〜第二章第2話より(1)


            意味  





 シエリの様子を看ていたルツが階下へ戻ってみると、ウォンとキルトは、かなり酔いが回っているようだった。表情がまだしっかりしているのは、酒を飲んでいないラギと、ほとんど酔ったそぶりのないラプラだけだ。
「どうだった?」
「どうかしらね。明日の朝になってみないと……出発できる体調かどうかは、分からないわ」
 たずねたラプラは、責任を感じているのだろうか。シエリをしっかり見ていなかったことを後悔するように、苦笑して肩をすくめた。その責任は、ラプラばかりが負うものではないだろう、とルツは思う。年長者として、シエリのような酒に慣れていない子供と食事をしながら酒を飲んでいたのだから、シエリが間違って酒を口にしないよう注意しているべきだったのは、自分も同じだ。
「……うなされたり、吐いたり、ということはなさそうだったから、今はそっとしておくしかないわね」
 目が覚めたら薬を飲ませられるように、あとで用意をしておこう、とルツは思った。
ちょうど空いていた二つの杯に、ラプラが無言で酒を注ぐ。琥珀色の液体が強い芳香を放った。口あたりの軽い発泡酒から切り替えて、もう何杯飲んだか分からないそれを、ルツは当たり前のように手に取った。
 くいっと一息で杯のなかばまでを飲みきったルツが、ふーっと息をつく。ちら、と横を見ると、ウォンが同じように杯をあおっているのだが、その縁からぽたぽたとしずくがたれていた。
「ちょっと、ウォン、あんたいい加減にしなさいよ」
「あァ?」
 まだ全然平気だ、と答える声は大きかったが、ろれつが回っていない。
「キルト、あんたもよ。もうやめときなさい」
 これ以上飲まなかったとしても、1時間もしないうちに、二人とも酔いつぶれて動かせなくなるだろう。そう見て取ったルツは、二人の少年を強引に立ち上がらせると、背中を叩いて階段へ向かわせた。その衝撃で、とたた、と足をもたつかせながらも、ウォンとキルトは大人しく階段を上っていく。
「……大丈夫かしら……」
「──3杯と、1杯です」
 ラギが、テーブルの上の空いた杯を片付けながら言う。
「二人の飲んだ量? 呆れた。さっきまで飲んでた発泡酒とはわけが違うのに」
 キルトは発泡酒だけでも、すでにふらふらしていたようだった。ウォンは比較的しっかりしていたが、それでも強い酒に切り替えて3杯も飲んでいたとすれば、明日の朝、調子が悪いのはシエリだけではないかもしれない。
あとで用意するつもりだった薬の量を、少し多めにしておこう、とルツは思った。それから、はたと気がついて、ラギの方へ視線を戻す。
「……二人が飲んでた量なんて、数えてたの?」
「はい。心配だったので」
 にっこり答えるラギは、二人が飲み過ぎないかを心配して見ていたらしい。それにしては、シエリが酒を飲むのを止めてくれなかったのは何故なのか、とルツは思わずラギを睨む。
視線の意図に気がついたのか、ラギは少し申し分けなさそうに続けた。
「シエリが飲んだのは、ナナ酒の水割りだったんです」
 ナナ酒は甘味の強い酒だ。酒というよりほとんど果汁に近いような弱い酒なので、地域によっては、子供が水割りや炭酸割りにして飲むことも多い。メグが用意してくれたのは特に薄めに作られていたので、ラギは少しくらいなら問題ないだろう、と思ったのだという。
「まあ、過ぎたことは仕方がないわ」
 メグもラギも、悪気があったわけではない。甘口で香りの良い飲み物が目の前に置かれて、シエリが興味を持ったのだろうということも、容易に想像できる。
「もしかして、俺達が飲んだ量も把握してるとか?」
 ラプラがちょっと面白がってたずねた。
 聞かれたラギは、ちらりとテーブルに目をやり、すぐに首を振って答える。
「ビンが二人合わせて10本、──それ以上は、数え切れませんでした」
 テーブルの上で山になっていた空きビンが、笑って答えたラギによって片付けられていった。

