第2章 馬車に揺られて


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「ルツ、あれは何だ?」
赤い瞳が見やった先には菓子屋があり、店先では青年が綿菓子を作って売っていた。その前では数人の子供達が、どんどん膨れ上がっていく綿菓子を見つめ、瞳を輝かせて出来上がりを待っている。
「あれは綿菓子よ」
「菓子? 食べられるのか?」
シエリの瞳も店の前の子供たち同様に輝き出す。
「そう。砂糖を溶かしてふわふわにした物ね。口の中で溶ける甘いお菓子。シエリは食べた事無い?」
綿菓子はどこの土地でも見られるような、ごく一般的な食べ物だ。値段も5キュー前後と非常に安価で、子供たちの日常生活の中に自然と存在する駄菓子のひとつだった。
「ないぞ。見たのも初めてだ」
まだ視線を外さずに立ち止まっているシエリ。
ルツは、ふ、と笑うと、シエリを連れて子供たちの後ろに並んだ。


追いついて来たウォンは綿菓子を買う子供たちの後ろに、ルツとシエリを見つける。
「綿菓子かよ。よくあんな甘いモン食う気になるよな」
ラプラとキルトも菓子屋の前で歩を止める。
「だってあれ、砂糖の塊だろ?」
「たまに少しだけ食べるには悪くないさ」
ろこつに顔をしかめるウォンに、ラプラは笑って答えると、シエリを見やる。自分の番になり、目の前でふわふわ膨らんでいく綿菓子に興味津々のようだ。紙袋を受け取ると、両手で大事そうに抱えて戻ってきた。
「すごいな、あれは。魔法によるものか?」
戻ってくるなり興奮気味に言う。ルツとラプラは笑いをこらえた。
「魔法は関係ないわ。砂糖を熱して糸のように棒に巻きつけてるの」
「なるほど、すごいな」
 分かっているのかいないのか。シエリはさっそく綿菓子の紙袋を開けにかかる。
その横でウォンは平静を装っていた。
(魔法じゃねーのか……)
心の中でこっそりつぶやいた。
「あんたも買ったのか?」
 今まで黙っていたキルトが、意外そうにルツの手の綿菓子を見やる。
「まあ、たまにはね。あら、もしかして食べたかった?」
 いつも旅をするために必要な事しか口に出さないキルトに、ルツはにんまりと笑ってみせる。
「……いや、別に」
 キルトは、小さく言って視線を泳がせた。ルツは持っていた綿菓子の紙袋を開け、少しつまんで口に放り込む。綿菓子はじわりと温かみをもって口の中で溶け、香ばしい甘さが口いっぱいに広がった。ルツは満足げにうなずくと、残りを袋ごとキルトに渡した。
「だから、俺は別に食べたいわけじゃ……!」
 慌てて返そうとするが、味見したかっただけだから、とルツは背を向けて歩き出す。作りたてのため、まだ温かい袋の中から甘い匂いがふんわりと立ち上った。キルトの中に、どこか懐かしい想いが過ぎった。それにつられて白い菓子に手がのびる。
 小さい頃に食べたな……。
 懐かしい風景を思い出しかけたキルトの思考は、しかし別の方向から伸びてきた手によって無下に邪魔される。そのぶしつけな手は、何の断りも無くふわふわの綿菓子を無造作にちぎりとっていった。
「やっぱ、甘すぎだ。男の食うもんじゃねーな」
 ウォンがべとついた手を上着で拭いながら、横柄な態度で聞いてもいない感想を述べる。キルトの中に言葉になりきらない苛立ちが一気に膨れ上がった。
「貴様……」
 言いかけたがキルトは馬鹿らしくなり、無言で綿菓子をつまんで口に放り込んだ。菓子の甘さがその苛々を少しずつ消していくように感じられ、歩きながら黙々と食べ続ける。隣でウォンが何やら言っているが意識の外に葬った。
 キルトたちの少し前を行くシエリも、同じように黙々と綿菓子を食べ続けていた。本当に綿のような菓子は、口の中で溶けて、香ばしい甘さだけを残す。それがシエリには新鮮でならなかった。
 手がべとつくのも気にせずに食べ続けた綿菓子は、あっという間になくなった。
見るもの全てが目新しいシエリにとって、ローアンの港町はまるで宝箱のようだった。まして今は、久々の船の入港に盛り上がっている最中だ。出し渋っていた商品を、ここぞとばかりに店頭に並べるために、どの店も大忙しだ。通りは航路の復活を心待ちにしていた旅人やら商人やらで溢れている。
定番品から珍品までそろった旅人のための道具屋。飼いならされた大小様々な獣を売る店。神秘的な光を放つ魔法瓶が並ぶ店。
街は久々に活気に満ちていた。
空き地では子供たちが土まみれになって遊び、ふとのぞいた小道に並ぶ家々の軒先には、洗濯されたばかりの衣服や真っ白な布が風にはためていてた。
今までは、ただ遠くに見下ろすだけだった街の景色。そのありふれた光景こそが、シエリにとっては新鮮そのものだった。
あちらこちらと寄り道をしているうちに時は過ぎ、5人はラギとの待ち合わせ場所である、食彩亭に向かうことにした。
その、途中の事だった。

