第1章 見えない月の導き


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 港から少し離れたディオンの中心街を連れ立って歩く二人がいた。
 少女と、青年。
 二人とも旅の装いをしていたが、親子ほどの年の差ではなく、兄妹にしては似ておらず、夫婦や恋人というには無理がある。そんな二人連れを、すれ違う人が次々に振り返った。
「なぜこの街はこんなに活気がないのだ?」
「何でだろうね。みんな暗い顔してるなぁ」
 少女は可愛らしい声のわりに、少女らしからぬ口調で言った。
 ラグランシア大陸でも一、二を争う大国の首都の中心部にしては、確かに活気が少ないように見えた。大きな店が軒を連ねていても、そのいくつかはまだ日が高いというのに入り口を閉ざしている。
 相槌を打った青年も、ずっと不審に思っていた。
 すれ違う人が皆、うつむき加減でとぼとぼといった調子で歩いているのは、あまり正常な街とは思えない。――すれ違いざまにぱっと振り向かれて、じろじろ見られるのは仕方がないとしても。
 ちょっと聞いてくる、と言って少女は焼き菓子を売る露店にすたすたと入っていった。
「あ、ちょっとお嬢ちゃん!」
 青年もあわてて付き合う。
 露店にいた中年の女は、不審げな目つきで少女と青年をじろりとにらんだが、何も言わなかった。
「なんだい?」
 女の不機嫌そうな声を気にもとめずに、少女は並んでいた焼きたての菓子を次々と選んで袋一杯に詰め込む。それを後からやってきた青年が、うんざりしながら見て言った。
「お嬢ちゃん……何度も言ったけど……自分で買ったものの代金は自分で……」
 なかば諦めた声だった。
 少女は振り返りもせずに、店の女に質問を投げかけていた。
「街がどうかしたのかってぇ?」
 女は面倒くさそうな口調でぼそぼそと答えた。
 近頃、外からの船がまったく港に入ってこないこと。出航して行った船が一隻も戻ってこないこと。商品の流通が滞っていてどこの店でも商売あがったりなこと。人の出入りも途絶えてしまったため客足も一気に落ちこんでいること。
「最近じゃあ、ユーゼリア大陸との間のどっかに大渦でもできたんじゃないかとか、大きな海賊団が出没してるんじゃないかとか、やっかいな魔物でも出てるんじゃないかとか、まぁなんにしてもありがたくない噂ばっかりだよ」
 少女は紙袋を受け取って露店を出た。仕方なく、青年が代金を支払って後に続く。
「その噂は本当だと思うか?」
「お嬢ちゃんはどう思うんだい?」
「お嬢ちゃんではない。シエリだ」
「俺のこともぜひラプラって呼んでほしいよ。うーん、一番現実的なのは海賊団じゃないかな」
 ラプラと名乗った青年は、服と同じ色の緑の帽子をかぶりなおして答えた。帽子からのぞく金髪が、緑の色によく映える。
 海賊団はそう珍しい存在ではない。貿易船の航路には大なり小なりの海賊船が出没する危険性が常にあった。だが、船の往来がまったく無くなるという状況は少しおかしい。少女もそれを指摘した。
「船がまったく航行しなくなれば困るのは海賊の方だろう。獲物がなくなるのだから」
「そうなんだよなぁ。そうすると……考えにくいことだけど……」
 ラプラは続きを口にしなかった。
 シエリも尋ねなかった。口が焼き菓子でいっぱいになっていたからだ。代わりに眼で聞く。
「虚月の今なら、それもありえるかな、と思ってね」
 ラプラは具体的には答えなかった。

 二人は相変わらずじろじろ見られながら、いくつかの店に入って噂話を集めた。
「どうやら港は今、ほとんど閉鎖状態みたいだね」
 それがラプラの結論だった。
 二人はこれまでずっとラグランシア大陸を南下してきて、このディオンから船に乗ってユーゼリア大陸に渡る予定だったのだが、どうやらそれができないようだ。
 シエリが反発した。
