〜第二章第2話より(2)


        何もしない時間





 ラプラは、それほど酒に弱い方ではない。
いくら飲んでも、自分を失うほど酒に呑まれた経験はなかった。まったく酔えないわけではないが、多少陽気になる程度で、これまで酒で苦しい思いをした覚えはない。
 その酒に対する強さが、今は恨めしかった。
 昨夜はメグの好意で、いくらでも酒が飲める絶好の機会でもあり、ルツと二人で浴びるほど飲んだ。途中まで一緒に飲んでいたウォンとキルトは、早々に酔っぱらっていた。
そういえばルツは、自分と同じか、もしかするとそれ以上に酒に強い体質なのかもしれない。かなりのペースで杯を空けていたラプラは、最後まで酔い潰れることなく酌み交わしたルツに、尊敬に近い想いを感じていた。いつもより飲む量が多かった気もする。ルツと飲み、語らう時間が楽しかったせいだろうか。
これだけ飲めば、少しは──。
ラプラは淡い期待を抱いて寝台にもぐり込んだのだが、残念ながら、酒の効果はほとんど現れなかった。何度目かの寝返りを打とうとして、ラプラは一瞬身体をこわばらせる。

「……いた……」

 ふうぅぅ……、とゆっくり息を吐き出しながら、身体を元通り仰向けに戻した。右手で胸のあたりをそっと押す。
「ただの打撲じゃないよなぁ……」
 ラプラにも骨折の経験は何度かあった。ヒビが入るだけでも、ふつうの打撲とは痛みが段違いなので、骨が折れたかどうかはすぐに分かる。今度の痛みは、ラプラの経験から言えば骨折に間違いなさそうだった。じっとしていても痛い。横になっていても痛い。先日、船上でクラーケンに襲われた時の負傷だ。もっとも、直接クラーケンにやられた怪我ではないのだが……。
 もともと体力がない自覚はあった。そこへ、たて続けに戦闘をこなすなどの無理を強いた上に、この負傷だ。ある程度治りが遅いだろうとは覚悟していたが、5日経った今になっても、痛みはまったく引いていなかった。
「あれだけ飲んだんだから、もしかしたら痛みも感じないで寝られるかと思ったんだけどな……」
 しかし、なかば予想していた通り、寝台に入って間もなく酒はすっかり抜けてしまい、寝付けないままに朝日が昇っていた。
まだ陽は低かったが、ラプラはそれ以上の無駄な努力を放棄して、起き出すことにした。

     *

「早いなー!」
 ウォンが清々しい目覚めとともに階下に降りていくと、まだ誰も起き出してこないような時間だというのに、そこにはラプラの姿があった。朝食の仕込みをしていたメグが、起きてきたウォンに気がついてヤグーの乳を一杯出してくれた。見ると、ラプラも同じものを飲んでいる。
「そういうウォンも早いじゃないか。よく眠れたかい?」
「オレはどこだって熟睡できるぜ。どっかのヘナチョコとは鍛え方が違うからな」
 へっ、と鼻で笑ってウォンは答えた。それからラプラの目の下のクマに気がついて、聞き返す。
「もしかして徹夜かよ?」
 これにどう答えたものかとラプラが黙っていると、ウォンは勝手に納得して続けた。
「わかるぜ。ルツに付き合って飲んでるとたいていそうなるんだよな。あんたも大変だ」
 うんうん、と一人うなずく。そしてヤグーの乳を一気に飲み干すと「ルツが起きてくる前に」と言って、身軽にローアンの街に飛び出して行った。昨日の飲みっぷりが嘘のように、軽快な足取りだった。
「……元気だなぁ」
 ウォンが開け放していった食彩亭の入り口から見える、静かなローアンの早朝の街並みを眺めつつ、ラプラはつぶやいた。ウォンは昨日もローアンの街の中を歩き回っていたはずだが、おそらく昨日は、ルツの荷物持ちばかりでゆっくり見物する余裕もなかったのだろう。初めての街に、好奇心を抑えきれない様子だった。

