第2章 馬車に揺られて


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 一行は杖探しをあきらめて、夜の活気に満ちた街を、今度は宿を探して歩く。その途中の事だった。通りの脇にものものしい雰囲気の人だかりを見つけたのは。
「ここのお店、セトさんでしょ? 私、今朝ご挨拶をした時にはいつもどおりだったのに」
「誰も気付かなかったわけ? 音がしたとか、怪しい人間を見たとか」
 人だかりに近づくにつれ聞こえてくる、集まった人々の間から漏れる囁き声。
「お客さんと話してるのを見た人がいるって」
「その客が犯人とか?」
「いや、どうも2人ともやられたらしい」
 そう言った男は恐ろしげな顔で、爆発をしめすように、五本の指を弾いて見せた。その男の肩をウォンがこづいた。
「なあ、おっさん、何かあったのか?」
 ふいに現れた口の聞き方を知らなそうな少年に、男は少しむっとした。だが、その後ろに5人の興味深げな瞳を見つけると、誰かに驚きを伝えたい衝動が勝ったらしい。得意げに話し始めた。
「この店の、……ああ、質屋だったんだがよ、店主が変死したんだとよ。それもついさっきだとか言う話だ。こんだけ人通りが多いのに誰も気づかなかったってんだから、恐ろしいもんだ」
 男が指差した先には、特に代わり映えもない木作りの建物が見える。人だかりで中の様子は見えにくかったが、古ぼけた看板には質屋と書かれていた。
「変死ってどういう事?」
 ルツが男の話を促す。
「それがどうも魔法らしいんだが、何の魔法だか特定出来ないでいるらしい。赤魔法か青魔法かさえだ」
「亡くなった方の身体から、それなりの痕跡は出るものじゃない?」
「身体があればな」
 男はここで急に声をひそめて、恐ろしげに眉をよせる。
「―――ないんだとよ、身体がな。残ったのは黒い染みだけだ。中にあった商談用の台も抉り取られたみたいだぜ。どんな魔法を使ったらそんな奇怪な事ができるんだ?」
 男は肩をすくめた。
 ルツは眉をひそめて人だかりの向こうを見やる。
その後ろでラプラは男の先ほどの言葉を反芻していた。
(……何の魔法だか特定できないらしい。赤魔法か青魔法かでさえも……)
 思案するラプラの横を、ふらりとシエリが通っていった。その足取りは何かに操られたようにおぼつかなげだ。店の近くまで行くと人だかりの向こうに何かを見ているようだった。
「ここに……、ここに杖があった……」
 人のざわめきにかき消されるような声でつぶやいた。
「誰かが……」
 シエリの声がどんどん確信を帯びて強くなる。

「誰かがわたしの杖を使った!!」
 怒りに燃える瞳が5人を振り返った。


 夜も更けたフラムの街の宿で、6人はやっと夕食の卓についていた。しかし場は落ち着かない。
「じゃあ、あの包みの中は魔法の杖だったの?」
 ルツの問いかけにシエリはただコクリとうなずいて、黙々と食べている。気配を辿れなくなったにも関わらず、どうしても探すと言って聞かないシエリを、何とか夕食の席に座らせたところだった。
「んで、その杖で誰かが、店の奴を消したってことか?」
 ウォンは食事をほおばりながらシエリを見る。その言葉によってまた怒りがよみがえったのか、シエリは弾かれたように顔をあげてウォンをにらんだ。何か言おうとして、ウォンを見据えたが、あきらめたように視線を落とし、また黙々と食べ始める。急に強い感情がこもった瞳を向けられ、ウォンはそれ以上聞けなくなった。しかし、普段は我関せずのキルトが代わりのように結論を急かす。
「魔法だの杖だのは俺にはよくわからないが、もう場所はわからなくなったんだろ。じゃあこれ以上探すのは無駄だな」
 これには答えずシエリは視線を落としたままである。むっとしたキルトがさらに続ける。
「もう明日からは、セイズに向かうんだろ。そんなあいまいなものにこれ以上振り回されるのは、俺はごめんだからな」

ガタンッ!!