「出航していった船が帰ってこないというからには、少なくとも船は出航している。乗るぞ」
「冗談だろう? 帰ってこないと分かってるような船に乗ってどうするのさ」
「必ず、ユーゼリア大陸に行く。――わたしはどうしてもこの大陸を離れたいのだ。一日でも早く」
「死にに行くようなものでも?」
「お前について来いと言った覚えはないぞ。わたし一人で行くから気にすることはない」
 後先を考えない、とにかく大陸から出られれば良いと主張するシエリ。
 二の句がつげないラプラは、黙って後をついて行くしかなかった。呆れたものの言い方だったが、せいぜい14、5歳の少女が一人で旅をしていて、ここまで強い意思を持っているからには、何か特別な事情があるのかもしれない。そう考えた。
 港まで来てみると、確かに出航準備をしている船は一隻もなく、人影も見当たらない。
 そうだろうと予想していたので、ラプラは慌てなかった。
「やっぱりな。どうするんだい?」
 どう、と言われてもシエリに具体的な考えはない。出航しそうな船があればそれに乗り込む、ただそれだけしか考えていなかった。肝心の出航しそうな船がないのであれば、
「待つ」
 それしかない。シエリは答えたきり、その場を動かなくなった。
 ラプラは何度目か分からないため息を一つ吐き出して、天を仰いだ。

     *

 ブランガルも思わずため息をついていた。
「たったの4人か……」
 港に併設されている船舶組合の建物の中だ。
 なけなしの私財を投げうって募集した傭兵は、4人しか集まらなかった。戦士二人、武闘家一人、魔法師風の女が一人。それでも集まらないよりはマシ、と考え直し、説明を始めることにした。
「だいたいは噂で知っていると思うが、現在、ディアニア沖で船舶が行方不明になる事件が連続している。今度の出航は、原因の究明と事態の解決が目的だ。予想される状況はいくつかあるが、何らかの戦闘状態になることも考えられるため、こうして集まってもらった」
 皆、それなりの覚悟はしてきたらしい。というより、そうでなければ自分たち傭兵が集められるはずはないと考えていたようだ。
「出航は明日の朝9時を予定している。今日は一旦解散して各自準備してもらってかまわないが、出航時刻には遅れずに船に乗っているようにしてくれ」
 一人が口をはさんだ。
「どの船に乗ればいいんだ?」
「《シルフィア号》という十人乗りくらいの客船だ。――心配しなくても、明日の朝出航準備をしている船はそれ一隻しかない。間違うことはないはずだ」
 納得したらこれにサインを、と言ってブランガルは契約書を机の上に並べた。4人とも、ざっと読んですぐにサインを入れる。報酬は一人あたり2バーク、契約期間は『問題解決まで』、つまり未定、保証は遺書と遺品の事後処理のみ。報酬がやや高額な点をのぞけばごく普通の傭兵雇用条件だ。
「ちょっと報酬が高めなのね?」
 4人の中で唯一の女性が、意外そうに言った。ブランガルにはそれなりのたくわえがあったが、おかげでほとんどすっからかんになってしまう。
「当然、危険手当も含まれているからな。今まで13の船が港を出たきり帰ってきていない。もちろんユーゼリア側にもたどり着いていない」
 船が海で行方不明になるというのは、ほとんど漂流か沈没しかない。
「それと、契約期間があいまいなのも理由の一つだ。一度の航海で問題が解決しなければ何度でも出直すし何日でもかける。一応、船上での食事代はこっちで持つがな」
「問題解決って言うが、結局は魔物退治なんだろう?」
「ただの魔物とは違う。――やるからには本気でやってくれ」
 ブランガルは、それ以上説明をしなかった。煮えたぎるような怒りと緊迫感が、その声ににじんでいた。