     *

「あれ? 眠れなかったんですね」
 昨夜が遅かったのは同じはずなのに、実にさわやかな笑顔でラギが降りてきた。メグの差し出したヤグーの乳を受け取って、一言礼を言ってから、ラプラの隣の席に座る。
「そんなことなら、船の傭兵さんたちと一緒に、治療院に行った方が良かったかもしれませんね」
 さらっと言われた内容に驚いて、ラプラはラギの方を振り返った。
 ラギは少し首を傾げ、様子をうかがうように言う。
「痛むんでしょう? 我慢するのはあんまり良くありませんよ」
「……そんなに痛そうな素振りを見せたつもりはなかったんだけどな」
 どうやら、ラギのおっとりとした物腰に騙されていたらしい。笑顔の裏に隠された観察眼がくせものだな、とラプラは思った。
「たいした怪我でもないし、わざわざ騒ぐようなことじゃないと思ったんだよ」
 あえて何でもないふうを装い、軽い調子で言う。しかしラギの目は鋭かった。不思議そうに、ラプラに問う。
「骨折してるようなのに、たいした怪我じゃない、ですか?」
 純粋な親切心からの言葉だと分かるだけに、なかなかうまく誤魔化せない。いつもは軽口で話の流れを自由に操るラプラも、ラギ相手では分が悪かった。
 結局、ヒビが入っている程度だからおとなしくしていれば大丈夫なのだと説明して、なんとかその場を切り抜けることができた。

     *

「おはよう。あら、まだ他の人は起きてきてないの?」
 次に降りてきたのはルツだった。くたびれた様子はかけらもなく、髪もいつもどおり結い上げられている。メグに渡された杯に口をつけて、「これは搾りたてね」と感心する。メグの話によれば、食彩亭の裏手に柵の囲いがあり、そこでヤグーを飼っているということだった。
「ウォンは最初に起きてきて、すぐ街に飛び出していったよ。好奇心いっぱい、って顔だったな。それから、ラギももう起きている。外でベイグルを手伝っているよ」
「そう。じゃあ、寝坊してるのはキルトだけね」
「シエリは?」
「今朝は少しうなされてたわね……。今は頭を抱えて寝込んでるわ。一応、二日酔いに効く薬は飲ませてみたけど、今日一日はとても移動できるような状態じゃないわね」
 心配そうな口調でルツは答えた。
 どうやらもう一日、食彩亭に泊まることになりそうだ。
 急いで行きたがっている他の皆には申し訳ないと思いつつ、ラプラにとってはありがたい事だった。ラギの実家まではけっこうな距離があるらしい。この状態で馬車に揺られての長時間の移動は、かなり厳しかっただろう。
 一日だけでもゆっくり休めることになって、ラプラは内心ほっとした。

     *

「おわっ! うまそうな匂い!」
 ウォンが戻ってきた時には、ちょうど朝食の用意が整っていて、ラプラとラギが席に着いていた。ウォンもそのテーブルに加わった時、ようやくキルトが起きてきた。まだはっきり目が覚めていないような顔のキルトを、ウォンは笑い飛ばす。寝不足のキルトは「誰のせいだと思ってるんだ」と怒ったが、ウォンには何のことだかさっぱり分からないようだった。
「……地鳴りのようないびきを止めてやろうとしたら、貴様が暴れ出したんだろうが」
「はぁ? 何言ってんだよお前おかしいんじゃねーの」
「おかしいのは貴様の頭だ!」
 年長の二人はしばらく傍観を決め込んでいたが、つかみ合いの喧嘩を始めるに至ってようやく二人を引きはがす。いつも二人のいさかいに自然に割って入るルツが、そこには居なかった。それに気付いたウォンが、きょろきょろとあたりを見渡しながらたずねる。
「あれ? ルツは?」
「ちょっと出かけてくるって言って、先に食べて出ていったよ」
 答えたものの、ラプラにもその行き先は見当がつかない。しかしウォンは、ルツの行き先などに興味は無いらしく、「ふーん」と気のない返事をしただけで、さっそく朝食の厚切りハムにかぶりついていた。

