第2章 馬車に揺られて


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 ローアンの街に、やっと船が到着した。
満身創痍の船が岸に着いた途端、慌しくけが人が運ばれていった。負傷者を見送りつつも、船から降りてくる者たちの顔はどこか晴れ晴れとしている。
いったい何が起こっていたのか。どうやって切り抜けたのか。
まあ、何はともあれ、

どうやら、航路が復活したらしい。

街の人々は、久しぶりの船の入港に大いに盛り上がっていた。
何隻もの船が消えた大事件。真相を知ろうと、港は人でごった返している。その中を、シルフィア号を降りた者たちは船旅の仲間に別れを告げて、それぞれ人ごみに紛れこむように街中へ向かった。
ある者は船舶組合に報告に行くために。またある者は旅道具の補給のために。後で落ち合う約束をした者たちもいた。


 ローアンの、とある薬草店である。
「高い」
女は目の前の男をにらんで、足元の木箱を指差した。
「相場の倍もするわ。半額にしなさい」
交渉と言うよりは、脅迫に近い。
「し、しかしねお客さん、ラグランシアとの航路が断たれてからこっちも大変なんだよ」
店の男は気圧されつつも、負けてなるものか、とばかりに女を見返す。
「航路はもう復旧するわ。ラグランシアとのやりとりも元通りになるでしょうね」
 さらりと女は言う。だから値をまけろ、と言外に含みをもたせる。
「……それって、船が一隻帰って来たって話からの予測だろう? 当てにならないね……」
店の男はなおも譲らない。

「いいや! 元通りになるね!」

得意げな表情でずかずかとやってきて、ずばりと言い切ったのは赤髪の少年だ。
「何つったってオレたちが、つーかむしろオレがこの手であのバケモ

ベチィンッ!

派手な音を立て、鮮やかなまでにルツの平手打ちがウォンの顔面に決まった
突然の事に店の男も驚きを隠せない。その男の動揺がおさまらぬうちに、ルツは何食わぬ顔で話を再開する。横でわめくウォンの声は、もはやルツの意識の外だ。
「とにかく航路が復活するのは本当よ。それはいいとして、これ……」
ルツは店先の箱に盛られた粉末の薬を、少しつまんで目の前にかざす。じっと見て指先ですり潰し、わずかにただよった香りをかいでから、ぺろり、とそれを舐めた。少しの間、口の中でその味を確かめ、ルツは店の男を、じとり、とにらむ。男はルツの言わんとする事をを察すると、その視線を受け止めきれず横に流した。
「この店の、目利きは……?」
冷たい視線と、少し低くなったルツの声で、その場の空気が凍りつく。
「あ、あの……。あっしですが……」
「話が早いわ。何が言いたいかわかるわね……?」
氷のような笑顔を向けられ、店の男は呆然としてうなずいた。


旅に持ち歩くには少しばかり買い過ぎではないか。
そんな大量の荷物を持たされて、ウォンとキルトは未だルツの買い物に付き合わされていた。
「何でオレがなぐられなきゃならねえんだよ!?」
ウォンは不機嫌を顔中に表わしてルツをにらむ。先ほどの薬草店で、いきなり顔面に食らった平手打ちには納得がいかない。
「街では目立たない方がいいの。こんなに盛り上がってる中で、今回の事に関わっている事をひけらかして歩いてみなさい。約束の時間にはまず間に合わないわね」
ルツたちにはラギとの待ち合わせのため、小料理宿に行くという予定があった。ウォンは納得したように、ぐっと押し黙る。
それなら、さっさと待ち合わせの店に行くべきではないか。
隣でキルトは、主張を飲み込んだ。言ったところでどうせ意味はない。代わりに別の疑問を口にする。
「さっき、店で薬代が安くなったのは何故だ?」
大事な薬が半額になったのは助かる。ラグランシア大陸との航路が断たれていたせいで、いつものように買い足すことが出来なかったからなおさらだ。
しかし、離れたところで見ていたキルトにも、ルツが一般的ではない買い方をしたのは一目瞭然だった。
「脅したんだろ……?」
「失礼ね。脅しじゃないわ。正当な値段を主張しただけ」
 不当に利益を得るため、あるいは品薄の商品を補うために、薬効の乏しい薬草を混ぜるのはよくある手口だ。乾燥させ、ある程度砕いてしまえば、元の形状が多少異なっていてもほとんど分からない。あとは売り手と買い手の目利き勝負となる。
全く非常識な人間が多いわね。さらりと言ったルツの指で、先ほど買ったばかりの宝石の指輪がきらりと光る。その額は、薬草店で得した額など無いに等しいほどだ。
 二人は呆れを通り越した思いで、ルツの顔を同時に見やった。