 彼は、親友とその船を襲ったすさまじい事態を、ただの海の魔物の仕業とはとても考えられなかった。海には、船乗りたちを惑わせたり困らせたり、時には死を招くような魔物たちが潜んでいる。それは実際に存在する魔物から伝説でしかない幻獣までさまざまだが、どちらにしても、ジーク船長の船を襲ったものは何か尋常ではない存在に違いなかった。ブランガルはそう確信していた。
 4人が解散してから、彼も少し街に出かけることにした。何だか飲みたい気分だったのだ。まだゆっくり親友の死を悼んでいなかったな、と思い出した。
 港に近い繁華街の中でも、色々な流れ者が訪れる大きな酒場に行き、カウンターに座った。ブランガルが何も言わないうちに、薄い水色の飲み物が用意される。ユーゼリア大陸シーセイで作られる、彼の気に入りの酒だった。一口含んで、思わず口元をほころばせた。
「シーセイ産のレイ酒だな……しかも'38年物じゃないか?」
 黙々とグラスを磨いていたマスターが、にやりと笑った。
「とっておきさ。頼まれたって出さんよ」
「そんな物を、どうして今」
 聞いたブランガルに、マスターは一言、「はなむけだよ」と答える。
 なるほど、明日の出航を知っているらしい。ブランガルは苦笑しつつ、マスターの好意に感謝してレイ酒を楽しんだ。深い味わいのボディにピリッとした酸味が絶妙で、爽快なのど越しだ。
「……ジークは、12隻の船が全部帰ってこなかったのを承知で出ていったんだ。あいつはそういう奴だった」
 マスターは黙ってグラスを磨き続ける。
「あいつの最期は、俺が看取った。……その最期になぁ、あいつ、何て言ったと思う?」
 ブランガルはグラスの中の透明な水色をみつめる。
「ジークはうちの常連だったよ。冷静で、聡明な男だった。船乗りにしては珍しい性格だったな。お前さんなんかとよく付き合いが続くもんだと、ずっと不思議に思ってたよ」
「よく言うよ。俺たちはうまく付き合ってた。……あいつは、『月』って言ったんだ」
 マスターは相槌を返さなかった。ブランガルも黙ってグラスを傾けた。
 酒場には、他にも多くの客がいた。旅人ふうの客たちは、お互いに世間話のような情報交換をしていたが、内容はだいたい同じで、皆「ディオンからいつになったら船が出るのか、いつユーゼリアに渡れるのか」ということを話題にしていた。きっと海の向こうの港町でも、似たような会話が交わされているのだろう。
 ――ここで声をかければ、明日一緒に船に乗ってくれる者が他にも集まるだろうか。
 ふとブランガルは考えた。だが冒険者や旅人と、傭兵は違う。危険に値段をつけて自分の命をやりとりするのが傭兵の仕事だ。ここに集まる旅人たちは、安全に渡れる日が来るまでじっと待つのだろう。
 そんな彼の横で、カウンター越しにマスターに声をかける女性がいた。
「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど。近いうちに港からユーゼリアに行く船がないか、知らない?」
「ないね」
 マスターは顔も上げずに答える。だが女性は何か確信があるらしく、しつこく食い下がる。
「そう? さっき港に行ってみたら、船員さんらしい人たちが何かやってたのよ。出航準備じゃないの?」
「しばらく乗ってない船の様子でも、見に行ったんだろう」
「つい先日も船が出たって聞いたわ。しかも、ちゃんと帰ってきたとか。それなら、次の船が出るのはそう遠い話じゃないんじゃないかと思うけど……?」
 ブランガルは少し興味を持って耳を傾けていたが、その女性の強い自信を感じてちらりとそちらをのぞき見た。
 黒髪で、切れ長の鋭い目をした、わりに美人で若い女性だ。髪を後ろにまとめ上げ、垂れないようにしている。知的な印象だった。こんな店に来るには珍しい種類の人間だ。
 とうとう反論できなくなったマスターが、少し申し分けなさそうにブランガルの方を見た。ブランガルも苦笑して片手をあげて答えた。
「船は出るよ」