     *

 食彩亭の2階は宿になっている。木造だが、丁寧に塗られた柱や、すき間風の入らないようにきっちりはめられた窓枠など、しっかりした造りには安心できるものがあった。
 1階部分は全て食堂と厨房で、奥の階段から上がれる2階には、9つの寝室が並んでいる。部屋の広さは様々で、8人が泊まれる大部屋もあれば、一人が寝起きする程度の広さしかない部屋もあるようだった。
6人に割り当てられたのは、二人部屋が3つ。ところが二人部屋の振り分けが良くなかった。ルツとシエリが同室なのは当然としても、残りの4人がラギとラプラ、キルトとウォンに分かれてしまったのだ。幸い、十分に酒が入って上機嫌のウォンはほとんどキルトに絡む事もなく、さんざん飲み食いしてすっかり遅い時間になっていたため、部屋に上がってもあとは寝るばかりでそれほど嫌な思いはしないだろう、とキルトは思っていた。
 だがそんな甘い考えは一瞬で打ち砕かれた。
 二人部屋には寝台が二つ、扉側と窓側に置かれていて、その間に小さなテーブルがある以外は特に何もなかったが、部屋に入ったウォンはキルトに断わりもせず、窓側の星の見える寝台に飛び込むと、あっという間に寝入ってしまった。
 後には、あっけにとられるキルトと、一言の相談も無くキルトに割り当てられることになった扉側の寝台、そして頭に響くほどやかましいいびきだけが残された。


 日暮れまでは食事処、日没後は酒場、そして朝まで宿になるというのが一般的な小料理宿の在り方だったが、食彩亭もその例にもれず、夜遅くまで酒場として賑わっていた。だが、日付けが変わってさらに数刻も経った頃には、客もほとんど残っておらず、店内には酔いつぶれて手のつけようがない客と、後片付けをするメグやベイグルの姿だけ、というのがいつもの光景だった。
 今夜はその中に、まだ酔いつぶれる気配のない二人の男女の姿がある。ラプラとルツだ。さらに、メグを手伝って店内のテーブルを拭いて回るラギの姿があった。結局一滴も飲まなかったラギはともかく、人一倍飲んでいたラプラやルツがまだ杯を傾けているのには、さすがのベイグルも目を剥いていたし、メグは呆れて酒を箱ごと出してよこした。