 シエリが勢いよく立ち上がった後ろで、椅子が倒れる。宿にいた他の客が、何事かと視線をよこした。だが気にも留めることなくシエリはキルトを見下ろして言い放つ。
「ついて来いと言った覚えはない。勝手について来たのはお前たちだろう」
 呆気に取られている面々に、くるりと背を向ける。
「待った、シエリ。どこ行くのさ」
 ラプラの問いに、シエリは何の反応も示さずに宿を出て行った。
 シエリの憤りに、訳が分からないといった面持ちでキルトもまた呆気に取られていた。だが、少女のまだ幼さの残る口元から吐き捨てられた言葉を思い返し、苛立ちと怒りがない交ぜになった思いが一気に募る。
 勝手についてきただと!?
 たまらず舌打ちをして目の前のテーブルを拳で強く叩いた。がちゃりと食器が音を立てる。その場に満ちた苛立ちの空気に、ウォンがすかさず反応を示した。
「あーあ、どっかの馬鹿のせいで食事がまずいまずい」

 ガタァンッ!

 ウォンの言葉に、今度はキルトが弾かれたように立ち上がる。またもや椅子は勢いよく後方に倒れた。青い瞳の色を濃くして、ぎりぎりと食いしばった歯の向こうから、赤髪の少年に思い切り罵詈雑言をぶつけてやろうとしたが、頭に血が昇りすぎて何ひとつ言葉が出てこない。苛立ち紛れに、もう一度テーブルに拳を叩きつけ、キルトはくるりと背を向ける。ふーっと大きく息を吐き出すと、うなるように言った。
「とにかく俺はこれ以上無駄な時間を過ごす気は無い」
 臨戦態勢に入って高揚していたウォンは、気を殺がれて、ケッと馬鹿にしたような顔でそっぽを向く。早々に部屋に引き上げようとするキルトを穏やかな声が呼び止めた。
「キルト」
 今まで黙って見ていたラギがふわりと微笑む。忌々しげにキルトはちらりとラギを少し振り返る。
目があった。
表情は柔らかだったが、瞳の色は深く底が見えない海のようだ。それはキルトの足をとめるには充分な強さを持っていた。
「食後に何か頼もう」
 いらない、と言いかけたキルトにはかまわず、ラギは宿の人間を呼び止めて注文してしまう。
「少しだけ待っていて。先に食べてていいからね」
 ラギは倒れた2つの椅子を丁寧に元の位置に戻すと、有無を言わせぬ笑顔でそう告げて、宿を出て行った。

     *

 あるはずがない。

 シエリは歩きながら先ほど街で起きた事件を思い出していた。
 店には杖を使った後の気配が確かに残っていた。

 しかし、そんなことはあるはずがないのだ。

 心の中で何度もそうつぶやく。
 赤魔法だけなら使えるかもしれない。青魔法だけでも使えるかもしれない。しかし杖にはまった二つの石、両方の力でもって、杖を「杖」として使う事ができる人間は本当に少数だ。二つの石を複雑な呪ではめ込んだ杖。もしもその人物が自分を知っている者ならば、杖の元に行くわけにはいかない。すぐにでもこの街から立ち去るべきだ。だがそうでないのなら、何としても杖を取り戻してからじゃないと進めない。
 シエリの迷いはその歩みにも現れ、無意識のうちにいくつもの曲がり角を曲がる。

 しかし―――

 シエリは、先ほど感じた気配を思い出す。喉にねっとり絡みつくような重い暗い気配。頭の奥がざわざわするような、不安をかき立てる気配。
 
 特に向かう先もないまま、それでもシエリは歩き続けた。夜も更けてきたフラムの街を、自問自答を繰り返しながらひたすら歩く。店の明かりも少なくなり、自分が何処を歩いているのかさっぱり分からなくなった頃、もう何度目となるかわからない曲がり角を曲がった。途端、目の前に現れた人物を避けることが出来ず、シエリはまともにぶつかってその場にしりもちをついた。暗がりで、見上げた人物の顔は見えない。その人物の手がシエリにゆっくりと伸ばされた。

