計り知れない危機感を抱いている態度の表れだった。
「それに」
 ルツはふと表情をゆるませる。
「黒幕が、そんなけがまでして、未だにあのお嬢様のお世話を焼くなんて考えにくいし」
 今度はルツが含んだように笑い、
「まさかシエリをどうこうすることが目的!?」
 大げさにはっとして、ひいてみせる。
「違います」
 ラプラはうんざりしたように否定した。
「冗談よ。さ、もう寝るわ」
 楽しそうに笑って去ろうとするルツに、ラプラは聞いてみたくなる。
「本当にそれだけの理由で信用しちゃっていいのかな?」
 ちょっと意地悪く笑ったラプラに、ルツはにっこりと魅力的に微笑んだ。
「女の勘ってやつよ」



 ルツの信用を少しばかり得ることができたのは、けがの巧妙か。馬車の中、どんなに急いでいても時間は持て余す。ラプラがなるべく前向きに考えるように努めようとした時、
「おい。さっきよりも動きが弱くなってないか?」
 キルトに言われ、はっとしてラプラは魔石に視線を戻した。
 ルツ、ラギもそれを見やる。4人の視線が集まった魔石の中の黒い物体は、確かにどんどん力をなくしていくようだった。打つ手もなくそのまま馬車を走らせ、30分もした頃には、魔法の勢いは出発する前よりも弱くなってしまっていた。
「そんな……」
 ラプラは魔石から目を離せない。
「魔法が切れたって事は?」
「いや、このもやが残っている限り、切れたということはないし、経験上明日の夜頃まではもつはずだ」
「あっちが馬車に乗ったってことじゃねえのか?」
 いつの間に起きてきたのか、中途半端に話を聞いていたウォンが、魔石を見るために身を乗り出す。
「お馬鹿ね。私たちもずっと馬車に乗ってたでしょ。少しくらい早い馬車に乗ったって、一気に離されるはずないわ。こんなに一気に離されるということは、向こうがこっちよりずっと速い速度で移動し始めたって事よ」
「じゃあ、何か馬車より速いもんに乗ったんだろ」
 お馬鹿の単語にウォンはむっとする。ラギはラプラをじっとうかがう。
「このあたりで馬車より速いといえば、荷車をつけないで馬に乗るくらいしかないと思うのですが……。シエリが一人で馬に乗ったとは考えにくいですね」
 ラプラはやっと魔石から視線を外してラギにうなずいた。
「ああ。でも不自然なくらいに移動速度が速くなった。それも急にだ。いくら馬に乗ったとしても……」
 ラプラは、皆の前に魔石をかかげる。
「これは起こり得ない」
 かかげられた魔石の中では、もうほとんど勢いを失った黒いもやが、行き場をなくしたように渦巻いていた。中心の方でわずかに見える流れが、余計に心もとなく5人の目には映った。

     *

 身体に伝わる振動が不快で、シエリは意識を取り戻した。重いまぶたをうっすらあけたところで、また強い揺れが起こる。弾みでシエリは床と思われる場所に、頭をしたたかに打ち付けた。反射的に閉じてしまった目を、今度はすぐにあける。
 しかし、視界はひらけなかった。状況を把握しようと倒れているらしい身体を起こそうとしたシエリは、そこで初めて手足が自由に動かない事を自覚した。
 シエリはじっと動かないまま、考えをめぐらせる。
 揺れのひどいそこは、馬車のようだった。今にも外れそうなほどの、けたたましい車輪の音が聞こえる。
 人の気配を探ろうとしてシエリは、はっとした。

 杖がすぐそこにある。

気付くとじっとしている事が出来なくなった。直ぐ側にある物に手を伸ばせない歯がゆさで身をよじる。
 そこにわずかに覚えのある声がふって来た。
「あら、起きちゃったのね」
 独特のしわがれ声。
「誰だ」
 言いながらシエリは、その声の主の顔を懸命に思い出そうとする。
「それはこっちが聞きたいわ」
 くすくすと耳につく笑い声だ。そこへ少し遠くのほうから別の声がした。男だ。
「本当に良かったのですか? 殺さないで連れてきてしまって」
「まあ、いいじゃない。追跡魔法もかけないで、この杖に辿り着いたのよ? 興味あるじゃない。それに……」
 シエリは髪に手が触れるのを感じる。ざわりと鳥肌が立った。触るな、と叫ぼうとしたが急に乱暴に髪を引っ張られて声が詰まる。
「中々、可愛い子。調べ終わったら、殺さなくても使いようは色々あるわ」
 ぞっとするような声音に、シエリは一気に記憶を手繰り寄せた。そして次の瞬間、
「もう少し眠ってなさいな」
 また同じ人物がシエリの意識を再び奪う。くたりと静かになったシエリを見下ろした緑の瞳が、薄っすらと笑みを作る。
 フラムの街をぬけ、セイズの人気のない森に入った馬車は、常軌を逸した速度で走り続けた。静かな森の平穏を突き破るかのごとく、狂ったように。





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第2章 馬車に揺られて