「……私と一緒に最後まで酒に付き合える人が居るとは思わなかったわ」
 空にした杯をテーブルに置くと、ルツは感心したように言った。頬には朱がさしていたが、ロレツはしっかりしていた。
「俺も、こんなに酒に強い女性が居るとは思わなかったな」
 そう言いながら、ルツとほぼ同じだけ飲んでいるラプラは、テーブルの上に並んでいるビンの中からまだ中身の入っている物を選んで取ると、空いたルツの杯になみなみと注いだ。一滴もこぼすことなく、その手つきはしっかりしている。
「……あんたら、まだ飲んでたのか……?」
 そこに、片手で頭を押えながらキルトが階段を降りてきた。二人のテーブルに並ぶ酒瓶の山に一瞥をくれると、顔をしかめて低い声でうめいた。
「よく飲めるな、こんなに」
「まだ起きてたの? 早く寝ないと、明日は到底起きられないわよ」
「あんなにうるさいのと同室で寝られるもんか」
 すでに頭の中でガンガンと鐘の鳴るような頭痛がしているキルトにとって、酔っぱらったウォンのいびきは殺人的だった。
だいたいの事情を察したルツは、懐から数種類の薬草を取り出すと、携帯していた小さな器に入れてすり潰し、粉に挽いてキルトに渡した。通りかかったメグに、水を一杯頼む。
「美味しくないから、一気に飲みなさいね」
 うっかり味わってしまったキルトは、さらに水を二杯おかわりした。ようやく一息ついて、改めて二人に問いかける。
「こんな時間まで、何の話をしてたんだ?」
「今回のクラーケン騒動のこととか、明日からのこととか、いろいろとね」
 ラプラはキルトにも酒杯を用意しながら答えたが、キルトは慌ててその杯を断わった。
「いや、もういい。いらない」
「私は、やっぱりあの事件には裏で糸を引いてた奴がいると思うのよ」
 そう言うルツの眼は座っていた。
「こんなに狭い海峡に、あんな伝説級の魔物が棲みついて、どこにも移動せずに船を残らず襲うだなんてありえないわ。そう思わない?」
「黒幕ってことか。だとするとやっぱり、怪しいのは彼女だったってことになるけど……」
「彼女?」
 キルトはラプラにたずねる。
「ジーナだよ」
「でも、彼女はクラーケンに襲われて……死んだんだろう」
「そこがすでに怪しいわ。彼女が黒幕だったとすると、クラーケンに海に引きずり込まれたっていうのも見せかけで、一人だけ船から脱出したと見る事もできるのよ」
 ルツの口調には確信めいたものがあった。そう言えば……、とキルトも記憶の糸をたぐる。
「あの女には、不審に思うことが何度かあった気がする」
 中でも一番不自然だったのは、船上でキルトが銃口を向けた時のことだ。そのことを話すと、二人もうなずいた。
「あんたが外したなら、それだけのことなんだけれど」
「いや、それはない、と思う。当たった手応えはあったんだ。だが銃弾が当たったようなそぶりはなかったから、おかしいとは思っていた」
 キルトが、銃のような飛び道具でも一種の手応えがあるということを話すと、投げナイフを使うラプラも同意を示した。
「手から離れてるんだけど、手応えって意外と分かるもんだからね」
「……僕も、少し怪しい人だったと思います」
 ラギが言った。空いた椅子を上げながらテーブルを拭いてまわり、ラプラたちのところまできて話を聞いていたらしい。
「彼女が船の上で、海に向かって何かしているところを見ました」
「それは、いつ?」
 ルツに聞かれ、ええと……、と指を口元に当てて考え込む。
「クラーケンの襲撃の直前です。海に向かって何か呪文のようなものを唱えながら、手をかざしていました。魔法のようにも見えました。それに応えるように、海面で何かが跳ねる音がしていました」
 いつもと変わらぬ微笑みのまま言ったラギに、キルトが信じられないというような顔で聞き返す。
「それだけ怪しいところを見ていて、よくあのとき海に飛び込んだな……?」
 もし自分だったら、不審に思っている相手に事故が起きても、助けようとするよりまず疑ってかかるだろう。キルトはそう思ったが、
「とっさのことだったから」
 ラギは、はにかむように笑った。
「つまり、彼女がクラーケンを呼び出したとも考えられるってことね」
「……海面で何かが跳ねる音?」
 キルトがもう一度、考え込む。
「そういえば俺も航海の途中で変な音を聞いたな。何かが跳ねるような音だった」
 ちょうど、マーメイドたちの襲撃の少し前だ。その時は、その音が何を意味するのか見当もつかなかった。
それを聞いて、ルツはさらに大きくうなずく。
「あなたたちの見た事実は決定的ね。ジーナは十中八九、事件の黒幕……あるいは、黒幕に一枚噛んでると考えて間違いないわ」
マーメイドもマーメイルも、クラーケンもすべて彼女が操っていたと考えられる。そう思いながら、ルツは自分の考えに背筋が寒くなった。
「ジーナは戦闘でも、何かと非協力的だったしなぁ。できるだけ不自然にならないように頑張ってはいたみたいだけど。たとえばクラーケンの時も、派手な攻撃をしていたけれど実際はダメージになっていなかったわけだし。一度攻撃されて倒れておけば、それ以上何かしなくても特に怪しまれることもないしね」
 ラプラもそう納得し、それから少し表情を曇らせる。
「でも、もしそれが事実なら、……大変だな」
 もしもジーナが死んだのではなく、事件の黒幕だったならば、魔物を自在に操れるような者が存在し、実際に社会に被害を与えるような行動に出ているということになる。
取るに足らない小物の魔物を使役する者は、それほど珍しい存在ではなかった。多くはないが、一国に一人というほど少なくもない。そうした技能を持つ犯罪者も、わずかだが存在した。だがクラーケンのような伝説級の魔物すら自在に操り、それを特定の航路の壊滅といったことに利用するような事件は、これまでに例が無い。
「そんな大それたことをするような黒幕が、彼女一人ってことがあるだろうか」
 ラプラの問いは、疑問というよりもなかば確信に近かった。そしてそれは、ルツの考えとまったく同じものだった。


