第1章 見えない月の導き


←back    第一話  運命の船出(2)    next→





「まいったなぁ……」
 ラプラは少々困っていた。
 じつのところ、シエリに付き合ってわざわざ危険な船に乗る理由は、ラプラにはなかった。
 興味を持ったらとことん関るが、危ないことには関らない。この二つが、長い旅を楽しく安全に続けていくための鉄則だということを、これまでの経験から学んでいた。
 しかし、今ちょうど、その二つが並んで眼前にあるのだった。どちらを取るか。
 初めてシエリを見かけたのは、少し北の方の街だった。ディガとかいっただろうか。店の外に設置してあったテーブルセットに腰掛けて、お茶を注文して一休みしていたラプラは、通りを歩いていた少女に思わず目を引かれた。
 颯爽と歩く姿は凛として、長い青灰色の髪がサラサラと背後になびいていた。片手には何か長い物を布できっちり巻いたものを持ち、目立つ耳飾りをつけていた。
 どこかの富豪の娘が家出でもしてきたのかと思い、ひょんなことから関ってみたら、これが筋金入りの本物の箱入り娘で、しかも意外と博識だった。ただの富豪の娘ではないらしい、そう思ってシエリに興味を覚えてからずっとついてまわってきたのだが。
「どうしたものかな……」
 昨日から、シエリは船に乗ると言って譲らない。その頑固なことといったら、百戦錬磨を自負するラプラにもお手上げの強情ぶりだった。
 危険な船なのは間違いないのだ。これまで13隻が出港していき、戻ってきたのが13隻目だけというのは確かな噂だった。その船も廃船同様のひどい有り様で、港に激突するようにしてようやく戻ってきたらしいのだ。生存者はほとんどいなかったということだ。
 生きて帰れる保証がない、という状況は、長旅には珍しいものではない。だがここで船に乗れば、生きて帰れない確率の方がはるかに高い。「生きて帰れる保証がない」のと「生きて帰れない確率が高い」のではまったく意味が違うのだ。
「なぁ、お嬢ちゃん」
「お嬢ちゃんではない」
 堂々巡りである。はいはい、と適当に相槌を返しながら話を続けた。
「どうしてそんなにユーゼリア大陸に行きたいんだい? こんな危険な時にわざわざ船に乗らなくたっていつかそのうち、もっと安全に渡れる時がくるのはわかってるんだろう?」
 シエリのこだわり方は半端ではない。
 いったいどんな理由があるのか、ラプラは聞いてみようと思った。
 意外なことに、聞けばなんでもすぐに話すと思われたシエリだが、しばらく言葉を探すように黙っていた。
「……もうすぐ、わたしの誕生日なのだ」
「は?」
 まさか、誕生日はユーゼリアで祝わなきゃ嫌だとか言うのではないだろうな、という疑いをもつラプラ。
「その前になんとしてもこの憎々しい大陸から出なければならないのだ。ユーゼリア大陸でなくても行き先はどこでもかまわないが、とにかくこの大陸から離れることが重要だ。わかるか?」
「なんで誕生日が来る前にラグランシア大陸を出なきゃならないんだい?」
「おまえはどうしてそう頭が悪いのだ」
 いきなりそう言われた。
 どうしてと言われても、ふつう、誕生日はどこで迎えても問題ないはずなのだが。
「誕生日が来ればわたしは15歳になるのだ。15歳になれば、正式に――」
「正式に?」
 シエリはそこで言葉を切って、耳飾りにふれた。ぱっとラプラの方を振り向く。
 いや、ラプラのもっと後ろを見ていた。つられて振り向いたラプラには、シエリが何を見ているのかわからなかった。船舶組合の建物や繁華街に続く道、その両側に建つ店などがあるが、特に気になるものはない。
「……なんだい?」
「――人がいる」
 人くらい、いるかもしれない。今は閑散としているが、ディオンの港は最大規模の貿易港だ。誰かが自分の船の心配をして様子を見に来ていてもおかしくはない。
 だがシエリの様子は少し違った。ラプラには見えない何かを凝視しているような、真剣な表情だ。
「――船が出るぞ」
「なんだって?」
「明日だ。船が出る。わたしはそれに乗るぞ」
 ラプラには、シエリが急に何を言い出したのかわからない。
「なんでそんな事が急にわかったんだ?」
「何故おまえにはわからなかったのだ?」
 なんでわかるというのだ。ラプラが目を白黒させているすきに、シエリは歩き出した。繁華街の方だ。
「ちょっ……お嬢ちゃん! どういうことで、どこに行くのさ」
「船の旅は長い。しっかり準備していかなければならないのだぞ」
 何をわかりきったことを聞くのだ、とシエリ。
「それから、おまえは乗らなくてもいいのだぞ。ついてこいと言った覚えはないからな。怖かったら海が安全になってからいつでも好きな時に渡るといいぞ」
 振り返りもせずにシエリは言い放った。
「……はいはい」
 もう一度ため息をつくラプラだった。そんな危ない船に一人で乗せるのは、ここまで付き合ってきた身としては少し良心がとがめる。小さい女の子に怖いのだろうと言われて引き下がるのも男がすたる。
 無意味に意地をはって命を落とす愚かしさをラプラはもちろん承知していたが、この状況は無謀というほどでもないだろう。12隻が行方不明で13隻めが戻ってきた。それなら、14隻めの船はユーゼリアに着くかもしれない。
 ラプラは理屈になってない言い訳で、自分を納得させることにした。
 それに、おそらく――
「船旅の準備とか言って、また支払いもせずに買物する気なんだろうし……」
 とぼとぼと、少女の後を追って歩き始めた。