     *

 珍しい食材が立ち並ぶ市場を、金髪の青年と赤い瞳の少女が歩いていた。親子ほどの年の差はなく、兄妹にしては似ておらず、夫婦や恋人というには無理がある。そんな二人連れだ。
「シエリ、だから何度も言ってるけどね」
 ラプラは前を行く少女に、あきらめ半分で声をかける。
「何かを得るためにはお金が必要なこともあるんだよ」
 シエリは返事もせずに、片端から店先の試食に手をのばす。
「うむ。これは美味しいな。ひとつもらっていくぞ」
 果物を乾燥させて砂糖をまぶした菓子が気に入ったらしい。並んでいる品の中でも一番大きな袋を手に取ると、とめる間もなく次の店に歩き出す。店員の目がじとりとラプラに向けられた。
「兄ちゃん、40キューね」
「はい……」
 こんなやりとりが、船を降りてからたった数十分で、何度あったかわからない。シエリの小さな鞄はすでに菓子やら珍味やらで溢れている。ラプラの財布は軽くなる一方だ。
ラプラは改めてシエリと行動する意義について考える。
興味を持ったらとことんかかわる。危ないことにはかかわらない。
この2つを旅の鉄則としてきたラプラの勘が告げていた。シエリと旅路を共にする事が自分にとって興味深い何かをもたらす、と。
シルフィア号に乗った事も、生きて陸に着く事が出来た今では、悪くはなかった、と思えていた。
自分の事はおろか、ほとんど何も語らないシエリだったが、2週間くらい側にいていくつか分かった事がある。
旅慣れはしていないが、目的はちゃんとあるようで、頑固と言えるほどに意思が強い。そのために、知識や経験が無い事も手伝って、無計画な行動に出る事に対してためらいがない。それは、少女の一人旅という点を抜きにしても、あまりに無謀で致命的だ。
さらに、お金の使い方を知らない。シエリのその態度を見ていると、物とお金を交換するという概念がないようだった。シエリの見た目は13、4歳といったところ。その年まで金銭のやりとりをした事がない、というのは普通に考えれば不自然だ。貧乏という言葉からは程遠い身なりから察するに、よほど高い地位にある家柄で育ったのだろう。おそらくは……
 そこでラプラの考えは中断される。3軒ほど先の店に、青灰色の髪を見つけてラプラは青ざめた。
 シエリが今まさにかぶりつこうとしている果物は、幻の果物とさえ言われるキングフルーツだ。あんなものに手を出された日には、手持ちの金の半分以上がとんでいってしまう。
「待った待った! シエリ!」
 間に合わない! そう思った次の瞬間、救いの手は意外なところから差し伸べられた。


「シエリも買い物?」
 振り向いて紫の瞳と目が合う。
「ルツ」
 シエリは手にしていたキングフルーツを棚に戻した。
「港町の市場だから珍しいものも多いでしょう」
 ルツはきらきらと宝石のように輝く紅い瞳に微笑みかける。表情は乏しいが、大きな瞳が新しいものに出会う喜びをよく表わしていると思った。
「シエリも食彩亭に行くんでしょう? まだ時間があるから一緒に歩いてみない?」
 シエリが大きくうなずいたところで、ラプラが追いついて来た。
「あら、今日もご苦労様」
 輝くような笑みを向けられる。
「はは……、どーも」
 ラプラは力なく愛想笑いを浮かべた。
 シエリとルツ、連れだって歩きだした二人の背を見送って思う。他人が視界に入っていないように思われたシエリだが、ルツに関しては別のようだ。これはこれで面白い。それにルツが、少しでも世間知らずのお嬢様に、常識を教えてくれるともっとよい。期待を寄せる苦労性だった。
「で、ウォンとキルトは荷物持ち?」
ラプラは笑いをこらえつつ、道端に不服そうな面持ちで突っ立っている少年二人を見やった。
「見りゃわかんだろ……」
 既に大量の荷物を持たされたウォンが、不機嫌な声で言った。





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