覚悟〜光を追う者〜


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 頬をなでる優しい風でウォンは目覚めた。もう、ぽっかり穴が空いただけとなってしまった天窓から、柔らかな光がさしている。時計を見ると、いつもよりずっと早い朝であった。
 しかし、頭ははっきりとして、妙にすがすがしい気持ちだ。
 今日は出発の日。
 ティンクスがかけてくれたのだろう、使い古した薄い布からはい出し、柄にもなく綺麗にきっちりと折りたたむ。立ち上がり両手を目一杯上げてのびをすると、新鮮な空気が胸を満たした。

 振り返ると、賞金を大切にしまっていた小箱が、床に乱暴に転がっている。昨日のあの事件は、やはり夢ではなかったのか、とウォンはがくりと肩を落とす。旅立ちの朝、賞金は奪われ、手元に残ったのは働いてきて貯めた僅かな金だけであった。
 だが、出発を延期する気はなかった。旅立つと決めた日に旅立つ。その考えを変える気はなかった。
 ウォンは、セイラムが荒らしていった部屋を大雑把に片付ける。それが終わると、鞄に必要最低限のものを詰め込んだ。目の前の沢山のがらくたを、一つも持っていかないのは名残惜しかったが、別れを告げるように一つ一つ手に取り埃をはらうと元の位置に戻した。最初にもらった給料で買った、今は壊れて酷い音を鳴らす目覚し時計だけを片手に立ち上がる。
 部屋を出る前に、ふと振り返る。がらんとした部屋の、何もない床の上に、天窓からの光が四角い窓を作っている。それを見つめながら、ウォンはここに来てからのことを思い出した。
「行ってくる。」
 ウォンは誰ともなく小声で言うと音を立てないように静かに階段を下りた。
 階段の突き当りの壁に、ウォンは見慣れぬ物を見つける。いや、正確には見覚えはある物だった。ウォンはそれがここにある事に違和感を感じつつ、そっと手に取ってみる。ずしっと重いそれは、ウォンにとってはまだ大きすぎる事は明白だったが、初めて触れたそれはウォンの胸を高鳴らせた。それは、いつもティンクスが身に付けていた、紺色の剣のホルダーだった。
 持ち主であるティンクスはいったいどこに行ったのか、何故ホルダーだけが置かれているのか。ウォンは、急いで店に行ってみる。店の中は初めて来た時と同じようにひっそりと静まり返り、窓からの朝の日差しだけが店内を照らしていた。ウォンは、その薄暗い店内の出入り口の扉に、小さな紙切れが留めてある事に気付く。誰によるものかはだいたいわかっていたが、ウォンは急いでそばに駆け寄った。

『また会える日を楽しみにしているよ。君の旅路に幸運を願って、ホルダーを贈る。  T・B』

「ティンクス…。」

 ウォンの胸にティンクスとの思い出が駆けていった。
 しばらく、紙切れを見つめたまま想いにふけっていたウォンだったが、急ににっと明るい笑みを浮かべると、紙切れを外して、ポケットにしまった。
 ウォンは振り返り、マーカス部屋の扉の前に、ティンクスから教わった拙い字で書かれた手紙と、先ほど屋根裏部屋から持ってきた、壊れかけた目覚し時計を置く。
「じゃあな、おっさん。」
 小さな声で扉の向こうにいるであろうマーカスに別れを告げると、ウォンは踏みしめるようにゆっくりと店の出入り口まで歩き、ひとつ深く息を吸って扉を開けた。朝の太陽の光が、これ以上にないほど眩しくウォンに降り注いだ。
 ウォンは大きく一歩踏み出し店を出る。一度だけ店を見上げると、後はもう振り返らずに歩き始めた。