     *

「なんッでオレ達が人夫なんだよ!」
 赤い髪を逆立ててウォンが怒鳴った。キルトはげんなりした表情で自分の姿を見下ろした。
 二人の格好はごく当り前の人夫のものだった。ウォンはゆったりしたこげ茶色のズボンに薄茶の袖なしシャツ、キルトはなぜかかっぽう着を着て頭には三角巾をしていた。何もおかしいところはない。着替えた二人に対してルツはそう言ってやったのだが、二人の表情は晴れなかった。
「それじゃ、頑張って働いてちょうだい」
「なあ……このバカはともかく、なんで俺までこんな馬鹿げた格好をさせられるんだ?」
 キルトは至極まじめに聞いたのだが、とたんにウォンが胸ぐらをつかんできた。
「てめぇこそ腰巾着らしくだまってルツの言う通り働いてんのがお似合いだぜ。言っとくけどな、オレには働いてやる理由なんかねーぜ」
「あら。その背中の物は誰のものだったかしら?」
 ルツは涼しい顔で言った。
 その一言にウォンはぐっと詰まる。低く唸りながらも、しぶしぶキルトから手を離した。
 背に掛けている剣の革製ホルダーは、ウォンにとって大切なものの一つである。しかし今のところ、その所有権はルツにあるのだった。
「赤い髪の方がウォンだったな? お前は力がありそうだから荷の積み込み作業をやってくれ。そっちのかっぽう着のやつは……」
「キルトよ。料理担当なの?」
「ああ、厨房に行ってくれ。うちの船にもコックはいるんだが、一人で大変らしいからな」
 二人は自分の意思とは関係なく、船の中に放り込まれてしまった。
 ウォンはさっそく荷運びの男につかまって、容赦なく積み荷を持たされる。
「んがっ!」
 とっさに両足を踏ん張ったが、肩から落とさないようにするのが精一杯だ。
「お、重いっ…」
「オラオラさっさと運べよ! 次いくぞ、次ィ!」
 うしろから押されて、どうにか桟橋を渡り始める。
そんなウォンを見ても髪の毛の先ほども同情しなかったキルトだが、自分の情けない格好には言葉もない。
「ほら、何をぼうっとしてるんだ。お前もさっさと厨房に行って手伝ってこい。場所は船室に下りていってすぐ右だ。コックの指示に従えよ」
 ちらりとルツを見るが、いつもの涼しい顔だ。どうやらこれは冗談でも何でもなく、ルツのいつもの傍若無人ぶりなのだと理解したキルトは、すべて諦めて桟橋を渡ると厨房へ向かっていった。こういう時のルツに逆らっても無駄なのだ。
「まったく。タダで乗せてもらえるんだからありがたく素直に働けばいいのに、あの子たちったら往生際が悪いんだから……」
 まったく悪びれずに言うルツに対して、船長のブランガルは苦笑して答えた。
「気になっていたんだが、彼らはあんたの弟か何かか?」
「いいえ、ペットよ?」
「…………え?」
 絶句するブランガルの前を平然と通り過ぎて、ルツはすたすたと桟橋を渡った。船に乗ったところでくるりと振り向き、くすっと魅力的に微笑んだ。
「冗談よ」
 何と答えていいかわからなかった。あいまいに笑ってブランガルはその場をやり過ごし、まだ運び込まれていない荷物の山を点検しに行くことにした。
 一瞬、変な客を乗せてしまったのではという後悔がよぎったが、頭を振ってその考えを消すと、荷物の所にいる船員にウォンの様子を聞いてみた。
「あの赤毛っすか? 根性はあるかもなぁ。力はまだまだって感じだが、とりあえず荷物落とすほど非力でもねぇっす」
「お前にそう言わせるってことはけっこうな体力だよ、ジョイ。そうか……まだガキっぽいが、なかなか使えそうだな」
 ブランガルは笑って答えた。ジョイという男は真っ黒に日焼けしていて、はちきれんばかりの筋肉のかたまりで、どこから見ても完璧に海の男だ。そんなジョイに比べればウォンなどまだまだ非力な子どもなのかもしれないが、ブランガルの評価は公平だった。
 話している間にも、ウォンは桟橋を何往復もして大きな荷物を運んでいた。表情はなにやら苦しそうというより憎々しそうにゆがんでいたが、ぶつぶつ悪態をつきつつも、とりあえず真面目に働いているようだ。こうした労働に慣れているようだ、とブランガルは思った。どこかで、下働きのような仕事でもしていたのかもしれない。ブランガルはウォンの様子に満足した。
