第2章 馬車に揺られて
わずかに感じ始めた杖の気配を辿って、朝も暗いうちから、シエリは人気のない道を歩いた。日も大分昇った頃、行き着いた先は街外れの空き地。
そこでシエリは異様な光景を目撃する事になる。
出発の準備をしているらしい数人の側で、馬は半狂乱になって足を掻き鳴らす。その馬に繋がれたほろ馬車は、多くの戦闘をくぐりぬけたかのようにぼろぼろで、陰気な雰囲気をまとっていた。
しかし杖の気配は確かにそこから感じられた。
いつもなら即行動に移すシエリが、その光景を前にしてさすがに躊躇した。その時その声は背後からかけられた。
「何か御用? お譲ちゃん」
振り返ったシエリの目に、緑色の瞳のいやに人工的な光が飛び込んでくる。
鮮やか過ぎるほどの緑だが底が見えない。
「杖は……」
どこだ、と言おうとして声が詰まる。
「杖? 杖がどうかして?」
本能が危険を知らせる。
今すぐにここから逃げなければ、と頭の中で大きな警鐘が鳴っているのに、青白い顔にはめ込まれたような瞳から視線を外す事ができない。
突然、隣で馬が狂ったわななき声を上げた。びくりとしたシエリは、しかしそれでようやくその瞳から目をそらし、逃げの一歩を踏み出す事が出来た。
決断が遅すぎたわけではなかった。運命はその場に足を踏み込んだ時、―――――いや、杖を奪われそれを追い始めた時、あるいはもっとずっと前に既に決まっていた。
後ろからのびた手があっさりとシエリを捕らえる。間もなく目の前に黒い幕がゆっくりと下りて、シエリは意識を失ったのだった。
*
船を下りてから2度目の馬車の移動が始まった。一人分空いて少し軽くなった荷台とは逆に、ほろの中を流れる空気は今までにない重さで淀んでいる。
金髪の青年は、胸の痛みに顔をしかめた。馬車の振動がけがに響く。ふーっと静かに息を吐き出すと、ラプラは斜め前の少年を見やった。
本人は気付いていないようだが、けがの大元の原因はこの赤髪の少年だ。船でクラーケンによって放り投げられたウォン。その下敷きにされたがために負ったけがだった。
こんなに揺れる馬車の中、また大口を開けて眠りこけている。
やれやれ、平和だな……。
ウォンを責める気にはなれないが、思わずラプラは呆れに似た感心を抱いた。
そんなラプラの手の上には、先ほどから握りこめる程の大きさの、透明な魔石が乗っている。その中で黒い粉のような物が無数に舞っていた。それは馬車の揺れにかまうことなく、魔石の内側にぶつかっては弾け、またぶつかっては弾けを繰り返していた。
「本当に不思議……」
向かいでルツは魔石を見つめている。ラプラは魔石を目の高さまでかかげた。
「今のところ南の方にいるね。このまま行けばあとちょっとで追いつくと思うよ」
「どれくらい近いかまでわかるの?」
「だいたいはね。この黒い物質の集まり具合と、内面にぶつかる速度でわかる」
2人の目の前で、黒い粉は先刻よりいっそう速く内側にぶつっている。魔石の片側だけが真っ黒だ。
「それにしても、まさか昨日かけた魔法が今日すぐに役に立つなんて……」
良いような悪いような。複雑な心境でルツは首を振った。
いつはぐれてもおかしくないシエリが、どこにいるか分かるようにした方がいい。
ラプラがそう言い出したのは、昨晩、皆が寝静まってからの事だった。
第2章 馬車に揺られて