     *

「甘いものでも食べて落ち着きなさい。どうせ、ラギの家に行く途中なんだから、進路としてはまだ何も問題ないわ」
 そうでしょ? ルツはキルトの前に運ばれてきたデザートを差し出す。パンケーキの隣にふわりとおかれた生クリーム。その横に彩りとして置かれたクラムの小さな実は、先ほどの強い光をもった瞳と同じ色だ。
 何も問題ないだと?
セイズに向かう事自体そもそも何か明確な意味があるわけじゃない。それをさらに下らない理由で進路変更していたのでは時間がいくらあっても足りない。
 俺には時間がない。そうだ、無駄な時間は過ごせない……。
 だが、決定的な治療法がない今はルツについていくしか……。
 キルトの胸に抑えようのない焦りが沸き起こる。しかし、何時までもふてたように座っているのも決まりが悪い。キルトは、黙ってそのケーキを食べ始めた。視界に入る色が気になり、クラムの実を早々に口の中に放り込む。甘い生クリームに混じってクラムの実の酸味が口中に広がった。
「でもよー、今探したって、シエリは杖の気配とか、もう全然わかんないんだろ? どこ行く気なんだ? 大丈夫かよ」
 言外に非難されているような気がしてキルトはぴくりと眉をよせた。
 ウォンはそれには気付く事なく、デザートとして運ばれてきた果物の盛り合わせの中から、大き目に切り分けらた物を瞬時に選び出して、ひょいひょいと口に運ぶ。
「う〜ん。もうじっとしていられなくて勢いで出て行ったんじゃないかな」
 これ以上話がこじれないよう、キルトのせいばかりじゃないという意を込めて言うと、ラプラは椅子に背を預けてのんびり紅茶をすすった。もうこうなった以上、あとはラギを信じるしか術がない。そう判断したラプラは、この間に少しでも身体を休める事に決め込んだ。ルツに痛み止めをもらったものの、けがの治りは遅くじわじわと鈍い痛みを残していた。それを極力、表に出さないようにしながら、気を紛らわすために緩慢な動作でポットから紅茶を注ぎ足す。立ち上る湯気を見ながら、ラプラは先ほど垣間見た奇妙な事件を思い出していた。
 まず間違いなくあれは黒魔法だ。しかも経験上、かなり高度な魔法……。大きな魔力を一気に消費するような。杖を使ったからといって、どうこうできるようなレベルを超えている。

 つまり、相当な使い手の元に杖が渡ってしまったという事か。

 ラプラはそう結論づけると、ため息をついてまた紅茶をすすった。紅茶の心地好い香りが、落ち着きを与えてくれるような気がした。

     *

 差し出された手を無視してシエリは立ち上がる。そうして目の前の人物をよく見れば、知っている顔だった。
「もう暗いのだから気をつけて歩いた方がいいぞ」
 全く悪びれずに、しれっと言い切ったシエリにラギは微笑む。
「シエリもね。さあ、戻ろう」
 シエリはにべも無くラギの横を通り過ぎてまた歩き始める。
「今は動いても無駄だよ。シエリが気配を探れないというのなら、誰も見つけられない。シエリにもね」
 むっと足を止めたシエリの横をゆっくりとラギが通り過ぎる。
「旅はね、休むべき時は休んだ方がいいと言われたよ。明日、気配が探れるようになってから元気に動くために、今日はもう休んだ方がいいんじゃないかな」
 ラギの言う事はもっともだった。それに、杖を使う者が現れた以上、杖を取り戻しに行く事が必ずしも得策だとは言えなくなって来ていた。むしろ、シエリが一番避けたい状況に陥る可能性も高い。そんな状況だった。
「宿を出てくる時に果物の盛り合わせを頼んでおいたんだ」
 ラギは振り返って立ち止まり、にこりと微笑む。シエリがぴくりと反応した。
「早く帰らないとウォンが全部食べてしまうかもしれないね」
 立ち止まっていたシエリは歩き始めて、にこにこと笑みを向けるラギの横を足早に追い越した。
「宿に行く」
 しかし再び足を止め、振り返らずに言う。
「道が分からない」
 ついておいで、とラギはふわりと微笑んだ。


 ラギにくっついて歩きながら、シエリの頭の中は果物の盛り合わせの事でいっぱいだった。目の前で揺れる、赤い紐で束ねたラギの後ろ髪を、シエリは見るともなしに見やる。

 そうだ。
夜は歩かなくてもいい。
朝になってからの方がいい。

 翌日の朝早く、ルツはシエリが寝ていたはずの空っぽの寝台を見て、心の底からため息をついた。





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第2章 馬車に揺られて