第2章 馬車に揺られて


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 食彩亭は、新鮮な海の幸を楽しめる、港町ならではの小料理宿だ。
昼間は食堂としても開いているそこは、民家を改造した造りになっている。高級感はないにせよ、訪れた者にどこか懐かしい雰囲気を与え、地元の人々にも旅人にも親しまれていた。
雰囲気が良く、料理が美味しい。それはもちろん人を惹きつけるのに充分であったが、人々に長く親しまれる一番の理由は、その宿をずっと切り盛りしてきた夫婦の人柄のためであった。
 
カランカラン

扉を開けると、耳に心地のいい鐘の音が店内に響く。
「さ、いらっしゃい!」
食事時ではないせいか、半分ほどは空席である。全体にゆったりとした午後の空気が流れ、珈琲の匂いがふわりと漂っていた。その中に、ラギの姿は見つけられなかった。
「待ち合わせしてるなら、その窓際の席にするといい。待ち人が来てもきっとすぐ見える。ゆっくりしていくといいよ。ちょうど新鮮な魚が入ったところだ。そういや、ラグランシアから船が着いたそうだね? 礼と祝いを兼ねて今日は腕をふるうよ!」
大きな瞳を輝かせて、メグは目の前で拳を握って見せる。初めて会ったにも関わらず、まるで馴染みの人間にするように親しげだが、その雰囲気には不思議と押し付けがましさは無い。5人は自然とメグに好感を持った。
うながされ席につこうとしたところで、カランとまた扉の鐘が鳴った。
「……ラギ!?」
 メグは持っていた手拭いを放り投げると、扉の前のラギに駆け寄った。
「こんにちは、メグさん」
 ラギはふわりと微笑む。
「あんた、無事だったんだねぇ! ちょうど船の行き来が無くなる直前に、ラグランシアに行ってくるって言ったじゃないかい! 心配してたんだよ!」
 メグは、興奮を抑え切れないように両手を口元で握ったまま、一気にまくし立てる。よかったよかったとつぶやきながら、メグはラギの腕をつかんで揺すった。
「すみません」
 相変わらずほがらかに笑っているラギの肩を、メグは少し怒ったようにばしり、と叩いた。いそいそと店の奥の扉に向かうと、
「ちょっと、あんたー! ラギよ! ラギが戻ってきたわ!」
 メグは店中に響き渡る大きな声で扉の向こうに向かって叫んだ。何事か、と店の客が振り返る。その大声に応えるように、店の奥で鍋をひっくり返したような派手な金属音が響いた。直後、どかどかと大きな足音を立てて、扉の向こうから姿を現したのは、見た者が一瞬身構えてしまうほど大きな体の男だった。
「ラギ! おまえさん、無事だったかい!」
男は、けして広くは無い店の中を、巨体を揺らしながらラギに走り寄ってきた。港街らしいなまりのある声が驚きで上ずっている。
「ご心配をおかけしたようで、すみません、ベイグルさん」
ラギは、その男にも同じように微笑んだ。
「いやあ、無事だったんなら良かったんだけどもよぅ。心配してたんだぁ」
 ベイグルと呼ばれた男は、姿に似合わない、小さな声でもごもご言うと、メグ同様ラギの肩をばしばしと叩いた。
「もしかして、あんた達が待ち合わせしてたのってラギの事かい!?」
 ラギとのやり取りを呆然とながめていたルツたちを、メグが振り返った。
「はい。皆に美味しい料理をお願いできますか?」
代わりに答えたラギに、メグは、任せときな! と胸を叩いた。
「ラギは、あの2人と昔からの知り合いとか?」
 席に着いて、ラプラがふと尋ねる。
「初めて来たのは5年位前で、それからお世話になっているんです」
 ラギは二人が消えていった扉を見やって微笑む。
「好感の持てる方たちね」
「はい。とてもいい方たちですよ」
 ラギはルツを見てそう言い切ると、本当に、と付け加えた。


 その後テーブルでは自然と、今後の旅の経路についての話となった。
「ラギの家に行くのは既に決定事項よ」
 有無を言わせぬルツの口調に、ウォンとキルトはじとりと押し黙る。
「そこは譲れないなあ」
ラプラは、ルツの意見に賛同の意を示して数回うなずいた。シャルウィン一、二を争う料理の腕前と聞いては、行かない手はない。
「料理長が喜びます」
 ラギが嬉しそうに言った。シエリはラグランシア大陸を離れた今、逆戻りでさえなければ、どこへ向かおうと気にならないのだろう。話そっちのけで、鞄から集めた戦利品を全て取り出し、店開きをしている。少しずつ味見をしては、満足そうにうなずく。横からこっそりつまみ食いしようとしたウォンの手を、小さな可愛らしい手が容赦なく叩き落した。
 実のところ、ウォンもこれからの行き先に特に異論はなく、ラギの家に行く事にはむしろ乗り気ですらあった。ルツに連れまわされる形となるのは気に食わなかったが、船で見たラギの剣の腕前は、ウォンの心を惹くには充分だった。
 クラーケンに止めを刺したのは確かに自分だった。
 しかし、剣の腕で言えば悔しいが相手の方が確実に上。
 さらにラギは、ウォンが聞いた事もない魔法剣とやらを使えるのだ。
(ラギともう一度ちゃんと勝負したい)
 純粋に強くそう思ったウォンの頭からは、都合の悪い事は完全に抜けていた。ルツにホルダーの所有権を取られているばかりではなく、ラギにも10レータの借金があるのだった。