 早朝だというのに、通りはマドバンの客で既に賑わい始めていた。
 少し行った所で、ウォンは予想もしていなかった声に呼び止められた。
 振り返ると、そこにはセイラムが一人で立っていた。不機嫌そうな顔で、ウォンをにらんでいる。ウォンが思い切り殴った左頬はまだ治ってないようで、丁寧に湿布が張られていた。
「なんだよ。まだやる気…」
 ウォンがいい終わらないうちにセイラムは麻の袋をウォンに投げてよこした。ウォンは慌ててそれを受け取る。それは予想外にずっしりと重く、ウォンは危うく取り落としそうになった。
「何だよ、これ?」
 ウォンは顔いっぱいに不審の色を浮かべる。
「お前の部屋にあった賞金と同じ額だ。」
 セイラムはぼそぼそと言うと決まりが悪そうに、ぷいっと顔をそらした。ウォンの賞金は、昨日逃げた男達に奪われたが、そもそもの原因は目の前の王子だった。しかし、いくらセイラムのせいだったとはいえ、今までの事を考えるとあり得ない行動だった。
 また、何か企んでいるのではないかと言う考えが、ちらりとウォンの脳裏をかすめたが、目の前のセイラムの様子を見る限り、それはなさそうだった。
「お前…、何で…。」
「うるさいな。私がやると言ったのだから何も言わずに受け取ればいいだろう!勘違いするなよ!借りを作ったまま、どっかで野垂れ死にされてはしゃくだから、返したまでだ!」
「お、おう…。んじゃ、もらっとく。ありがとな。」
 急に声を荒げたセイラムの気迫に圧され、ウォンは原因がセイラムである事も忘れて礼を言うとそれを鞄にしまった。予想できなかった展開についていく事が出来ず、ウォンは思わず出たセイラムの皮肉にも気付かなかった。ずっしりと重い麻袋に、ふと疑問がわく。
「こんな大金どうしたんだ?あ、そか、お前王子だもんな。金持ちなんだろ?」
 セイラムはその言葉にむっとする。そんな自分に、以前ならあり得なかっただろうと、目の前の少年を少し悔しそうに睨んだ。
「確かに金ならある。だが、すでに私の物であるそれをお前などにくれてやるのは、何やら腹が立つからな。」
 セイラムの口から、またいつもの憎まれ口が飛び出し、ウォンは少し解いていた警戒心をまた張り直した。
「てめえ、やっぱ喧嘩売りに…、」
「王宮の国庫から盗んできた。」
「は?」
 意味を把握しきれず呆気に取られているウォンを、セイラムは少し得意気に見返す。その顔には、微かに笑みが見て取れた。普段評判のいいセイラムだ。国の資金からみれば、ほんの僅かとはいえ、王である父親に黙って国の金を取り出すことは、セイラムにとってはなかなかの大事だった。
「ははは!何だよ、そりゃ!王子が城の金、盗んだのかよ!!やるじゃねえか、お前!」
 ウォンは張り直した警戒心を一気に解くと、腹を抱えて笑い出した。その姿を見て、セイラムもふふんと笑ってみせる。
「へへ、ありがとな。」
 しばらく笑った後、ウォンは改めてセイラムに礼を言う。
「だから、礼を言われる筋合いはないと言っているだろうが。ところでお前、その背中のそのホルダーはティンクスの物ではないのか?大きすぎて、偉く不恰好だな。そのまま行く気なのか。」
 言葉は悪かったが、セイラムの顔に自然な笑みが浮かぶ。
「うるせえな。そのうちこれが似合うようになるんだよ!」
 ウォンは、自信満々に言ってのける。そんなウォンに、セイラムは大げさに、ふんと鼻で笑ってみせる。
「ほんとにお前は最後まで嫌な奴だよな。」
「お前も、本当に最後まで無礼な奴だ。」
 2人とも、挑戦的なまなざしでお互いを睨みながら、にやりと笑った。
「じゃ、オレもう行くから。」
 ウォンはくるりとセイラムに背を向ける。
「待て。」
 セイラムが、再び呼び止める。
「聞いてもいいか?何のために、お前は行くんだ?わざわざ、危険な旅に…。命を落とすかもしれないんだぞ?」
 ウォンは、振り返らずにそれを聞いていた。


「何かが呼んでる気がするから。ここで待ってるだけじゃいけないような気がするから。そこに、オレの生きている意味があるような気がするからだ。」


 しばしの沈黙が降りた後、セイラムは思い切ったように口を開いた。
「私にも…、私にもそれはあるだろうか?何か呼んでいるものが?」

「そんなのは解らねえよ。」

 ウォンの言葉にセイラムはうつむいて肩を落とした。

「でも――――、」
 ウォンは少し考えるように間をおく。セイラムは無意識に顔を上げウォンを見た。
「お前が覚悟を決めた瞬間にそういうのが見えるんじゃねーのか?」
 ウォンは、一瞬振り返り、にっと笑うと、通りを歩き出した。人ごみの中にその背中が消えていこうとする。

「絶対…、絶対見つけろ!もう一度、お前に会う時までには、私も必ずそれを見つけてみせるからな!」
 セイラムは半ば怒鳴るように、遠くなっていく背中に叫んだ。

 ウォンの拳が高々と天に向かってあげられた。





「行ってしまったね。」
 通りに立って、ウォンが行った方向を見ながら、朝日に目を細めてティンクスは言った。
「は、せいせいするね。」
 ウォンが開けた天窓から顔を出して、やはり同じ方向を見ながらマーカスがため息をついた。手には安っぽい目覚し時計が、それでも大事に握られていた。
「会わなくてよかったのかい?」
 ティンクスは微笑みながら上を見上げた。
「……会えば…止めてしまいそうだ。」
 ぽつりと漏れたマーカスの本音に、ティンクスも、そうだね、と小さな声で同意する。
「天井にこんなでかい穴開けやがって!修理代を給料からひくのを忘れちまったぜ!」
 照れ隠しのように大きな声で文句を言うマーカスに、ティンクスはくすくすと笑った。
「全く、よく、似てるぜ・・・。」
 ぽそりとそう言い残し、マーカスは顔をひっこめ中へと入っていった。


「うん、そうだね。」
 ティンクスは、ウォンの行った方向をまた見やると、いっそう目を細めた。
 

 ウォンが自分だけの道を歩き始めたその日、太陽は遠い日と少しも変わることなく世界を照らしていた。




              了





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