     *

 たいていの街には、その規模に応じていくつかの診療所がある。教会に併設されていることも多く、そこでは治療の心得がある医師や牧師が、訪れる患者を診る。
シャルウィンの首都であり大きな港町でもあるローアンには、診療所よりもはるかに大きな施設、シャルウィン国立治療院があった。
ユーゼリア大陸には、歴史のある重厚な建物がいくつも残されている。そうした建物の中には現在も公共施設として利用されているものも多い。公共広場に面しているシャルウィン国立治療院も、数百年前には美術館として使われていた建物を、内装に手を加えて利用していた。
 床は不思議な文様の浮かぶ天然岩を切り出して造られ、壁には美術館時代の名残りなのか、立派な額縁におさまった絵画が所々に飾られている。美しい通路にうっとりと見とれながら歩いていて、向こうから来るケガ人とぶつかりそうになる見舞い客も多かった。
「うわっ!?」
「――ごめんなさい」
 ルツは、腕に包帯を巻いた若者にあわてて謝った。
 我に返って周囲を見まわすと、あやうく、目的の部屋を通り過ぎるところだった。入り口の横にかけられた名札を確認して、ルツは中に入った。
 もともとが美術館なため、通路と部屋の間に扉のようなものはなく、各部屋を区切るために布が一枚張られている。両手で布をかき分けてくぐると、部屋の中には予想外の人物がいた。
「ブランガル船長? あなたも来てたの?」
 部屋の壁には採光と換気用の窓が開けられていて、その両側に簡素な寝台が二つ置かれていた。寝台の上には、見知った顔が二つ。サンクとカイツだ。
 サンクは寝台の上で上体を起こしていたし、カイツは起き上がれこそしないものの、意識ははっきりしているようだった。
「よかった。気がついたのね」
 船上で傷の具合を看ていたルツは、心底ほっとして微笑んだ。
 ブランガルが壁際に置いてあった椅子をもう一つ運んできて、ルツに勧めた。
「俺もさっき来たところだが、今朝方ようやく意識が回復したところだそうだ」
「そうだったの。気分はどう?」
「悪くないさ。何たって、生きてるんだからな」
 カイツが笑って答えた。二人とも顔色は悪かったが、表情はすっきりしている。
「俺なんか、特にケガも無いのにこいつと一緒にこんなところに押し込められてさ」
「強がるなよ。今もそうして起きてるのがやっとのくせに」
「お前こそ、腹に穴があいてただろうが」
 なんだかんだと言って、二人は楽しそうに話していた。それから、意識が無かった間に何が起こったのかたずねられたので、ブランガルがかいつまんで説明した。
 クラーケンの話が出た時には二人とも「信じられない」というような表情をしたが、驚いたことに、ジーナとライモンの話を聞くと突然笑い出した。人の死を笑うような人間だとは思っていなかったので、ブランガルは少しむっとして二人にたずねた。
「何がおかしいんだ?」
「ジーナはどうだか知らないけどな、ライモンが死んだってのは、ないと思うぜ」
 カイツはうっかり笑ってしまって傷に響いたらしく、腹を押さえながら答えた。
「あいつとは何度か一緒に仕事をしたことがあるが、これは死んだと思ってもまた次の仕事でひょっこり出てくるような奴だったぜ。今度だって、船で姿が見えなくなっただけじゃ、死んだかどうか怪しいもんだ」
「あいつなら海に落ちても、泳いでローアンまで辿りつくぜ」
 サンクも笑いながら保証した。
「家に遺書を届けたところで、あいつの女房だって納得しないさ」
「そうそう。もう4通以上の遺書を受け取ってるんだぜ。そのたびに、ライモン自身が後から帰ってきてるんだから、今度だってすんなり納得するとは思えないな」
「そ、そうなのか……」
 それはブランガルにとっても意外な話だったが、生きているかもしれないと言われれば、信じたくないはずがない。固かった表情に、わずかだが笑顔が戻った。
「そうだ、大事な用件を忘れるところだった」
 そう言って、ブランガルは床に置いた鞄から袋を二つ取り出し、サンクとカイツの寝台に一つずつ放り投げた。袋は、ずしっとした重量感で寝台の上に落ちると、中でジャラリという金属のこすれる音が鳴る。
「今度の件の、残りの報酬だ。契約通り、2バーク入っている。受け取ってくれ」
 ヒュウ、とカイツが口笛を吹いた。
「こいつは嬉しいな。肝心なところで何もしなかった俺達には、払ってもらえないんじゃないかと話してたところだった」
「まさか」
 冗談だと分かっていたので、ブランガルも笑って答えた。
 傭兵として雇った条件は、怪物退治ではなく問題解決だったのだから、問題が無事に解決したからには、契約通りに支払うべきものは支払わねばならない。
 その横で、にんまりと微笑みながら手を差し出しているルツに気がついて、ブランガルはもう一つ袋を取り出した。
「このあとあんた達の泊まってる宿に行って渡そうと思ってたんだが、ちょうど良かった。あんたの分も忘れちゃいないさ。同じだけ入っているから、好きに使ってくれ」
 ルツは黙ってうなずくと、受け取った袋の口をさっそく開いて、中身を見分し始める。しばらくジャラジャラと音をたてながら数種類の硬貨を数えていたが、その中から10レータ銀貨を一枚取ると、サンクに差し出した。
「……なんだ?」
 サンクは怪訝な顔でルツを見返したが、ルツはいたって真面目な表情だ。
「賭けの負け分よ」
 相変わらずいぶかしげなサンクに、「ウォンと賭け試合をやったでしょう?」と説明する。
「ああ! そうだった、やったな、確かに」
 すっかり忘れていた様子でサンクは手を打った。
「でもなんであんたがあの坊主の負け分を支払うんだ?」
「しょうがないでしょう、あの子は一文無しなんだから」
 非常に不本意だ、という表情でルツは続ける。
「私たちはすぐにこの街を出る予定なんだけど、あなたはまだしばらくの間ここで治療を受けるでしょう? この先いつ会えるか分からない人に借りを作ったままでは、落ち着いて旅ができないわ」
「それで、あんたが代わりに払ってくれるってわけか」
 サンクは笑って納得しかけたが、ルツはきっぱり首を横に振った。
「まさか。あの子の負けはあの子の責任、私が払ってあげる義理はないわ。あの子は私にさらに10レータ分の貸しが増えた、というだけのことよ」