「はいよ、お待ちどう!」
 メグが次々に運んでくる皿には、色とりどりの料理がのっている。何でも1匹の大きな魚を、余すところなく様々な料理にしたと言う。
「うお、うまそー!」
 作りたての湯気がたちのぼる料理に、ウォンが歓声を上げた。
 話は一旦そこで打ち切られ、少し遅い昼食が始まった。
「ねえ、ラギ、あんたもしかすると、さっき港に着いた船に乗ってたんじゃないかい?」
 料理を運び終えたメグは、6人のテーブル近くに椅子を引っ張って来る。航路が断たれる直前に出て行ったラギが、しばらく振りに船が着いた日に訪ねてきたのだ。メグがそう推察するのは至極当然の事だった。
「はい。皆、一緒に船に乗ってきた人たちです」
 ラギはテーブルについている面々を見渡す。
「やっぱりそうなのかい! あんたを初めて見た時の、あたしの勘は間違って無かったね。この子はただ者じゃない、ってね」
メグは輝くような笑顔を浮かべると、大振りな動きでラギの背中をばしりと叩いた。
「皆、食事代はいらないよ! あたしのおごりだ。じゃんじゃん食べとくれ。何か飲みたければ遠慮なく言うんだよ」
 メグのその言葉に、ウォンは喜びをあらわにする。うおっしゃっと拳を握り、早速酒を頼んだ。少しは遠慮しなさい、とたしなめるルツに、メグは、いいんだよ、とまた大きな声で笑った。
 遅めの昼食は早めの夕食へと変わり、そして今小さな宴会へと発展していた。
 危険な船旅は乗り越えた。目的であった航路の復活も成し遂げた今、ようやく緊張の糸は緩み、それぞれの心に達成感や安堵感が浮かび始めていた。
 そこに美味しい料理と酒とくれば、自然と場の雰囲気も明るくなる。
 夕刻になって食彩亭はにぎわいはじめていた。食事をしにきた者がほとんどだったが、宿を探している客もいた。メグはもう満室なのだ、とすまさそうに泊まりの客を断っていた。
「馬車でラギの家までって、どんくらいかかんだ?」
 遠慮を知らぬウォンの右手には、もはや底をつこうとしている杯が。本日すでに9杯目だ。多少うろんなものの、その瞳はこれからの旅路への期待に輝いている。
 1人ではない旅路。『他の存在』と共有し続ける時間。これまでにも幾度かそんな機会はあったものの、それはウォンにとって、特別に魅力的なものではなかった。
 しかし、ここ最近の出来事は新鮮な事ばかりだ。
初めての船旅。伝説の化け物との対峙。そして勝利。その喜びは震えるほどに大きかった。
 ラギの存在もウォンにとっては新鮮そのものだ。
「普通に進めば、馬車に乗って4日でつくよ」
 どんな時も――――戦っている時でさえ、ほとんど変化の無い笑顔でラギは答える。
 出会ったことの無いものに遭遇した時の高揚感。しかしそれとは矛盾するように、どこか懐かしい感覚も覚える。
 はしゃぎだしそうな気持ちを抑えきれない。
 その勢いにまかせてウォンは大声で叫んだ。酒のおかわりを。10杯目だ。
 ラギの前にも酒は置かれているが、それが減っている様子はない。ふと気づいたラプラが、飲まないのか、と問うと、酒癖が悪いので、と返って来る。皆は一様にラギの顔をうかがったが、それはいつもの穏やかな笑みでうやむやにされた。
「それで、馬車代はいくらくらいなの?」
アルコール度の高い酒に切りかえて、本格的にのみ始めたルツが、また一つ空瓶を増やした。キルトは思わず顔を背ける。見ているだけで気分が悪くなりそうだった。
「ほろ付馬車を一つ借りるとすれば、ここからセイズまで、30レータくらいが相場です。でも、今は虚月なので少し高めですね。途中で通るセイズの森に、この時期、凶暴性を増す動物がいるためです。何かあった場合は余計に払わなきゃいけない事もあります」
「何かあったら……、ね」
 言いながらルツは、ふと胸をかすめた嫌な感覚を気にしないよう努めた。拭いきれない時ほど悪い予感は当たるものだ。そう思いながらも。
「ところで、報奨金はいつもらうんだ?」
 キルトは一応聞いてみたが、ルツの事だ。いくら厨房で奮闘したからと言って、自分の手元には少しだって入らない事は分かっていた。いつの間にか、人の財布の紐まで握っているような人間だ。
 だが、2バークもの大金をいつ手にする気なのか。先ほどの宝石店での買い物を見ていれば切実な話だ。
「明日の朝、ここに直接ブランガル船長が届けに来てくれるみたい。手元にあるような金額でもないから、どこかから調達して来てくれるんでしょう。船舶組合とか、国とか。まあ、どこからでも構わないわ。私の懐におさまるならね」
その使い道を想ってか、ルツは宙を見つめてにんまりと笑う。その先に何を見ているのかなどキルトは予想したくもなかったが、やけに真実味のある光景が頭に浮かんだ。くらりと来たのは、あまり強くないアルコールのせいばかりではないと確信できた。

ガシャン!!

突然聞こえた派手な音に、キルトは、はっとする。視界は多少揺らいでいるが、自分の立てた音ではない事をぼんやりと確認する。
「ちょっとシエリ!?」
 ルツの隣で、さっきまで平然と座っていたはずの少女は、皿やら杯やらを床に押しやり、テーブルに突っ伏していた。





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第2章 馬車に揺られて