 その場に流れた重い空気を打ち消したのは、メグの陽気な一声だった。
「さあさ、あんたたちももう寝た寝た! こんな時間まで起きてぐだぐだ酒飲んでるなんて、いい若いもんのやることじゃないよ。まだやることがあるんなら明日の朝、お天道さまの下でやればいいじゃないか!」
 張りつめていた場の緊張感が、ふっとほぐれた。そのまま何となくジーナの話は立ち消えになり、ラプラが残りの酒を自分とルツの杯に注いで、また当たり障りのない話題に戻った。
 メグの大声に頭を押さえながら、よろよろとキルトが立ち上がる。
「欲しいなら、ぐっすり眠れるような薬を作ってあげてもいいわよ」
「……多分無駄だろうと思う……」
 ルツの申し出をあきらめたような声で断わり、キルトは再び階段を上がる。その右手は、腰のホルダーに収まる短銃を握っていた。
「……大丈夫かしら、本当に」
「あの程度なら、明日には酒も抜けてるんじゃないかな?」
 ラプラの言葉に、ルツは首を振る。
「そうじゃなくて。我慢の限界で理性のタガが外れて、夜中にウォンと喧嘩でも始めるんじゃないかって思うと心配で……」
 いつもぎりぎりまで溜めるキルトが切れるとすれば、それは喧嘩というよりも、殺し合いになるのではないか。
部屋の被害が心配だ、とルツは思った。

 ラギがすべてのテーブルを拭き終えて、空き瓶と布巾を厨房に下げに行く。気がつくと、食堂は綺麗に片付けられていた。
最後にラプラとルツの二人が残された。たがいに最後の杯を軽く持ち上げて、それぞれ一息で飲み干す。
 ふは、と息をつくと、ラプラは独り言のようにつぶやいた。
「結局、どういう意味があったのかな」
 空になった杯の底を、何ということもなく見つめる。
 ジーナの怪しい行動の数々。5番目という意味の名前。彼女が黒幕だとすれば、あの海域を混乱に陥れた目的は。
 そんなラプラの疑問を見透かすかのように、ルツが言った。
「黒幕は一人じゃない。つまり……まだ終わりではない、ということかしらね」
 空になった杯をテーブルに置き、席を立つ。ラプラに背を向けながら、明るい声で言った。
「何にせよ、意味を先に考えても仕方がないわ。真実が何なのか、その意味は、たいてい後からついてくる。大切なのはその瞬間を見逃さないことよ」
 そう、自分はけっして見逃すまい。
ルツは、ジーナ・アドマールという彼女の本名に秘められていたもう一つの真実を、しばらくは自分ひとりの胸に収めておくつもりだった。その背後に見え隠れする、ただならぬ悪の気配の正体が、もう少し明らかになるまでは。

     *

 少しあと。
空が白み始めた頃、ウォンとキルトの二人部屋で、夜明けの静寂を突き破るような騒動が起こった。部屋の壁にいくつかの穴が開き、高価な窓硝子は砕けて散らばり、隣の部屋だったラプラとラギだけでなく食彩亭中の人間が叩き起こされた。
その結果、次の夜の部屋割りは、ラギとウォン、ラプラとキルトに変更されることになる。





            意味


〜第二章第2話より(1)