第2章 馬車に揺られて


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 シエリを連れて、ルツは急いで馬車の元へ行った。しかし、予想通り馬車の姿は既に無い。ルツは、状況が把握できず怪訝な顔をしているシエリを連れ、とりあえず宿に戻る。待っていた連中に、ルツは首をふって見せた。ラプラは何も言わずに苦笑する。
「んじゃ、シエリの荷物は持ってかれちまったってことか!?」
「全て乗せてしまったのか!?」
 ウォンとキルトは思わず立ち上がる。
「ああ、はいはい。落ち着いて。もう焦ってもしょうがないわ」
 二人まとめてルツがなだめる。話の全貌を聞いていたメグが、よく冷えた茶を持って来てくれた。
「災難だったね……。ここらで盗られた物はたいてい、少し離れた街で売りさばかれるようだよ」
 つまり、探し出すのは難しい。メグはルツに苦い顔で視線をよこした。ルツはうなずくと、シエリに向き直る。
「馬車の人間と何をしゃべったか、もう一度出来るだけ詳しく教えてくれる? もしかしたら盗られてしまったあなたの荷物を取り戻せる可能性もあるかも……」
「盗られただと!?」
 ようやく状況を理解したシエリが、急に憤慨して椅子から立ち上がった。
「だから、今焦ってもしょうがないわ。落ち着いて状況を話してごらんなさい」
 ルツは簡単に言った事を後悔した。ここから骨を折る取り組みが始まるのだった。普段から口数が少なく、意図を測りにくいシエリだ。まして今は、大事なものを奪われて気が立っている。ルツとラプラ、2人がかりで何とか聞き出しつなぎ合わせた情報は、男のあいまいな風貌と、結局のところシエリの荷物は全て盗まれ、犯人は馬車で逃げたという事だけだった。
「買い集めた食材はいいとして、あの長い包みは何? どうしても取り返さなきゃならない物? 追いかけるにしても、さっぱり当てがないし、どこに行ったものやら……」
「杖だ」
 取り返すのは難しい。そう言おうとしたルツに、
「どこにあるかは分かる」
シエリがあっさりと答えた。
「どういうこと?」
「あの杖の場所なら分かる」
 シエリは瞳を閉じて、うつむき加減で静かに呼吸をする。何かに真剣であることは見て取れたが、5人にはさっぱりシエリの意図はつかめなかった。
 向かい側の席で、キルトは嫌な話の展開に、不機嫌を隠し切れずにいた。この話の流れから予想される進路は、先を急ぎたいキルトにとって最悪のものだった。
沈黙の中、シエリの右手が耳飾りに添えられた。まるで遠くの小さな音を拾おうとするように。
 もうあきらめるしかない。キルトが言いかけた時、シエリは突然、かっと目を見開いて、勢いよく椅子から立ち上がった。その瞳は、何もない空間をにらみつけている。意識は壁を通り越して外にあるようだった。
「見つけた!」
 シエリは誰に向けられたのでもない言葉を吐き捨てる。呆気にとられた周囲が言葉を発する前に、少女は振り向きもせずに食彩亭を出て行った。



 キルトはもう一度静かにため息をついた。いったい俺は何をやっているのか。その思いを拭いきれぬまま、しかしどうする事も出来ず、キルトはただ馬車に揺られていた。
早くこの病気の治療法を見つけなければ……。
自分を無理やり納得させるための要素は、進んでいる方角が、もともとの目的地、セイズの方である事くらいだった。そのセイズに行く事でさえ、自分の目的に沿っているとは思えない。
広くは無い馬車の中、同じ姿勢でいる事もそろそろ辛くなってきている。苛々はつのるばかりだ。足を思い切り伸ばしたいところだったが、馬車の荷台を背もたれにして、向かい合って座っているためそれもままならない。
 ふいに無造作に投げ出されてきた足に、キルトは思わず眉間のしわを深くして顔を上げる。目に映ったのは赤髪の少年の、まぬけな寝顔。
何でこんな所で眠れるんだ!
 キルトは舌打ちをして、自分の領域に侵入してきた足を蹴リ飛ばした。隣にいたルツが、それに無感情ないちべつをくれたが、何を言うわけでもなく、手元の本に視線を戻した。ウォンは一瞬ぴくりとして、起きたかのように思われたが、すぐにまた寝息を立て始める。
 こいつには神経というものが無いんだ。どうにか自分を落ち着かせて、キルトは本日何度目となるかわからないため息をついて青い空をあおぐ。そんな様子にラプラは一人苦笑した。
 同じ時、同じ馬車の荷台の端で、シエリは先ほどの出来事を思い出していた。見つめている手の中には、その瞳と同じ色の赤い石がきらめいていた。