 女性は、その時初めてブランガルに気がついた、という表情でこちらを振り向き、にっこり微笑んだ。
「あなたがその船長さんね?」
「そうだ。……ずいぶん熱心に船を探しているようだったが、今、海がどうなっているか知らないわけじゃないんだろう?」
「だいたいの噂話はもう十分聞いたわ。知りたいのは真実よ。本当に船は、出ないのかしらね?」
 ゆったりとした動作でブランガルの隣に腰掛けてきた女性が、意味深に眼をのぞき込んでくる。
 ブランガルは女性を改めて眺めた。女性的で細めの身体、身軽そうな服装には武器の類いも見当たらない。間違っても、戦闘を仕事にするような人間ではないだろう。
 だが、人間の強さは力の強さではない。この相手なら、もしかしたら事情を知ってもなお船に乗るかもしれない。そういう人間は、不測の事態で力になる。ブランガルはそう判断を下して、答えた。
「真実が知りたかったら、明日の朝、もう一度港に来るといい」
「乗せてもらえるの?」
「傭兵を集めていた。だが見たところ、あんたは傭兵という感じではないな。客として乗りたかったら乗船料をもらおうか」
「そうね。私は確かに傭兵稼業はやってないわ。でも乗船料の代わりに、人夫を提供するっていうのでどう?」
 ブランガルは少し考えた。確かに、乗組員もこの状況でずいぶん減ってしまっているし、傭兵の数も足りない。人足は多いにこしたことはない。
「それで構わない。ところであんたの言う、人夫っていうのは?」
 どこにいるのか、そう言外に尋ねると、女は魅力的な笑顔でうしろのテーブルを指差した。
「ちょっと子供かもしれないけど、若い分だけ無理がきくから。好きなだけ使ってちょうだい」
 そこには、大きなマグを何杯も傾けている少年がいた。赤毛で、何かわめきながら手を振り回している。少年の二倍もありそうな巨体の荒くれ連中相手に、できる、できない、と怒鳴り合う声が聞こえる。やってみろ、と誰かがはやしたてていた。
その横で、いかにもうるさそうに顔をしかめている同い年くらいの少年。灰白の髪と青い瞳。こちらはたいして飲んでいないようだ。赤毛の少年の方には見向きもせず、他人事を決め込んでいる。対照的な二人だ。
「15、6ってところか?」
「多分ね」
子供過ぎる。それがブランガルの感想だった。戦力として見ても頼りないし、危険と分かりきっている船に未来のある子供たちを連れ込むのは望ましくない。
残念ながら断るしかないな、そう思って黒髪の女性を振り返ったとたん、背後の少年たちのまわりでわぁっと歓声が上がった。
「やるじゃねえか、ぼうず!」
「へへっ、まーな」
人だかりになっていて、ブランガルの位置からではよく見えない。だが、一癖も二癖もある酒場親父どもと、まるで対当のように肩を組んで笑いあっている赤毛の少年がちらりと見えた。酒に呑まれているようには見えない。若さに似合わず、荒くれ連中と上手くやっていけるだけの経験を積んでいるということか? まさか。いや、しかし。
「あれで結構、使えるのよ」
 自信ありげな女性の微笑と切迫した状況が、船長としての判断を惑わせる。
「……まぁ、」
ブランガルは逡巡した。何かの役には立つだろう。猫の手も借りたい状態のブランガルは、承知した。
「子供二人で、一人分の運賃だな。明日は装備と死ぬ覚悟を整えて9時までに港に来いよ」
 言い捨てて酒場を出ようとした時に、ひとつ聞き忘れたのを思い出して振り返る。
「ところで、あんたの名前は?」
「ルツ。むこうの二人は、うるさい方がウォン、つまらなそうなのがキルトよ」
 これで7人か。あと3人くらいどうにかなるといいんだがな。
 すっかり人通りが少なくなった通りを一人で歩きながら、ブランガルはぼやいた。





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