     *

 ルツが食彩亭に戻ってきたのは、そろそろ昼になろうかという頃だった。まだ食事処としても開店していない時間なので、特に客の姿は見えない。ただ一人、ラプラが朝と変わらずテーブルに着いて、のんびりと珈琲を飲んでいるだけだった。
「やあ、おかえり」
「他の皆は、街にでも出かけたのかしら?」
「情報を集めてくるって言ってね。そう言えば、ブランガル船長はまだ来てないけど……」
「ああ、彼には外で偶然会ったわ。――貴方は出かけないの?」
「そうだな。ルツも帰ってきたことだし、俺も街に出てみようかな」
 ルツの何気ない一言にラプラもさり気なさを装って答えたが、立ち上がろうとするラプラの目の前に、ルツは小さな袋を突きつけた。
 ラプラは動きを止めると、目をしばたいて袋とルツを交互に見る。
「痛み止めと固定用の麻布よ。治療院でもらってきたわ」
 うわあ、という叫び声のような溜め息混じりの声を出して、ラプラは両手で顔をおおった。
「どこを痛めたのか知らないけれど、あんまり無理はしない方がいいと思うわよ」
「まいったなぁ……。俺、そんなに痛そうに見えたかい?」
「そんなもの」
 ふふん、と笑ってルツは答えた。
「熟練者の目をごまかせると思ったら大間違いよ。さあ、服を脱ぎなさい」
 取り出した麻布を両手でばんっと張って構えると、ルツはしきりに遠慮するラプラには有無を言わせず、その服を脱がしに掛かった。

     *

「おや、結局あんただけが留守番かい? ……なんだい、まずそうな顔して珈琲飲んで! もうちょっとシャキっとおしよ。まるで置いてけぼりをくった子供みたいだよ!」
 一階の掃除をするために厨房から出てきたメグが、そこに一人で座っているラプラを見つけ、声を掛けてきた。どことなく情けなさそうな表情で、一人寂しく珈琲をすするラプラの姿には、確かに哀愁が漂っているようにも見える。
「なんだか、俺だけ何もしてないなぁと思うと、ちょっと……」
「そんなことを気にしてんのかい? たまには、なんにもしない時間があったっていいんだよ!」
 メグはばーんとラプラの背中を叩くと、豪快に笑って励ました。
「あたしだって、これから夕方まではゆっくり休む時間なんだから。それに、他のみんなは出かけちまったみたいだけどね、上じゃ小さい女の子が一人で寝てるんだろう? 気がついた時に一人っていうのは、寂しいもんだよ。あの子のためにここで留守番してるんだって思えばいいじゃないか!」
「…………どうも、ありがとう。そう思うことにするよ」
 思わず目に涙がにじむほどの痛みを必死にこらえて、ラプラはどうにか笑顔を浮かべ、メグに礼を言うことに成功した。
ルツに、肋骨まわりを固定するための麻布を巻いてもらっておいて、本当に良かった、と深く感謝するラプラだった。

 誰よりも街中を走り回って、一番早く戻ってくるのはウォンだろうか。キルトは、趣味のいい部品屋を見つけて寄り道をしているかもしれない。ルツは二度目の外出で、効率良く情報を集めながら、同時に宝飾店も物色していそうだ。もしかするとラギは知らぬ間に戻ってきていて、裏でベイグルの手伝いをしているということもあるだろう。
 あとでシエリの様子を見てこよう。ラプラはもう一口、珈琲をすすった。
 こうして、六人にとって二日目となるローアンの日は暮れていった。





       何もしない時間


〜第二章第2話より(2)