「シエリ! お待ち!」
 食彩亭を飛び出したシエリを呼び止めたのはメグだった。シエリの腕をつかんで、店の中のベイグルにむかって大声で言う。
「ちょいと、あんたあ! あれ持ってきてちょうだい!」
メグに遅れてラプラたちが食彩亭から出てくる。
「シエリ、待たせてる馬車はあっちだ。相手が馬車なら、むやみに歩いて行っても追いつかないよ」
 何とか落ち着かせようと言ったのだが、シエリはむっとしたようだった。
「シエリ、よくわからなかったけど、荷物の場所、本当にわかるの?」
「わかる」
 ルツの問いにさえ、いつも無感情にみえるシエリが、はっきりと怒りと苛立ちに満ちた声で返事をする。
 ルツが、どうしたものか、と軽くため息をついたところでベイグルが店から出てきた。
「ほら、これ持ってお行き。お守りだ」
 メグはベイグルから受け取った、紅い石のついたペンダントをシエリの首にかけてやると、愛しげにその丸い石の輪郭をなぞった。シエリは突然の事に、メグの意図をつかみ損ね、黙ってそれを眺めている。
「これからも旅を続けるんだろう? これがあんたを守ってくれますように」
 メグは少女の頭をひとなでしてから、一歩ひいてシエリを見る。
「良く似合うよ。その綺麗な髪と瞳にぴったりだ、ねえ、あんた?」
「ああ、良く似合ってらあ」
 シエリはメグの言葉にはっとして顔を上げる。二人ともどこか懐かしげな色をたたえた瞳でシエリを見ている。つい一ヶ月程前まで、たいていの物は手に入る暮らしをしていたシエリにとって、その石は特別な物ではなかった。
 しかしシエリには、自分が身につけているどんな物よりも、たった今首にかけられたそのペンダントの方がよほど価値のあるものに思われた。そして、それは目の前の夫婦にとっても。
「大切なものではないのか?」
「ああ、持って行っておくれ。そしてまた、それをつけて遊びに来てちょうだい」
 メグは優しく微笑んだ。ベイグルも横でうなずいている。シエリは、ペンダントに二人が寄せる想いが何なのかを問おうとした。その肩を、メグがばしっと叩く。
「さ、お行き! 追いつけなくなっちまうよ! あたしが引き止めておいて言うのもなんだけどさ」
 全くだあ、と横でベイグルが笑う。
「皆元気でね。また遊びにおいで!」
 そうして、メグの威勢のいい声に後押しされるように6人の馬車の旅は始まったのだ。


『良く似合うよ。その綺麗な髪と瞳にぴったりだ』
 メグが言った言葉を心の中で反芻しながらシエリは飽きもせず、その石を眺めていた。怒りはいつの間にか静まっていた。視界の端に自分の青灰色の髪が見える。シエリはふと腕の上に垂れた長い髪の上に、瞳と同じ色の石を重ねてみる。
 悪くない、と思った。それはシエリに不思議な感覚をもたらした。
 そんなシエリを向かい側で見ていたラギは、来た道を振り返ると、食彩亭の気のいい夫婦の笑顔を思い出して微笑んだ。

 6人を乗せた馬車が止まることになったのは、その日の夕刻、フラムという街に着いた時の事だった。





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