「これでもう一人の子供もちゃんと働いてくれていれば、あの客を乗せた元は十分取れそうだな」
 一方のキルトは、言われたとおり、甲板から船室に降りていくはしごのような階段を伝って、降りてすぐ右にあった戸を前にためらっていた。
 黙って入るべきか、 ノックしてみるか、声をかけてみようか。
 考えているうちに、中から妙な音が聞こえてきた。
 がしゅっ、げしょげしょ、ごとん。どごおおおおぉぉ、がんがんがんがん…。
「……厨房だよな? ここ」
 キルトはさらに不安になったが、意を決すると3回戸を叩いてみた。
 コン、コン、コン。
 じょがああああぁ、じょごあぁぁぁぁぁ、じゃばっじゃばっじゃばっ。
「……聞こえないのかな」
 これだけうるさいのなら、無理もないだろう。キルトはそのまま戸を押し開けてみた。
 厨房の戸を開けて最初に見えたのは、炎だった。
「火事かっ?」
 思わず後ずさると、戸の蔭から丸い黒眼鏡の男が顔をのぞかせた。
「手ェ貸さんかァ!」
「……ッ!」
 背後の料理中とは思えないような騒音をすべて吹き飛ばすような大音量の声に、耳がキーンとする。驚いたが、落ち着いてよく見ると黒眼鏡の男はキルトと同じ服装をしていた。つまり、彼がコックなのだろうか。
 ゆったりしたかっぽう着なのだが、中身も非常にゆったりしているせいでぴちぴちになっていた。三角巾の存在価値がないようなつるつるの頭部にキルトは疑問を覚えたが、黙っておく。
 何も言えずに呆然とながめていると、有無を言わさず厨房の中に引っ張り込まれた。
「かっぽう着よォォし! 三角巾よォォし! 坊主! 手は洗ったかァ!?」
「……ッちいち、叫ぶなよ!」
「答えんかァァ!」
 キルトは自分の鼓膜を守るため、おとなしく従うことにした。 手を洗うつもりで流し台に行き水を出す。そこですかさず張り飛ばされた。容赦のない、壮絶な張り手だった。
「何だよ! 手を洗おうとしただけだろうが」
「あほかァァ! 船の水は貴重なんじゃ、くみ置きのカメから汲んで使えィ」
 もう、どうでもいいような気持ちでカメの水を使う。
 そうやって少し冷静に室内を見わたすと、はじめは火事だと思った炎も、大きな鍋から上がっているものだとわかった。キルトは、あまり料理の知識が多くなかったが、火にかけた鍋に強い酒を振りかけると派手に炎が上がることがあるのは知っていた。
 おかしな騒音の正体も、コックの調理を横で見ていると、だいたいわかってきた。
 まず、魚をさばかない。大きな魚を丸ごと台の上にのせて、刃がついているかどうかも不明な重い包丁を、力いっぱい叩きつける。魚は原形をとどめないほど見事なミンチになった。大きな丸底の鍋は空のまま強火にかけられていて、そこに遠慮なく油がそそがれると強烈な音が弾ける。皮をむいていない丸型のイモがカゴ一杯になっているのをそのままゴロゴロと鍋に放り込み、魚のミンチも入れ、せいぜい二つか三つにざっくり切っただけの野菜を入れ、ビン一本の酒を惜しげもなく振りかける。
 調理台の上には何も残らなかった。野菜くずも、魚のアラも、何も。きれいなものだった。まな板は使わなかったのだろうか。
 キルトは少し不安になった。
「……食えるのか? これは」
「当たりまえじゃ、毒なぞ入っとらん!」
「俺が心配してるのは、そういうことじゃないんだがな…」
 魚の目玉や臓物などもこの中に入っているのだろうか。そう思うと食欲が失せた。
「それで、俺は何をするんだ?」
「そっちじゃ、そっち」
 示された方には、信じられないほど積み上げられた汚い食器の山と、これまた同じくらい積み上がっているイモの山があった。そして、それしかなかった。
「……で?」
「ぜえぇぇぇぇぇぇぇぇんぶ洗え。食器は洗って棚にしまう!イモはこっちのカゴじゃァ!」
 コックの口調は揺るぎなかった。キルトはめまいがしたが、何とか踏みとどまってこらえた。
 今日中に全部終わるかどうか、真剣に心配になってきた。




←back    第一話  運命の船出(2)    next→

第1章 見えない月の導き