「誰かその男を捕まえとくれ! 盗っ人だよ!」
 人ごみの向こうから女性の大きな声が聞こえた。直後、前方から男が勢いよく走ってくるのが見えた。
「よっしゃ、まかせとけ!」
 ウォンが嬉々として向かっていく。
「くそ!」
 自信満々の笑みで目の前に立ちはだかった少年に、男は逆上した。威嚇するように大声で呪文を唱える。男の右手に、拳大の真っ赤な炎の塊が数個、じわりと出現した。街の人々が悲鳴を上げてあとずさる。旅人らしき人間が数人、各々の武器を構えてウォンと男を囲んだ。
追いついて来たルツたちは直後、とんでもない光景を見ることになる。
 男は炎の塊が浮いている右手を、これ見よがしに突き出す。しかしウォンに怯む様子は全くない。それどころか、目を輝かせて背中の剣を抜き放つと―――次の瞬間、ためらいもなく正面から突進してきた。
 男は舌打ちをすると、炎の塊を、飛び上がったウォンめがけて勢いよく放った。魔法は完全にウォンをとらえる。塊が数個、上半身にもろに当たり、ボンッと音をたてて爆発した。
 あまりに呆気ない……。
盗っ人は油断していた。
煙の向こうに、顔の前で腕を交差させ魔法を防ぎ、勢いを殺すことなく突っ込んでくる少年が、にっと笑ったのが見えた。 
防御は間に合わなかった。
ごすっ、と音をたててウォンの剣の柄が、男の眉間に命中する。盗っ人はその場に崩れ落ちた。抱えていた盗品らしき鞄も地面に落ちた。
 ウォンはそれを拾い上げると、息を切らしてやってきた壮年の女性に渡してやる。中肉中背で亜麻色の髪、顔に対して大きな茶色の瞳の女性が、輝くような笑みをウォンに向けた。
「ありがとよ、あんた! やるじゃないかい! 名前は?」
「ウォンだ」
 少年は得意気に満面の笑みを浮かべると、剣を柄に戻した。
「あたしはメグ。店のお客の荷物が盗られたとこだったんだよ。本当に助かったわ」
 誰かが呼んだのだろう。盗っ人は警備隊にひきずられるようにして連れて行かれた。
「礼がしたいね。あたしの店に食事に来ないかい? おごらせておくれ」
「行く行く!」
 ウォンが喜びをあらわにしたところで、
「残念だけど、私たちこれから食彩亭っていうところで待ち合わせがあって」
 ルツがやってきて、心底残念そうに断った。ルツの言葉に瞳をまん丸にしたメグは、にかっと笑った。
「それならあたしの店だよ! 決まりだね! さ、あんたもおいで」
 呆気にとられているルツを残して、メグは人ごみをかき分けて行ってしまった。ウォンが喜んでついて行く。
「驚いたね」
 ラプラがやってきて言う。
「ええ、偶然ね」
「いや、そっちも驚いたけど……」
 人ごみの向こうに見える赤い髪を見やった。
「魔法が効かない人間なんているのかな?」
「ウォンね……」
 それについてはルツも首をかしげるところだった。防御魔法をかけているなら分かるが、ウォンがそんな事をするそぶりなど見たこともない。先ほどまともに食らったように見えた魔法は、ウォンに少しの影響も与えていないようだった。むしろそれをウォンも自覚しているのか、全く避けようともしなかった。
「おーい! 早くしろっての!」
 人ごみの向こうで、ウォンがぴょこぴょこ跳ねている。ラプラとルツは目を見合わせて肩をすくませた。





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第2章 見えない月の導き